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「認知症になるとしたら」と想像してみた。

あたしの周りには、
認知症になった人がいない。
正確にいうと、関わったことがない。

93歳で死んだおじいちゃんも、
103歳で死んだおばあちゃんも、
最後の日まで会話ができて、
本人も周りも穏やかなまま
静かに死んでいった。
辻褄の合わないことを言ったりやったり、
どっかに行ってしまったり、
大きな声を出したり、
そんな姿は見たことがなかった。

ほぼ日の今日のダーリンを読んでいて、
「正直でいる」ことと、
「いわゆる本音という露悪」は
同じく自分の思いを表現していたとしても
纏う雰囲気は全く違うんだなぁとふわっと感じた。

「認知症」
ならないに越したことはないけど、
家系的にならないような気もするけど、
これはたぶん、
どんなにならないように気をつけても、
ならないための努力をしても、
どうなるかは誰も知らなくて、
努力したからならないもんでもないのかな、
なんて覚悟も実感もなくフワッと思った。
不謹慎な言い方ですが、
ヘビースモーカーが肺がんにならなくて、
一本も吸ったことない人が肺がんだった
なんてこともあるわけですし。

「正直さが露悪にならないヒト」って
つまり、
素になってもチャーミングなのかな?
と感じたので、
認知症になったとしても害が少ないのかな?
なんて想像した。

認知症って、
なってる側は無邪気なのかなぁと思う。
だとしたら、
なってる側はハッピーなのかもしれない。
なんて思うのは
実感がなくてそれこそハッピーかもしれないけど、個人的に、今はそう感じてる。
だとしたら、
「素」がチャーミングな自分を育てたい。

あと、
ギラギラしたくないけど、
ギラッとさを無くさずに歳をとりたい
とも思う。


※認知症についてどころか、介護に対して全く苦労したことなく今まで生きています。ご苦労された方が気分を害したら、本当にごめんなさい。
「何も知らないくせに」と葬り去ってください。

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