vol.8 洗練されたやさしさを生み出す洞察力~やさしさを育むために必要な「4つのちから」~
本題に入る前に、執筆の意図や方向性、コンセプト記事をご覧くださいますと、より内容をお楽しみいただけるかと思います。
※以前に当記事の内容をご覧くださった方々へ
こちらのシリーズは、以前にアップしていた「やさしさを育むために必要な 4つのちから」とほぼ同じ内容ですが、読みやすさを考慮して分割したものになります。最終的にまとめ編として、以前の記事をそのまま再投稿する予定です。
前回までのまとめ
第1回 人の心を助けるやさしさとは?
第2回 自分にやさしくすると、他者にやさしくなれないのはなぜ?
第3回 矛盾だらけな気持ちに翻弄される私たち
第4回 忍耐しがたい事情と対応策
第5回 想像力を培うことの副産物
第6回 思いやりを精神論ではなく「スキル」で捉えてみる
第7回 思い込みのメガネを外す勇気「自己理解と他者理解に至るまで」
「思いやりをスキル化するという発想によって、地に足の着いた『やさしさ』を扱うことができるのでは?」と考えた結果、段階的に「忍耐力・想像力・洞察力・包容力」を身に着けることがいいのではないかと、思うに至りました。
前提として、「時に自分よりも他者を優先する思いやり」という意味の「建設的で意図的な、美しい自己犠牲」が、現代社会で求められていると個人的に感じているため、その方向性でお話を進めていますが、これを実現するためには、多くの人が安心して生きられる環境を能動的につくるという目標のもと、「あえて」今の自分に出来ることを選び取ることが大切であると考えています。
ここでの「あえて」とは、自らが知らず知らずのうちに装着している「思い込みのメガネ」をいったん外し、クリアに物事や目の前の人を見ることによって「建設的な物の見方やコミュニケーションを選択し、それを良しとする聡明な判断力」と、解釈いただくといいのではないかと思っています。
ところがこれは、口で言うのは簡単でも、実際は各々が抱える「自分を守ってやりたい本能」によってスムーズに事が運ばず、一朝一夜で取り組めることとは言い難い現実があります。
そのため、このような心の仕組みを知っておくことが有効であると思いますし、当シリーズの初期段階でお伝えした「忍耐力と想像力」をたっぷりと働かせ、目の前のことを繰り返し実践し続けるというステップを踏むことが大切だと考えています。過去の記事に詳細がありますので、よろしければご覧くださいね。
なかなかに肩が凝ったり骨が折れるようなお話をしている自覚もあり、「どうしてそこまでして、やさしさを鍛えることが必要なの?」と思うかたがいるかもしれません。今回は、洞察力がもたらす「洗練されたやさしさ」について私なりの考えをお伝えしますので、ひとつの意見として参考にしていただき、答えとなるものが見つかるとうれしく思います。
本当に喜ばれるものを与える「洞察のちから」
自らの「思い込みのメガネ」をいったん外すことで、見えるものだけに右往左往する必要がなくなり、真実に近い仮説を立てることができるというお話をしました。これが、建設的なコミュニケーションの基盤となる「自己理解や他者理解」につながるということでしたね。
こういったものの見方をして現実に生かすことは、言うまでもなく、想像力を超えた「やさしさ」を発揮することにもつながります。なぜなら、主観的なやさしさよりも、客観的な事実を含むやさしさは「本当に必要なもの」である可能性が高いからです。
できることなら本当にほしいものを受け取りたいと思うのが、正直な気持ちではないでしょうか。それを他者に与えられるというのは、やはり、やさしさのレベルが高いと言えるでしょう。
与えられた愛情を余すことなく受け取るために
また、こういう見方もできます。
このように、人からの想いを受け取れるのも、洞察力のなせる「やさしさ」なのです。言うまでもなく、これは自分に対しても、たくさんのやさしさを与えることになりますね。
※当シリーズを順に読んでくださっているかたには繰り返しの内容になりますが、これは「心にもないことを自分自身に言い聞かせ、無理やりに思い込ませる」こととは質が違っていて、「自然なかたちで『こう』思える」というお話です。ぜひ、第5回 想像力を培うことの副産物も、併せてご覧になってくださいね。
いかがでしょう。とても「価値あるもの」のように感じませんか。
今もなお、「やさしくあろうとすればするほど、上質なやさしさを抱えていればいるほどに、しんどい想いをする」という理不尽な状況に苦しんでいる人だからこそ、この素晴らしい価値を手にする準備が整っているように思います。だから、大切に育ててきた「やさしさの根っこ」を大事に守ってほしいのです。
一見、しんどい状況に見舞われたとしても、そこには「苦しみを分解してくれる肥料」が含まれているかもしれません。これは、苦しみの原因を向けてきた他者に対して「無理やり感謝する」という、綺麗ごととは違う性質のものです。イヤなものをイヤだと思ってもいいと過去の記事でお伝えしたとおり、自然な感情に逆らうことはないのです。
天を仰いで文句を言いながら、しんどいものを向けてきた人に恨みつらみを感じながら、それでも、起こった出来事の背景をたくさん想像していくこと。悔し涙を流しながら、意地でも「やさしさを育むためのエッセンス」を見つけようとすること。
このように「都合よく書き換えられた綺麗ごと」と、「真実を照らし出すまばゆい兆し」を見分けるちからを育むことによって、本当に美しい花を開かせることができるのです。
まさに「意地をはる部分」は、ここであってほしいと個人的に感じます。どこでしんどい想いをするか?という話にもつながるのではないでしょうか。
誰にも汚すことができない「美しい自尊心」
「自尊心」とは、「自分に恥じない生き方」とも呼べるのではないでしょうか。周りからなんと言われようが、たとえ搾取されたり都合の良いように扱われようが、恩を仇で返すようなことをされようが、一切関係ありません。
(必ずしも「やり返さない」というお話ではなく、いずれ、正当なお返しの作法についても執筆したいと思っています)
ひとまずは、私やあなたが「なにをして、なにをしなかったか?」だけでいいと思っています。自分の心に問いかけて、私は大丈夫だねと思えたら、大丈夫なのです。よろしければ、第4回 忍耐しがたい事情と対応策もご参考になってくださいね。
これが「自分を大切にすること」や「自分に自信を持つこと」だと、捉えています。
一般的に「自己犠牲は自分を大切にしていない」と言われることが多いように感じますが、そうとも言い切れないと思っていますし、少なくとも、私の場合は違います。むしろ、目の前で困っている人がいるのに知らんぷりしてしまうほうが、自分を大切に出来ていないと感じます。
しかしながら、これまでお伝えしてきたとおり、綺麗ごと抜きにして、いつもいつも「自分を差し置いて、他者に尽くすこと」が出来るわけではありません。時と場合と状況がありますし、難しい時は当然あります。そのうえで、自分の中心軸に「どんな信念があるか?」を自覚しておくことが大切だと思っています。なぜならそれが、私やあなたのサンクチュアリになるからです。
この自尊心が今、何を選択したいと言っているのかに耳を傾け、行動に移すことが「建設的で意図的な、美しい自己犠牲」につながると思っています。
これらを踏まえて、4つめのステップである「包容力」という名の「やさしさの真骨頂」について、ご一緒に考えてまいりましょう。
いよいよ次回が最終回です。ぜひ、ご覧になってくださいね。