世の中わからないことだらけ。
私の父は、会社勤めではなかったので、小さなころから「ネクタイを締めて出勤するお父さん」なんてテレビでしか見たことがなかった。父の友人たちもサラリーな方々ではない方が多かったので、「会社に勤める」ということについて、謎なまま社会人になった。
社会に出て、会社勤めをしてみて、ここでやっと学校以外の「組織」というものを実感した。そして、今まで馴染みのないものだったので、最初はやっぱり働き方というものに戸惑った。
父は仕事があれば、朝も夜も、土日も年末も関係のなく働いていた。そうかと思えば、仕事がなければ友人たちと平日にゴルフに行っていたりと悠々自適に過ごしていた。
自分のペースで仕事ができる反面、仕事のペースで生活を制限されていた。
私は、会社勤めをして思った。組織に属し、組織のルールの中で働くのは未知の体験だったけれど、本当にカレンダーどおりなんだと。そして、朝決まった時間に出勤して、定時になれば帰れる(帰れることは少ないけど)、働く時間が決まっているのだと。
組織の中で駒として働くのは不自由だと思ったけれど、意外とルールさえ守れば自由もあると思った。
そして属している組織がぬるま湯だからか、組織から離れるということに少し恐怖を感じるほど、慣れてしまった自分がいた。
けれど、属している組織の「駒」として生きることに少しながらも不安と、物足りなさも感じている。
「このままここで働いていくことは自分にとってどうなのか」と悩みを打ち明けてくれた同僚もいた。
ぬるま湯を心地よいと考えるか、ゆでられるカエルと思うかは自分次第だ。だれもこれが正解だとは教えてはくれないし、答えがでるのはもっとずっと先だ。
働き方は生き方だと思う。どんな生き方をするかは自分次第だけど、どの働き方が自分に合っているのかは、結局働いている時にはわからない。
父は自由に生きているようで、24時間仕事が付きまとっていた。
小さなころ、寝ているところに電話が鳴り響いた。父親が仕事に出かけて行った姿を寝ぼけ眼で見送ったことを思い出した。
組織に属していないからこそ、すべてを背負わなければならない責任。
組織に属しているからこそ、潤滑に組織を動かす駒になる責任。
結局働くということは、自由を捨てることだろうか。
今の自分の経験だけでは、答えなんてみつからない。
とりあえず明日の仕事に備えて、今日は寝ることにした。