微細なるものの巨匠
ヘルマン・グラッセはルネッサンス後期に生きた画家である。ドイツのボン出身の彼はルネサンス華やかなりし頃のローマへ留学し、そのままローマに定住して生涯絵を描き続けた。しかしその絵画は生前には注目されることなく、彼はローマの貧民街でひっそりとその生涯を終えた。なぜ彼は生涯黙殺されたのか。それは彼の絵画が当時の風潮に余りにも反していたからだである。当時の画家たちは、ヨーロッパ各国の王族や貴族たちの人気を得るために、好き好んで大型のキャンバスに壮大なを競って描いていたものだが、ヘルマン・グラッセはそういった時代の風潮に反して、手のひらサイズの画面に緻密極まりない絵を描き続けたのだ。勿論彼も若き頃はダ・ヴィンチやミケランジェロの後を追って大型のキャンバスに壮大な絵画を描いたものだ。だが彼の繊細で緻密な画風は、大型のキャンバスとは相性が悪く、同時代の批評家からもその画想の貧弱さを徹底的にこき下ろされた。これにこりたヘルマン・グラッセは以後徹底して小さな絵を描き続ける。それもルネサンスの巨匠たちが描いた神話や聖書の世界ではなくて、虫や魚などごくありふれたものを描き続けたのだ。その彼の絵は当時の宝石商やアクセサリー屋に注目され、彼のもとに宝石やアクセサリーのデザインの依頼が舞い込んだ。ヘルマン・グラッセはその御蔭で一財産を得たが、あくまで芸術にこだわる彼は、ある日を境にすべての依頼を断り、家を引き払い、貧民街に引っ越しをすると、今度は小さな画面に壮大なテーマの絵を描くようになった。ヘルマン・グラッセの絵画のなかで現代最も評価されているのはこの時期の作品である。中でも圧倒的に評価されているのは、彼の最後の作品『天地創造』である。この作品はわずか四方一センチにも満たない紙吹雪のようなキャンバスに、自らの髪を筆代わりにして凄まじいまでの点描で、神が万物のすべてを想像してゆく姿を描いたものである。この絵画はかの有名なメディチ家が所蔵していたものだが、そのメディチ家がヘルマン・グラッセをどう評価していたかは不明である。典型的なルネサンス人であったメディチ家の人間がヘルマン・グラッセを評価したとは考えにくい。おそらく珍奇な代物として所持し続けたものであろう。だが、そのメディチ家の気まぐれのおかげでこの絵は残ったのだ。
ヘルマン・グラッセの画業はその生前から美術史に於いて評価されていたとは考えにくい。むしろ冷笑とともに語られていたようだ。しかし二十世紀初頭にその評価は翻った。既成の美術に対する反逆を標高していたダダイストやシュールレアリストたちはヘルマン・グラッセを再発見し、ルネサンスの様式に逆らってあくまで小さな絵を描き続けた姿勢を、自分たちに重ね、彼をこう呼んで褒め称えた。『微細なるものの巨匠』と。
その絵の展覧会が今年東京で開かれることになった。しかしこのコロナ下の情勢で開催日程は二転三転し、急に開催日が決まったので、その準備で大忙しであった。展覧会が行われる下野西洋美術館では倉庫から次々とヘルマン・グラッセの作品が運び出されていた。
絵画の設置作業をしている最中に運搬人の一人が床に紙の切れ端みたいなものを見つけた。彼はゴミだと思いそれを拾ってゴミ箱に捨てたのだった。そして全ての作品の設置が終わり最後の確認作業をしていたとき、展覧会のスタッフは大変なことに気づいてしまった。なんとヘルマン・グラッセの四方一センチメートルのキャンバスに描かれた最高傑作『天地創造』が収められた額縁がからではないか。スタッフは慌てて運搬人を全員呼んで誰か盗んだものがいないか問いただした。しかし誰も手をあげない。スタッフはさらに、このまま作品が見つからなかったら大惨事になる。盗んでヤフオク等で売っても無駄だ。そんなことしたら牢獄行きだと脅し付けたが、それでも無駄だった。それどころか運搬人たちは初めから額縁は空だったとか言い出したのだ。スタッフはそれを聞いてまさか落ちたのかと青くなり、会場の床を虫眼鏡を使って探したが全く見つからなかった。そこでスタッフは再度運搬人たちを呼び出し、額縁を持ち出した時に落としたりしなかったか、さらにもう一度彼らが絵画の盗難をしていないかを徹底的に問い詰めた。その尋問に耐えきれなくなった運搬人の一人がスタッフに向かってこう言い返した。
「そんなの知らねえよ!ただ床に落ちてたちっこい四角のピップエレキバンみたいなのをゴミ箱に捨てただけだ!」
スタッフたちはは運搬員のこのとんでもない発言に呆然として頭が真っ白になった。この男は時価10億円以上もする名画を事もあろうにゴミ箱に捨ててしまったのだ。スタッフたちはありったけの怒りを込めて運搬人を怒鳴りつけた。
「このバカヤロー!」
それからみんなで運搬人が捨てたゴミ箱を漁り必死になって『天地創造』を探したが結局見つからなかった。しかたがないので館内のゴミ袋を残らず漁ったが残念ながら『天地創造』は見つからなかった。
運送業者を返した後、美術館のスタッフたちはこの事態にどうやって対策すべきか徹夜でミーティングした。しかしなかなか答えは出ない。『天地創造』を正直に捨てたなんて言えやしない。そんな事をしたら美術館は終わりだ。というか国際問題にさえ発展しかねない。じゃあ盗まれたことにすればよいのか。それもまた同じだ。うまく騙せればよいが、嘘がばれたら同じことだ。解決できない問題に直面した。スタッフたちは頭を抱え呻くことしか出来なかった。しかしそのスタッフの一人が他のスタッフに向かってこう言ったのだ。
「そういえば『天地創造』を捨てた運搬人はあれをピップエレキバンに似てるって言ってましたね」
「そんなくだらん冗談はよせ!お前はい今どういう状態になってるのかわかってるのか?」
他のスタッフはこのあまりにも笑えない冗談に思わず発言者のスタッフに詰め寄り一触即発の状態となった。しかし発言者のスタッフは至って真面目な表情で再び言ったのだ。
「俺は冗談を言っているわけじゃない!みんなだって『天地創造』を冗談で遠目に見たらピップエレキバンに似てるって言ってたじゃないか!俺達みたいな美術がわかる人間だってそう思うんだ。一般の観客がどう思うかなんて容易に想像がつくだろ!おまけに『天地創造』なんて一般の観客は近づいてさえ見れないんだ。だからピップエレキバンを額縁の中に入れたって一般の観客にわかるわけ無いだろ!どうせ一般の観客は拡大図しか見ないんだから!」
その場にいたスタッフ全員はこの発言を聞いて一斉に沈黙した。確かに一般の観客はこの絵に近づくことさえ出来ない。拡大図をみてこれが微細なる巨匠の名画かと納得するだけだ。しかし展覧会が終わった後は……。
「だけど、お前展覧会が……」
発言者のスタッフは何故か自信満々に立ち上がって言った。
「それは心配いらない。どうせ外国のものなんだ。一旦飛行機に乗せちまえば、俺達の責任はない。向こうでバレても飛行機の中で盗難にあったんだろとか紛失したんだろとか言っとけば大丈夫だ!とにかくピップエレキバンを買ってきて額縁の中に入れておけばいい。そしてみんな信じるんだ。額縁の中にあるのはピップエレキバンじゃなくてヘルマン・グラッセの最高傑作『天地創造』なんだと!」
スタッフ一同は一斉にうなずいた。もはやこの事態を打開するにはこの方法しかないと思った。ひたすらピップエレキバンをヘルマン・グラッセの最高傑作『天地創造』だと思いこむこと、それこそがこの事態を打開する唯一の方法なのだ。
そして展覧会の初日だった。美術館の前には観覧者が長い行列を作っていた。その入場者たちを見て、スタッフはバレたときのことを想像して恐ろしくなった。勿論展覧会の目玉であるヘルマン・グラッセの最高傑作『天地創造』がピップエレキバンであることがばれないように最善の手は尽くしている。まず『天地創造』の観覧時間をはじめは10分と設定してたのを3分と短くし、そして絵画を囲む三方のロープに警備員をそれぞれ配置した。そしてダメ押しにといたるところに注意書きを貼り付けた。注意書きの内容はこうである。『この作品は大変貴重なものであるため、ロープを超えたら窃盗とみなし警察に通報します!』
入場者が続々と『天地創造』が置かれた部屋に入ってきた。入場者たちは部屋の中の物々しい雰囲気に飲み込まれ、ただ額縁に収められたピップエレキバンを見て「これがあの伝説の名画なのか……」とつぶやいて目を凝らして名画をよく見ようとしたが、そのときにスタッフが「はい!3分過ぎました!早く退場お願いします!」と告げて、まるで背中を押されるように、というより実際には突き飛ばされて退場させられた。そうしてスタッフは額縁の絵がピップエレキバンだとばれないように最善の努力を尽くし、展覧会初日を無事に終えられると思った終了間際である。なんと一人の老人が勝手にロープを超えて中に入ってしまったのである。老人は警備員の必死の制止に「黙らんか!私を誰だと思っているのだ!」と一喝をくれて黙らせてしまった。当然スタッフも駆け寄って老人を無理やり連れ出そうとする。しかし老人は杖を振り回し、再び「貴様ら!離さんか!私はルネッサンス絵画の専門家だぞ!その私が鑑賞するのを阻止するとは無礼にも程がある!私は小奴らのような美術のわからん一般大衆とは違うのだ!」と怒鳴った。スタッフたちは老人の正体を知ると、これですべてばれてしまった。やっぱりピップエレキバンなんて入れてごまかすんじゃなかった。もう自分たちは終わりだと悟った。ああ!これで自分の人生も終わりだ。と悟り目を閉じて自分たちに下される判決を待った。一方老人は一人心ゆくまま名画を堪能していたが、ふとメガネを外し「ん?」と大きく唸ると顔を思いっきり額縁の中のピップエレキバン近づけたのだ。そして一言「これは……」とつぶやいた。
「これはなんと素晴らしい絵か!遠目にはまるでピップエレキバンにしか見えない黒い点だが、近づいてみると神による世界創造が、まさに微細なる筆跡で持って描かれているのだ。おお!ヘルマン!偉大なるヘルマン・グラッセよ!御身の絵画は微細にして壮大!御身は細部に神を見たのか!これが微細なるものの巨匠の最高傑作なのか!」
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