自分も周りも許す寛容さを、お互いさまとお陰さまで作っていきたい。
だいぶ前になりますが、足の怪我で歩くのが辛い時期がありました。
治療をするために、トレーニングウェアのような服装をして、路線バスで通院していました。
座席が空いていれば座っていました。
路線バスには色んな人が乗車します。
子ども連れ、お年寄り、松葉杖。
ヘルプマークをつけている方も少なくありません。
わたしは、一見して健康そうなおばさんです。
でも今はヘルプしてほしい。足が痛いので座りたい。でも、怪我しているようには見えません。
すると、座っていることを批判する人が現れます。
「なんでお前が座るんだ」と言わんばかり。
ジロジロ睨んだり、仲間とヒソヒソしたり。
圧力かける必要ありますかねぇ…
怖いです。
世間の人は、基本的には優しいです。
以前わたしが松葉杖で生活していた時には、お年寄りまでも席を譲ってくださるほどでした。
目に見える弱者に対しては、躊躇なく手を差し伸べてくれます。
でも見えないと厳しくて怖い。
イヤホンをして帽子を目深に被り、周りを遮断して自分を守るしかなくなります。
世知辛すぎる世の中で、人々は想像する心の余裕がないのかもしれません。
目に見えることが全てではないと、多くの人が思っているはずです。
でも、心のエネルギーが枯渇していたら、想像力なんて発揮できません。
それどころか、
取り締まりたいと感じてしまう。
断罪したくなってしまう。
なぜなら、優位に立つことで自分を満たしたいからです。
枯渇していれば、周りから奪いたくなるのが人の心です。
お互いさまとお陰さまで生きていくには、
自分のご機嫌を取れる力が必要です。
だから、自分を満たす習慣が欲しいのです。
同時に、
困った時に助けを求める自分を「許せる自分」でいたいのです。
なぜなら、
自分を許せる人は「お互いさま」ができるから。
わたしたちは、「人に迷惑をかけてはならない」という教育を受けてきましたが、
迷惑をかけていない人なんてきっと
1人もいません。
どこかで誰かに助けられています。
迷惑にならないよう気配りすることは大切ですが、助けてもらうことで自分を責めるのではなく「おかげさま」と受け取ることも、同じように大切だと思うのです。
そして、誰かに対して「おたがいさまだね」と、あの時のご恩を循環させていきたいのです。
そんなまぁるい関わりができるためにも、
自分の心を満たす習慣と
自分を許す練習をしたいのです。
今には今の社会とルールがあるけれど、ドラマ「不適切にも程がある」のテーマにも見られていたように、今の世の中、何をしても突っ込まれることに気を遣わねばならないような、行き過ぎた指摘に神経をすり減らしあっているように見えています。
かと言って、体罰とか差別とかいろいろと、今より酷かった昭和のやり方が正解だとも思いません。
どちらも「過ぎ」だと感じます。
少なくとも、負の循環は小さい方がいいし、きっと小さくなると思うのです。
なぜなら、世の中は本当はとても優しいと感じているから。
自分を満たし、許していけば、「お互いさまとお陰さま」の優しい循環が大きく育ってゆくと思っています。