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TROIGIEを読んで

芥川心之介さん『産生』
作田優さん『父が死んだら祝杯を』
旗原理沙子さん『ききなし』
が載っている『TROIGIE』を読みました。

芥川心之介さん『産生』掌編で分かるような分からないような不思議な感覚のお話でした。

その中で私が惹かれたのはエレメントの赤子が生まれたことに対して、色んな色のエレメントが感想を言っていく。
それに対して当のエレメントの赤子が
「ちょっと静かにして」と言うところ。
ここはとても好きでした。

私はこの時点で芥川さんの作品を読むのは初めてな上に、ツイッターをフォローさせていただいたのも文学フリマ直前だったので、芥川さんのキャラクター的なものもほとんど知りませんでした。
(作田さんだったか、ツイッタースペースで「赤ちゃん」と連呼されていたのはとても記憶に残っていた(笑))
なのでこの赤子のエレメントの発言の部分を読んで何だか芥川さんの作風の少しが感じられたような気持ちになりました。


作田優さん『父が死んだら祝杯を』は、あーちゃんがたまにやる「腕に爪をぐっと食い込ませる」を私は昔やっていたのでドキッとしつつも、そこでもう引き込まれていました。

私も一般的な家庭とは言い難い家で育ったせいか、「父が死んだらお酒を飲もうと思っている」と小学4年という子どもの時期に弟に打ち明けたシーンもそれほど印象に残らなかった。
(なんて事ない普通のこととして受け止めたのだと思う)
なので後からこの事のために、みんながお酒をのんでいても飲まないのが出てきて「ああそうだった」と思い出したくらいだった。

この小説を読んでいて、特に中盤ぐらいまでは私の中ではどうしても『こちらあみ子』のあみ子とあーちゃんが被ってしまった。
それであってもこの話が、あーちゃん目線の一人称であったのは小説に引き込まれる要素の一つでした。

お父さんにとってはお母さんが一番だったんだろうなと感じました。
だからお母さんに似ている弟は可愛がるけれど、自分に似ているあーちゃんはそこまでじゃなかったのではないだろうかと。

真弓ちゃんの狂気性もさる事ながら正田さんはもしやサイコパスなのではと感じたほど、あーちゃんには見せない怖さを感じました。

作中でたまにポツリ言われる「あーちゃんは人を傷つけないと生きてはいけないんだよ」の言葉。
これには何となく憶えがありゾクっとしました。

一番そばに居て理解してくれている人間から言われる言葉。「本当は優しいんだよ」とか「良い子だって知ってるよ」とかそういう慰めの言葉じゃなく、容赦ない刃の言葉。

何故そんな酷い事を言うのにそばに居てくれるんでしょうね。
人の感情が単純でない事。そして内心の残酷さとその裏腹の愛情を感じた小説でした。


旗原理沙子さん『ききなし』は夫の支配的モラハラにもっと意味があるのではと思いながら読んでしまっていました。

社会に出るのをあそこまで怖がって、だからこそあの旦那さんに囲われる事の方を望んでいたのに映画館の人たちとの事は怖くないのだろうかと思った。

高木さんの暴力を誰にも言わないどころか、またされに行く感覚は全く分からなかった。
そのためその辺りは別世界の話を読んでいる感覚で読み進めていた。
けれど「ききなし」してもらうために自分の話をしていた時に、本人もあの頃の事が分からなかったというのを伝えているところを読んで、やっとしっくりいった感があった。

ききなししてくれる赤い人さんが出てきたところでは、思わずスマホで「ききなし」をしてもらえるところって本当にあるのかな?と検索してしまった。
別にききなししてほしい事柄があるわけではないのだが、そう思わせるほどに小説の中に興味を引かれていたのだと思う。

どんどん民話のようになっていったところは、また別の意味で引き込まれた。
話を聞いて「そうか、だから暴力振るわれても振るわれるままになっていたのか」とか
「だから野城さんと性行為したのか」とは納得はしなかったけれど、壮大な繋がりには少しワクワクすら感じた。


というわけで今回TROIGIEを読めてとても良かったです。
ツイッターでTROIGIE買ってる写真見かけるたびに、仲間みたいで嬉しかったです。

おべっか抜きで、お三人さんの次回作も早く読みたいです。

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