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異文化交流

 江戸後期、黒船来航前の太平の世の我が国のとある島に一隻の難破船が漂流してきた。朝起きて浜辺に出た島民たちは突如現れたその船のあまりの巨大さに恐れをなして誰も船に近寄らず、遠巻きにそれを見ていたのだった。そうしてしばらく経ったとき、船からぼろぼろの格好をした金髪の人間らしきものが降りてきたのを見てびっくり仰天した。島民たちは生まれてこの方異人など見たことがなかったからである。

 島民たちは持っていたモリで異人たちを串刺しにせず冷静にお役人の所に向かった。島民たちの勇気あるものは異人たちに興味を持って近寄ったりした。しかし結局だれも声はかけられずそのままお役人を待ったのであった。

 しばらくして島民に案内された袴姿の同心たちが現れた。このお役人連中は刀に手をかけて異人たちに近づいたが、相手が両手を挙げたので安心して彼らに声をかけたのだった。運のいい事に同心たちの中に長崎に留学していて異国語を解せるものがいた。彼の名は種ケ島弥太兵衛と言う。

 同心たちは奉行所に異人たちを案内し、奉行所につくと弥太兵衛を介してこの島まで来た経緯を聞いた。異人たちは自分たちは南の大陸に行こうとしたのだが、その途中で嵐にあい船が難破したのだと語った。同心たちは彼らを気の毒だと思った。その時異人の中で恐らく一番立場が上の人間が自分はダグラス・マッカーシーだと名乗り、それから自分たちはもう何日も食べていないので食事をくれないかと頼んできた。長崎で異人たちと多少交流を持っていた弥太兵衛は異人たちの食すものがこの島には全くない事を知っていたので、彼らに向かって正直にその事を話しそれでも良いかと尋ねた。すると異人はそれでも良いと答えた。

 異人たちは初めて食べるであろう異国の食べ物に戸惑いなかなか食べようとしなかった。弥太兵衛はその異人たちに目の前の食事が安全なものである事をわからせるために箸の使い方からジェスチャーを交えて教え、その箸で食べ物をつまんでにこやかに食事を食べたのだった。弥太兵衛が食べるのを見て警戒心が取れたのか異人たちも次々と食事を食べ始めたのであった。異人たちは慣れぬ味に最初は戸惑ったであろうが、何とか無事に食べ切ってくれたようでにこやかに感謝の言葉を述べたのだった。

 とりあえず異人たちを保護した役人たちであったが、この異人たちの事を江戸に報告すべきかという問題が起こった。当時は鎖国の世であり、異人は長崎しか立ち入る事は出来ぬ。ここで黙って異人たちを匿っていたら後できついお咎めがくる。役人たちはやはり異人たちを叩き出すか、この場で処するかにしようとそれぞれ意見を述べた。しかし一人弥太兵衛その同僚の意見に真っ向から反対して言ったのだ。

「異人とて我らと同じ人です。海を当てどもなく彷徨ってようやくこの地に流れ着いたのに船もなく追い出すとは人倫にもとる行ないであります。ましてや畜生のように殺すなどとんでもない事です。大体拙者たち田舎の同心が江戸に断りもなく異人に手をかけてはそれこそ大問題です。あの巨大な船を見れば分かる通り異人たちの住まう国は我が日ノ本より遥かに強大な国々であります。かといって今から江戸に使者を送り伺いを立てても何ヶ月も待たされるのではないか。ここは江戸から海で隔てられた島。江戸からの使者など三ヶ月に一度しか来ぬ。その間に異人の船を直してもらって自分から出て行ってもらえばよいではござりませぬか?」

 一同は一番異国を知っている弥太兵衛の意見に納得した。確かに自分たちのせいで我が日ノ本が異国と事を構えるような事が起こればそれこそ大惨事。自分たちの首がいくつあっても足りない。このまま異人たちを世話して何事もなく島から出て行ってもらうのが一番だ。

「だが、異人たちを自由に外に出す事は罷りならん。異人たちが外に出てよいのは船を直す時のみにする。当然その際は我らが見張って異人たちを民に会わせぬようにする」

 この与力の言葉に全員が頷いた。それならば全てうまくゆくだろう。

 異人たちはこの決まり事通りに扱われる事になった。彼らは役人たちのこの寛大な処置に笑みを浮かべて感謝しているように見えた。役人たちは彼らに部屋を与え、一日二度の食事を与えた。また同心たちは異人たちが窮屈せぬように彼らのために奉行所を閉めて彼らに散歩する時間も与えた。これにダグラス・マッカーシーは弥太兵衛に向かって笑いながらこう感謝の言葉を述べた。

「全くありがたい!この太陽の光はまるで地獄の空から見える神の糸だよ」

 同心たちは異人たちのためにあちこち駆け回って難破船の補修の材料を調達した。だが異人たちの望むものは見つからず有り合わせの材料で納得してもらうしかなかった。異人たちは笑顔でそれを受け入れた。元々立ち寄ろうとしていた島がここの近くにあるからそこで船を補修するとの事だった。

 同心たちは異人たちの船員があまりに器用に船を修復していく姿を興味深々に見た。これほど大きな傷をあんな粗末な材料でかくも綺麗に埋めていくとは。今この船を見て誰が沈没仕掛けた船だと思うだろう。同心たちは皆そう思った。陰でもりを手にこっそりとその光景を見ていた島民たちもすげえなと感嘆の声を上げていた。

 そうして船は無事修復し異人たちとも別れる事になった。弥太兵衛は皆を代表してダグラス・マッカーシーをはじめとした異人たちに別れの挨拶をしたが、その時感極まって涙ぐんでしまった。彼はこの異人たちと離れがたく思った。もう少しダグラスたち異人たちをこの地に止め彼らと交流したいと深く思った。だが今の日ノ本は鎖国にある。しかしいずれ開国されたら今度は自分がダグラスたちに会いに行こう。弥太兵衛は頭の中で自分が帆線に乗って異人たちの元に向かう場面を想像していた。


 それから百年近く経った頃、アメリカの19世紀に外務長官を務めた政治家ダグラス・マッカーシーの日記が発掘されたとのニュースが流れた。ダグラス・マッカーシーには回想録やその他著作はなく、書簡でさえもろくに残っていなかったのでこの日記は大発見であった。ただ残念な事にそこには外務長官時代のものではなく、政治家となる以前に書かれたものだった。しかしそれでもダグラス・マッカーシーというアメリカの十九世紀を代表する政治家の人となりを知るには貴重な資料であり、その虚実を織り交ぜた冒険譚も政治家の書いたものにしては非常に愉快で純粋に読み物として楽しめるものであった。ここ日本では我が国に漂流した話が書かれている事が特に注目された。そこにはあの種ケ島弥太兵衛の事が書かれていたのである。

 種ケ島弥太兵衛の曾孫である種ケ島銃蔵はアメリカ政治史を研究する政治学者であるが、彼はダグラス・マッカーシーがその日記で自分の祖父の事を書いている事を知り、やはり一家に伝わる曽祖父の話が事実だった事に驚喜した。彼は早速アメリカから発売されたばかりの日記を仕入れて目を皿のようにして曽祖父弥太兵衛が書かれている部分を読んだのである。

「我々は島に漂着するなり人ともつかぬ頭のてっぺんを剃った悍ましい姿の小人の集団に囲まれた。このケダモノどもはもりを持って今すぐにでも我らを食わんとよだれを垂れ流していた。だがようやく神の救いの手が現れた、と思ったら同じような小人のケダモノどもの親玉であったのだ。そのケダモノも同じように頭のてっぺんを剃った悍ましい髪型をしていたが、幾らか身なりが綺麗であった。そのケダモノどもの親玉連中は我々をじっと見て我々をどうやって食わんと相談を始めた。だがこの人喰いのケダモノどもは我らの痩せ切った体を見て今は食えぬと判断したらしい。太らせてそれから食おうと決めたようだ。我々は間もなくしてブギョウショという牢獄みたいなところに押し込められ、そこでケダモノから食事をもらったのだが、それはとても人間の食べるものではなかった。なんとコヤツらは我々にゴボウと称する木の枝まで食わせたのだ。その時多少人間に近いヤタベエという名のケダモノがにこやかにハシと称する木の枝で同じ木の枝を食べたのだが、きっとその後でハシと称する木の枝も煮て食べたのであろう。そこでケダモノどもの中で多少人間の知能があるものからいろいろと尋ねられた。我々はこのケダモノどもが本当に人間の知能があるのかと疑いながらも一応問われるがままに答えたのだ。するとケダモノどもは顔を見合わせてから船を直すまでこの島にいる事を許可すると抜かした。我々一同はこの言葉を聞いて神に感謝した。どうやら我々はこのケダモノどもの食い物としてお気に召さなかったらしい。どうやら我々はこやつらが日頃食べている人肉よりうまくないと見たようだ。とにかく我々は自分たちのような文明人がケダモノどもに命ぜられるという屈辱を感じながらも、とにかく命を守るために全て承諾したのである。しかしこのブギョウショという所は全くケルベロスの地獄であった。体で埋まってしまうほどの狭い牢屋。毎日二食しか出されぬ食事。しかもいつもあのゴボウとしょうする木の枝が提供されていた。毎日昼間にブギョウショの庭に出れたが、そこから見る空は地獄の天井であった。我々は一刻も早く抜け出したくて船を修復しようとしたが、いかんせんケダモノどもがもってくる補修の材料があまりにも貧相で使い物に全くならないのにがっかりした。我々の誰もがケダモノどもはやはり我らを喰らおうとする気でいるのかと疑った。我々の誰もが一刻も早くこのケダモノどもが住まう島から脱出せねばならぬと思ったものだ。船員たちが修繕している最中ケダモノどもが度々覗いてきた。散れと怒鳴りつけたら確実に殺されて食われてしまうので黙って耐えるしかない。ケダモノは我々が逃げはしないかずっと監視していたが、その後ろの貧相な小舟の裏からもりを持ったケダモノの下っ端が覗いていた。きっと奴らは親玉の目を盗んで我らを食わんとしているに違いない。我々は早く脱出しようととにかく有り合わせの材料でどうにか近くの島までは航海できるよう修繕した。そうして船の修繕が終わると我々はすぐに出発したいと申し出た。ケダモノどもは食い物ではない我々にもはや興味がないようであっさりと出発を許可してくれた。我々はこの奇跡に深く感謝し、次にこの島に来た時はこのケダモノどもに神の御心を教え教化してやりたいと思った。だが別れ際にケダモノどもは急に我々が惜しくなったのか獲物を逃したケダモノの顔で我々をじっと見たのだ。我々はその悍ましさに凍りついて動けなかった。しかもである。その別れの挨拶の最中ゲダモノの中で唯一人間に近いあのヤタベエが我々に向かって何やら人間の言葉を言ったのだが、その時ヤタベエが我々が食べられなかった事を悔しがってか突然号泣しはじめたのだ。悍ましい、あまりにも悍ましい光景であった。その号泣する顔は獲物を逃したケダモノの悔しさが滲み出ていた。我々はこのままいては確実に食われるとすぐさま船に飛び乗ったのである」

 種ケ島銃蔵はこのあまりにも酷い先祖ディスりに耐えきれず、床の間に飾っていた散弾銃で日記を何回も撃った。その後日記の読んだバカなアメリカ人たちからお前の先祖は人喰いかと散々言われたせいでとうとう後に鬼畜米米を叫びアメリカとの全面戦争を主張する極右の活動家になってしまった。この話は異文化でコミュニケーションを取るのがいかに難しいかが語られた貴重な記録である。

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