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なんでこんなに観客入ってねえの…? 『ザ・ウォッチャーズ』を観る

人里離れた森を舞台に、アイルランドの民間伝承を取り入れた超自然ホラー『ザ・ウォッチャーズ』。

M・ナイト・シャマランの娘が(レオス・カラックスの長編デビューと同じく)24歳にして初監督作品を手がけたとのことで、人並みにシャマランが好きな俺は朝8:15の新宿ピカデリーへと出向いた。

公開からわずか数日しか経っていないにもかかわらず、観客は俺を含めて10人に満たず。いくら早朝の上映とはいえ、熱の入った宣伝(映画『ザ・ウォッチャーズ』の恐怖を体感できるイベントが下北沢で開催)が嘘のような客入りといえる。

おじさん10人がポツポツと席を埋めただけの劇場。

あれ? そこそこ話題作のはずなのでは? 上映前から不穏な空気が漂う。

が、中盤を過ぎた頃、その一因に映画の出来の悪さがありそうだと気づき始める。というのも、とにかく、とにかく、テンポが悪いのだ。高速道路を走っているのに、道の途中で何度もブレーキが踏まれるような種類の「はえっ?!」といった急停止が続く。

異様なストーリーテリングのなかでも、物語が大きく展開する際の録画データによるシークエンスは悪い意味ですごい。5分弱にわたってモノローグが映し出され、不穏な現象の所以が説明され続ける。おいおいやりすぎだろう! 思わず手を叩いて笑ってしまった。

プロットの進行→そのための過剰な説明→プロットの進行……という具合の構成がとにかく目立つ。

登場人物が突然過去の事件やトラウマについて長々語るのも次の展開のためだけに用意されているシーン。主人公ミナのフラッシュバックが何度も繰り返されるのもそう。とにかく、説明的な描写が積み重ねられ、映画のテンポが意味なく陳腐にスローダウンしていく。

また、映画のなかでも1,2を争う強力なーー少なくとも第二幕までの裏メインテーマたる、「見る/見られる関係を通じた“自己形成”」にまつわるーーシークエンスは、観客がほとんど知らない人物の生死によってひとつの結末を迎えるというチグハグさで、ネガティブな意味で衝撃的だ。

……いや。とはいえ、ジャンル映画を楽しむにあたって、最も愚鈍な態度は完璧を希求する観賞態度にある……ともいえる。よな。

一箇所でもいい点がある作品は、なにも悪くない作品よりもはるかに優れているじゃないか。

インコのダーウィンを動物園に連れて行く車中。バックミラーをジッと見つめながら、ミナがつぶやく「あまりこっちを見ないで」という台詞は、その後の展開を超え、第四の壁を飛び越えてウォッチャーズ(監視者)を映画鑑賞者とレイヤー化する試みでーー効果的かどうかはさておきーーI・ナイト・シャマランの意欲が迸る一連だと感じられる。

人間とウォッチャーズの関係性は言わずもがな、恋愛リアリティショーや監視カメラといったモチーフを用いた「見る/見られる関係を通じた“自己形成”」といったテーマの補強をリフレインさせるのは、監督のやりたいことがはっきりしている証左でもある。その逆転ーーミナが母の死を瞬間的にも永続的にも見ていなかったーーは装置としてはうまく機能している。

森からの脱出を果たした後の一捻り。フォークロアとトラウマの要素を結びつけながら、「人」の中に宿る善と悪の二面性についてステートメントする展開も、M・ナイト・シャマランの衣鉢を越えようというアグレッシブな態度に思える(原作の展開があったとしても)。

『LAMB』の撮影監督イーライ・アレンソンの起用。これは素晴らしい。本作でもファンタジー世界のような魅惑的な風景と不穏さが入り混じる画面を見事に構築している。シンプルながら、基本に忠実なカラーパレットーー鳥かごの中では黄色(暖かさと快適さ)を使い、外では青(寒さと暗さ)を使うーーは映画全体のトーンに一貫性をもたらし、そのパレットが崩れた瞬間にはたしかなカタルシスがある。

わざわざ取り上げることもなく、ダコタ・ファニングの演技は"A Game"に違いない。一本調子とは真逆に、物語進行に応じて、内的心情の変化を表す彼女を見ているだけで一定の満足が得られるし、それをわかってか、監督の演出も大量のクローズアップを駆使して、表情のひとつひとつを丹念に観察させるスタイルをとっている。

CGで表現されるクリーチャーは、新鮮さこそないが、逆光で映し出されながら変形する彼らには程よい不気味さがある。

なんて書いていると、そこまで悪くない気もしてくる、な。「やりたいこと」がはっきりしてあるのは、巧みにできるかどうかをさておいて、新人監督として何より重要なスキルセットといえる。

とはいえ、映画全体を通じて父親の影響というか支配というか、“M・ナイト・シャマランらしさ”が通底しているのも、また事実(どうやら「製作」にとどまらず、セカンドユニットディレクターもM・ナイト・シャマランが務めているらしい。子煩悩なのか我が強いのか……。そんなコミットを恥ずかしげもなくやるのは、なんともシャマランらしく、微笑ましい)。

俺は、より彼女らしい作品を観たいな、という感想に落ち着いた。捻りはなくとも独創的で深遠さのあるジャンル小説……ランズデールの『モンスター・ドライヴイン』なんかを監督したら、うまくハマるような気がした次第。そんなところ。

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