そもそも。なんのために。という目的が大事【前編】〜タロットで読み解くこころの世界〜
こんにちは。あゆみです。
新シリーズ「タロットで読み解くこころの世界」を大きく育てていく前に・・・。そもそも論についてお話したくなりました。
なぜなら、この部分がしっくりこないとメインの内容が飲み込みづらくなるからです。カテゴリ問わず、「なぜそれをするのか」という目的や動機の共有は、話の方向性を一致させて建設的なコミュニケーションを行ううえで、とても大事なことだと思っています。
特に占いというジャンルは、人によっては「怪しい」とか「怖い」とか、「不確かなもの」という、あんまり爽やかなイメージを持たれないかたもいることでしょう。(もしかしたら、心理テストも同じように思われるかたがいるかもしれません)
これらが大好物な人にとっては、説明せずともある程度は「ウンウン」分かり合えると思いますが、私の目的はあくまでも「年齢や肩書き、好みを問わず」多くの人に見ていただくことに注力しているので、単にオタク心を丸出しにして熱く語ればいいってものではありません。(あくまでも執筆の方向性を定めたうえでのお話に過ぎず、熱く語ってらっしゃるかたとはお近づきになりたいです😊)
そのため、コンセプト紹介記事と併せて、こちらの「目的の共有記事」を事前にお読みいただくことを推奨します。
※タロットのことだけではなく、この先、建設的なコミュニケーションのあれこれについてお話しているので、ピンと来られたかたは続きもお付き合いくださいね。
▼まだのかたはご覧くださいませ。
なぜ、人々は「得体のしれない何か」が知りたくなったり、興味を駆り立てられてしまうのでしょうか。また、どうして不確かなものに「うさん臭さ」を感じるのでしょうか。【そもそも。なんのために。】の前編では、こういった「そもそも」の部分を深掘りしていきたいと思います。
そもそも。人はどうして「知ること」を求めるのか?
「自分の未来」や「誰かの気持ち」を知りたくなる理由は人の数だけあると思いますが、根っこの本質部分には何かしらの共通点があるはずです。
「安心したいから」
私たちは不確かな今を生きていて、だからどうにかして足場を固めるために、たくさん石橋を叩いてみたり、先々を見据えて貯金したり、お相手の気持ちを確認したくなるのではないでしょうか。
「なるべく失敗したくないから」
安心感ともつながりますが、無鉄砲にあれやこれやと手を出して、しんどい想いをしたくないという本音もありそうです。なるべく知っていることを増やしたほうがリスクが少なくなるという、防衛本能の戦略と言えるかもしれません。
「幸せを感じていたいから」
保守的になるのは一見、ネガティブな反応に見えるかもしれませんが、根底には「自分を保護する意思」があるからこそだと言えます。また、自己実現のために「先を見たい」かたもいるはずです。つまり、本能に根付いている自分への愛情が「知りたい」を駆り立てるのでしょう。
対して、健全な自己愛を持ちながらも「知らないことが、そこまで気にならない人」だって、当然ながらいますよね。そうなると「知りたい」と「知らなくていい」を分つものって、一体、何なのかが気になります。
タロットが好きなかたと、嫌いなかた。どちらでもないかたの心の中では、何が起こっているのでしょうか。
占いが大好きな人。大嫌いな人。どちらでもない人。
「自身の未来」や「相手の気持ち」を確認したい人というのは、安心感を強く求めていたり、なるべく手堅くいきたい派の人だと言えそうです。つまり「(ちょっぴり)心配性さん」なのかもしれません。私自身も、もれなくコチラの属性に該当しますが、モヤモヤを早めに解消したくなるのですね。
逆に「知らなくても平気」なかたの場合は、石橋をスーパージャンプでひょいっと飛び越えたり、きっと大丈夫だからと橋の真ん中を歩けるような、勇猛果敢な人のイメージが浮かびます。「己を信じるのみ」という言葉が似合いそうですね。
あくまでも傾向として捉えた時に、占いが好きな人は前者で、嫌いな人は後者に当てはまることが多いように感じますが、大前提として、どちらが良くて良くないというお話ではありません。
ところが、こういったタイプ診断なるものは、一歩間違えると単なる「思い込みからの決めつけ」になり得ることも忘れてはなりません。
別に不安を感じてはいないけれど「好奇心」からタロットに興味を持つ人もいるだろうし、自分の足で歩くことを信条にしていても、占いを頼りにする人だっているからです。(実際に、経営者のかたが占いの結果を参考にしていることを、風のうわさで耳にしたことがあります)
また、ちょっぴり心配性さんなんだけど「私には占いはいらないです」と思うかたもいらっしゃることでしょう。本当に必要ないのかもしれないし、何となく占いに興味を示すことに違和感を抱き、シャッターをガラガラと下ろすことだってあるかもしれません。
星の数ほどある解釈のなかで、「傾向」を捉えて自己理解や他者理解を行うという目的のもと、このような分析を行う必要があります。また、タロットの解釈でも同じことが言えるのではないかと、私は思っています。
そのため、もし、「占いは単なる現実逃避に過ぎないよね」とか「心理学の知識で相手の反応を見て話を合わせているだけでしょ」と、今もクールな目線で読んでくださっているかたがいましたら、ぜひ、今回のお話を思い出していただきたいのです。「そんなことはあるかもしれないし、ないかもしれません」と。(※1)
また逆に、「ホッとする感覚」や「ハッキリと答えが示される感覚」が欲しいがために、占いジャンキーになるほど追い求めてしまうと、自らの意思で物事を決断することの妨げになりかねません。大切なご自身の人生を舵取りする感覚を鈍らせてしまうことになれば、そもそもの目的である「幸せな感覚」を味わうことの感度にも影響を与えてしまう可能性があります。(※2)
※1※2 は、占いを提供する側の信念や関わり方も影響しているため、【なんのために。後編】にて私なりの考えを詳しく解説したいと思います。今の時点では、何事もほどほどに、腹八分目で・・・というイメージで受け取っていただけると幸いです。
そもそも。私は、占いが大好きな人にも、占いが大嫌いな人にも、益になるお話がしたくてこの記事を執筆しました。傾向に合わせた関わり方を模索することも大事ですし、傾向問わず、なるべく広範囲に届く工夫をすることも大事だと思っています。
占いが大好きな人。大嫌いな人。そして、どちらでもない人。
大好きでも、大嫌いでも大丈夫だけれど、その根底には「どちらでもない」が存在していることが望ましいと、個人的に感じます。
なぜなら、結局のところは「自分で決める」ことが大事だし、同時に「他者に助けを求める」ことも大事だからです。両方あっていいのです。
フラットな感覚=理性と感性を乗りこなす感覚
「決めつけない」や「振り回されない」に一歩近づく「フラットな感覚」を得ること。
この感覚は、物事を主体的に捉えて客観性を持ちながらも、自身の人生を情熱的に味わうために、なるべく備えておきたいものです。理性と感性を乗りこなすスキルとも言えそうですね。
(とは言え、私たちは複雑な感情を抱える生き物なので、どうしても先入観によって決めつけたり振り回されはするのですが・・・だからこそ踏ん張って「真ん中に戻ろうとする」のです)
▼理性と感性を育み、やさしい視点を持つための参考記事
実は、タロットの世界は「ふわっとした感性をキリっとした理性で、まろやかに中和して言語化する」という非常にバランスが取れたもので、豊かな人間性を育むためのヒントがたくさん詰め込まれている、まるで「叡智あふれる絵画辞書」のように私は捉えています。
詳しくは解説シリーズでお話したいのですが、決して「うさん臭く」ありません!「怖く」ありません!と、おたくが声を大にして伝えておきますね。
今回は、「そもそも・・・占いって何なのでしょうか」というお話がしたかったのですが、どうにか伝わっていたらうれしいです。
肩のちからを抜いて、フラットに「タロットさん」と仲良くなってまいりましょう!
こちらの最終章でも少しだけ触れたのですが、次回は【そもそも。なんのために。】の「なんのために」について深めていきます。
「どんなふうにしたら、建設的にタロットさんのちからを借りて、日常生活に活かせるの?」という疑問にお答えできる内容になっているかと思いますので、ぜひ続きもご覧になってくださいね。