ドイツと日本 もしも私が犬だったら
私は赤ちゃんの頃から犬と一緒に育ってきた。しかも少し特殊なのが、”フリスビードッグ”と一緒に育ってきた。フリスビードッグとは、一人と一匹がパートナーとなり、制限時間のある中、人がフリスビーを投げ、犬がそのフリスビーをキャッチをしてポイントを競い合う競技だ。
日本ではまだまだマイナーな競技だが、私はフリスビードッグをしている家族を自慢に思う。
ちなみに私の姉はその競技で日本一となった。
フリスビードッグとしての訓練はもちろんだが、犬と飼い主との絆が重要になってくる。
そんな家庭で育った私は、動物が本当に大好きで、犬を尊敬している。
私にとって、犬はペットの域を超えている。彼らを「ペット」と思ったことは一度もない。
犬を飼っている人ならわかるかもしれないが、彼らはまさに「無償の愛」を体現している。
常に相手に見返りを求め、期待をして、その期待に応えてもらえなかったら、相手への態度を変える人間とは違い、彼らは見返りを求めず、いつも精一杯の愛を私たち人間に伝えてくれる。
私たち人間が犬たちから学ぶことはたくさんあると思う。
そんな犬好きな私は、海外のどこの国にいようが犬を見ればすぐにテンションが上がる。国によって、通りすがりの私たちへの飼い主の態度が異なるのも面白い。
例えば、オーストラリアでは散歩をしている飼い主と犬に遭遇すると高確率で犬を触らせてくれる。もちろん、触ってもいいですか?と尋ねてから触るようにしているが、犬の方がフレンドリーすぎて先に近寄ってきてくれる。
気さくで easy going なオーストラリア人と似ている。
一方、ドイツではどうか。犬を散歩している飼い主同士や知り合いであれば挨拶をしたり、犬同士を遊ばせたりするが、もし自分が犬を連れていない、またはただの通りすがりの場合はなかなか声をかけづらい。声をかければ、触らせてくれることもあるが、まず、話しかけていい雰囲気がオーストラリアよりは弱い気がする。(あくまでも私の主観です)これもまたドイツらしいと私は思う。
日本も比較的、ドイツの雰囲気に近いんじゃないかなと思う。
さて、ここで私がなぜ「もしも私が犬だったら」について話したいのかというと、国によって犬・動物に対する社会の在り方が異なるからだ。
もしも私が犬だったら、どこの国に住みたいか?
これはまず確実に日本ではない。
日本に普通にあるペットショップ。これは海外から見れば異様な光景だ。生き物を売買している店は海外にはない。むしろ違法となることもある。ペットショップと呼ばれる店は生き物(子犬や子猫)を販売している店ではなく、ペットフードや犬のおもちゃ、犬のベッドなどグッズのみを販売している。
私は海外のそういった事情を知る前から日本のペットショップには違和感を抱いていた。ガラス張りの小さなスペースに閉じ込められた子犬や子猫。見ず知らずの人に一日に何度も代わる代わる抱っこされ触られるのは彼らにとってどれほどのストレスか想像するだけで胸が痛い。
ペットショップに行き、飼う気もないのに、可愛い、触りたい、というだけで訪れる人にも良いイメージは抱かない。
今となっては、二階堂ふみさんなどの芸能人の方々もSNSでペットショップ廃止や動物の権利について訴えかけてくれるようになったものの、需要があるから供給がなくならないように残念ながら日本からペットショップがなくなる日はまだ遠い。
では、海外ではどのように犬を飼うのか。
大きくは3つのパターンがある。
①特定の犬種を探している場合はブリーダーから
②保護施設から
③e-bayなどのサイトから
①か②のパターンが多いかと思う。
①の場合は、ブリーダーに直接、電話などで連絡をして次はいつ子犬が生まれるのか、予約状況などはどうなのかを確認する。もちろん日本の違法ペットショップのような劣悪な環境に犬はいない。そのため、子犬の数が不十分な場合はキャンセル待ちや予約待ちとなる。
②の場合、例えばドイツには野良犬はいない(モロッコなどのアフリカ、東南アジアなどの一部の国には野良犬はいるが)ため、近隣諸国から保護された犬たちが対象となる。子犬だけでなく成犬も含まれる。
③の場合は、元の飼い主が何らかの事情で飼えなくなり、日本でいうメルカリ的なサイトe-bayに引き取り手(買い手)を探すために掲載している。
このように、海外では犬を飼うのにも一苦労する可能性がある。でも私は生き物を飼うというのはそういうことだと思う。覚悟と根気、努力が必要なのだ。
カフェを楽しむ犬
「パピチーノ」という言葉をご存知だろうか。
世界中にあるスターバックスが犬専用に作ったメニューである。アメリカのスターバックスではこの「パピチーノ」が犬のために注文できる。
また、オーストラリアやドイツなど海外の国では犬もカフェや郵便局、雑貨屋さん、洋服屋さんなどのお店に普通に入れる。
小型犬だけでなく、大型犬だってもちろん入店可能だ。
電車やバスなどの公共交通機関にだって乗車できるし、結婚式にだって参加できる。
夏にはドッグビーチで思いっきり走り回り、海を、夏を満喫している犬たちを見かける。
生鮮食品を売っているスーパーにはさすがに入店できないが、スーパーマーケットの前には必ず犬専用の”パーキング(駐車場)”がある。
犬だって、人間と同じ権利があるのだ。
それが海外にいると肌で感じられる。私は日本が嫌いなわけではないし、私の家族が日本で飼っている犬たちのことも不幸とは思わない。でも、日本以外の国で暮らしている犬たちはより私たち人間に近い感覚で暮らしているなと思う。
パスポートを持つヨーロッパの犬たち
私がドイツで住んでいる彼の実家にも犬がいる。この秋には子犬も迎え入れた。(彼の両親がブリーダーさんに連絡を取っていました)そこで知ったのがヨーロッパでは犬もパスポートを持っているということ。
このパスポートには、その子の誕生日やワクチン接種の記録、成長の記録などが人間のワクチンパスポートと同様にしっかりと記録されている。
犬も人間と同じなのだ。
各国が陸続きであるヨーロッパ大陸で、国と国を跨いで移動(移住)する際に犬たちにとっての証明書にもなるらしい。それはヨーロッパらしいなと思うと同時に犬たちも安心して旅行ができる。
私はこのパスポートの存在を知って、より海外の社会の犬たちへの姿勢に感銘を受けた。
犬・動物が住みやすい世界を
この記事の最初に書いたように私は本当に犬・動物が好きだ。なんなら人間より動物が好きだ。地球が悲鳴をあげている中で、アマゾンやブラジルのジャングルの森林火災、オーストラリアの山火事、タンカー船からの重油流出などで海の生き物が苦しみ、たくさんの動物の命が断たれたニュースを見るとすごく胸が痛む。溢れかえるゴミが海に流れ込んでいるのだってそうだ。それが人間によって引き起こされたと思うと、さらに同じ人間であることが申し訳なくなる。
盲導犬やセラピー犬、警察犬など犬たちに助けられている私たちも彼らを助けることはできると信じたい。
犬たちが私たちに無償の愛を与えてくれるように、私たちも他人に少しでも優しくなれれば世界は少しずつでも輝きを取り戻すと信じたい。
コロナで在宅時間が増え、犬や猫を飼った人も多いだろう。それはただ余った時間を埋めるためなのか。寂しさを埋めるためなのか。
彼らから学べることに目を向けて、彼らのためにできることを考えてみてほしいと思う。
もしも私が犬だったら、そんな無償の愛の連鎖を広めたいと思う。
"God"を逆に綴れば、”Dog"となる。