![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/75024390/rectangle_large_type_2_2c188005cb2231787ec1dcd61d55a80a.png?width=1200)
極上な毎日のつくりかた
数日前、大規模停電の恐れがあった日のこと。
今停電になってしまったらどうしよう、と思いながら湯船につかった時、なんだか温泉に来ている時のような感じがした。身体中にお湯のあたたかさが染み込んで、ふぅーいいきもちーと思わずつぶやいてしまいそうな。
電気よどうかお風呂から上がるまで消えませんように…とびくびくしていたので、なんでこんな時にこんなにもくつろいだ気分になるんだろうとそのギャップに驚いてしまった。それにいつもお風呂に入る時、こんなに染み入るように気持ちよさを感じることはなかったから。まるで旅行先にいるような感覚に、なんで今?なんでここで?と不思議な気分になった。
毎日当たり前のように入れていたお風呂だけど、この日は入れるかどうかあやしかったし、特にこの日はすごく寒かったから(雪まで降った!)お風呂がすごくありがたかったのもある。例えば避難生活をしたりしたら、久々のお風呂にこんな感覚になるだろうな、とも想像できる。だから?今、ちょっとした非日常だから?
その次の日の朝、朝ごはんを食べながら窓に目をやると、光が差し込むようすが身に染み入るような感じがした。口に含んだ紅茶の熱さがじんわりと広がって、身体の隅々にまで染み込んでいくよう。目の前に座っている夫の持っているマグカップから、やわらかく湯気が揺れるのがくっきりと見える。いつもと同じ場所、いつもと同じことをしているのに、なんだかまったく違った景色に見える。
そう、これもなんだか旅先みたいなの。旅先のホテルの朝食みたい。私は旅先のホテルで取る朝食がとても好き。周りの光景を眺めながら、ゆっくりとその景色と朝の空気を味わうのが好き。景色の見え方、感じ方が、家にいるのになぜだか旅先のように感じられたのが不思議だった。
似たようなことが二日続けて起きて、なんでまたこう「旅先」のような気分になるんだろう、とそのことが頭から離れなかった。
そして分かったこと。
いつもと同じなのに、旅先を感じたのは「そのことだけに集中」していたから。湯船につかる時は、お湯の感触だけに。朝ごはんの時は、その空間を感じることに。
いつもは何かしら気にしているのだ。時間のこととか、こどもの様子とか。あれこれ頭で考えていて、実際していることに気が向いていることなんて、そうないかもしれない。でも旅先では、ひとつひとつをしっかり味わおうとしてる。温泉に入ること、ホテルの朝食。いつもとちがうから、なかなかないことだからと、めいっぱい味わおうとしてる。
いつもと同じ場所、いつもとおなじことなのにまるで旅先のように感じたのは、「その時、その場所」をしっかり感じていたからだ。お湯の感触を、朝ごはんのときに見える光景を。
ということは。いつも旅先で感じていたここちよさは、家でも、いつでも感じられるってことだ。だって場所がその感覚をつれてくる訳じゃない、「いつもとちがう」からその感覚になる訳じゃないんだもの。私が「その気」になればいつだって、あの旅先の感覚は感じることができるんだ。
まぁ日々生活をしていれば、気になることはたくさんある。こどもと暮らしていれば尚更ね。そんなにいつでも感じることに集中できるわけでもないけれど。でも、それでも、「旅に行かなくたって、できるんだ」という気付きは、とっても嬉しい。あの特別な感じは、いつだって、作り出すことができる。そしてそれが普段からできるようになれば、それは特別なことではなく、いつもの感じになる。
あのじんわりと全身に染み入るようなここちよさ、しあわせな感じが毎日のことになるとしたら。なんて嬉しいことだろう。
やってみよう。毎日どこかで「集中して何かを感じる」ことをしてみよう。きっと極上の毎日になっていくにちがいない。