未達の理由を他人との比較で納得すると絶対に成長しないと思う。
どんだけ引きずってんだ!って話で恐縮ですが、引きずります(笑)。
今年一年、12月のとびしまウルトラマラニックを完走することを目標にランニングに打ち込みました。
結果はDNF。
今も悔しい思いを引きずっています。
あと23キロ、どうして走れなかったんだろう。
という思いでいっぱいですが、あの時の身体は、悔しいけどあれが精一杯でした。
来年必ずリベンジします。
完走できなかった頃のわたしの頭ん中
わたしがランニングを始めた頃、チームには走力ある人がたくさんいました。
みんなはフルマラソン完走できるけど、あたしはできない状況が何年も続きました。
チームのメインレースであった河口湖マラソン(今の富士山マラソン)では、みんなが完走メダルをもらっている中、いつもひとり達成感を感じられないわたしがいました。
悔しいし悲しいんですが、どこかで
「みんなあたしよりずっと走る力があるから」
「あたしはすぐに膝も足も痛くなっちゃうから」
『仕方ない』
と思っていました。
みんなはできるけど、わたしはできない。
みんなには力があるけど、わたしにはない。
できる人の今と自分との比較です。
諦めがつきやすい比較です。
ところが、みんな痛い⁈
ある年、いつものように富士山マラソンを目標に練習会に参加した時、わたしは先輩に聞きました。
「どうすれば痛くならなくなるの?」
「みんなどうやって痛くならなくなったの?」
すると、驚くべき答えが返ってきたんです。
『みんな痛いよ。30キロも走ればどんな人だってどこか痛いよ。だから、痛くなっても走り続ける練習をするんだよ』
え!嘘でしょ?
みんな痛いなんて!
それぞれの痛いことをそれぞれが克服する⁈
え?え?え?
目から鱗が落ちて、わたしは心を入れ替えた
この言葉が、これほどぴたりときたことも少ないと感じるくらい、わたしにとって「みんな痛いよ」は衝撃でした。
それならあたしも一緒だ。
できる人と比較する意味は全くなかった。
殴られたかのようなインパクトは一生忘れないと思います。
力があるのは走力じゃなくて、痛くてもやめない力でした。
比較の中で生きていた自分が、ほとほとくだらなく思えました。
あれからわたしは走り続けるようになった
「痛くったってもともとよ!みんな痛いし辛いんだ!」
と気がついたら、痛いからやめるという選択肢は綺麗さっぱり無くなりました。
フィニッシュゲートに辿り着くまで、開き直って走り続ける以外のチョイスは、もう思いつきません。
そして、この痛みが「疲労」なのか「ヤバいやつ」なのかは、経験値が見極めさせてくれています。
しんどくても、痛くても、ゴールすればやめられるんだから観念するか…
これが、あたしのいつもの終盤の心持ちになりました。
比べてるうちは越えられない
走り続けられるようになった今、強烈に思っているのは、
できる人との比較は、できない言い訳の材料でしかない。
ということです。
別に、途中棄権することが悪だと言ってるつもりはありません。
関門に引っかかることもあるでしょう。
ただ、
リベンジするなら、何かを変えなきゃ始まらない。
今までと同じマインドで、同じ練習をして、同じレースメイクを何度繰り返しても、伸び代はたかが知れてます。
自分をよく観察することが、リベンジへの第一歩。
人との比較は手放すべき筆頭項目です。
そして、
うまくいくために、うまく行かなかった方法を上書きしていくことが必要です。
どこに敗因があったのか、
それはどのようにすればクリアできるのか、
バージョンアップに必要なことは何か、
自分にできる工夫はどんなことなのか、
すべて全て、矢印を自分に向けた時、
リベンジのチャンスがやってくる。
そうやって、亀の歩みながら、ちょっとずつ力をつけてこられたと思っています。
来年こそ!!
そう信じて、
言語化できた自分を信じて、
チャレンジは続きます。