文芸サークル 序章その2:オフ会開催
本日開催の我ら『犬文学』のオフ会の集合は、まず栞さんを除いた全員で上野の駅の広場に集まって、そこで羽田空港から電車で来る栞さんを待つ手はずだった。私は朝起きて夫と子供と一緒に朝食を食べ、一人で食器を洗ってから外出のために着替えた。着替えるって言ったって三十過ぎのおばさんだし元からファッションにはこだわりはないけど、それでも若い子もくるわけだし何とか浮かないような格好にしないと思って服を並べて何を着ようか考えてみたけど、結局どれ着ても同じだと思って適当に選んだ。着替えと準備が終わったのでバッグを手にリビングでテレビゲームをしていた夫と息子のサトシに出かけることを伝えた。サトシは何か買ってきてとねだってきたけど、夫はこちらを振り返りもせず、気の抜けた声でいってらっしゃ~いと手を振った。私は夫に向かってじゃあ行ってくるからともう一度念を押すように強く言い、そして玄関へと向かった。
上野駅に着いたのは十一時過ぎたあたりだった。集合時間は十二時だったから全然余裕だった。改札を出て目の前の広場を見ると真ん中あたりに文弱さんと柿爪さんとバカっ吉ちゃんがいるのが見えた。文弱さんは特徴的なルックスをしているのですぐにわかる。坊主頭でひょろ長い顔のもやしみたいに痩せ切った人を見かけたらその人は間違いなく文弱さんだってわかるぐらい特徴的だ。私が文弱さんたちの所に行こうとした時、丁度向こうも私に気づいたみたいでこちらに向かって手を振ってきた。
「ミドリさん、お久しぶりです。今日もよろしくお願いしますね」
私が来ると文弱さんは深く一礼してからこう声をかけてきた。すでに来ていたメンバーも文弱さんに続いて挨拶をしてきた。ちなみに私はサークルではミドリと名乗っている。
「みんなお久しぶり。こちらこそよろしくお願いします。でもみんな早いね。まだ集合時間まで全然あるじゃない。それで残りは手弱女ちゃんと巖石さん?」
「あっ、手弱女ちんはさっきLINEで隣の駅に着いたって連絡来たからもうすぐ来るよ」
こう教えてくれたのはバカっ吉ちゃんだ。彼女はそれから続けてこう言った。
「でさ、一番最初に来たのはなんと柿爪ちん。私早起きして一番乗りって思って一人ではしゃいでたんだけど、広場来てみたら柿爪ちんが立ってるじゃん。ホントびっくりした。まさか始発で来たのって聞いたらやっぱりそうだって」
「あのね、今日は休日なのよ。あなた東武日光線の休日のラッシュの怖さ知らないでしょ。いったん乗ったらおしくらまんじゅうにされて二度と生きて出れないのよ。そこを回避するには始発から乗るしかないじゃない」
私たちはこの柿爪さんの真面目な顔で放ったジョークに乾いた笑いで応えてあげた。柿爪さんは普段は市役所に勤めているそうで本当に真面目そうな顔をしているけど、突然今のような唖然とする冗談を言うからなかなかに油断できない人だ。
「それで、巖石さんさんはまだなの?」
と私が聞いた途端みんな一斉に真顔になった。文弱さんは私の方を向いて全く連絡がないと答えた。
「でもまあ、集合時間までまだ余裕あるしもう少し待ちましょうよ。あっ、栞さんですけど、もう空港から出て京急線に乗ってるそうです。遅延とかなかったら遅くても十二時前に着くみたいですよ」
「それじゃ今日は問題なくオフ会出来そうね。あとは巖石さんが来るかどうかだけど……」
「ミドリちん、正直言って私あの人来てほしくないんだけどね。あの人にイヤミなコメント書かれことあるし……」
そう言ったのはバカっ吉ちゃんだ。彼女ははっきりと自分の意見を主張するタイプで結構感情の起伏が激しかったりする。彼女が巖石さんのコメントに対して激しく怒りLINEでどう言い返してやろうかと相談して来た時、私たちが慌てて止めたことがある。
「でもバカっ吉ちゃん、文弱さんも言ってたじゃない。人を疑うのはよくないって。多分巖石さんだって実際に逢えばすごくいい人だと思うよ。ねえ、文弱さんそうでしょ?」
「そうだよ、バカっ吉さん。会った事もない人を色眼鏡で見るのはよくないよ」
「それはわかってるんだけどさぁ。なんか割り切れないんだよねぇ~」
バカっ吉ちゃんの言葉でみんなが一斉に黙り込んだ時そばから聞きなれた声が聞こえた。手弱女ちゃんだった。手弱女ちゃんには初めて会ったけど本当にイメージ通りの子だった。ほっそりとした大人しい文学少女といった感じでこの妙に気まずい空気を忘れさせてくれる清涼剤だった。
「あ……あ、初めまして皆さん。私オフ会自体参加するのが初めてなので何にもわからないんですけど、よ、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」と私たちは挨拶して口々に彼女に話しかけた。彼女はサークルに入って結構経つけど、オフ会には一回も参加していなかった。それは多分彼女が人見知りである事が理由だろう。彼女はLINEで顔を知っているはずのみんなを見てすっごくおどおどしていた。
「手弱女ちん久しぶり!この間サイゼリア付き合ってくれてありがとう!」
バカっ吉ちゃんが手弱女ちゃんこう話しかけたので私たちは驚いた。あなたたち会っていたの?
「ああ……皆さん、たまたまですよ。この間LINEでやりとりしていたらお互い結構近いところにいるのがわかってそれで……」
「うん、だからみんなに隠れてこっそりとかじゃないよ。だから手弱女ちん責めないで」
「いや、責めるとかそんな事考えてないし。大体あなたたち年も近いじゃない。別に私たちに気がねする事ないんじゃない?」
私がバカっ吉ちゃんと手弱女ちゃんにこう言うと柿爪さんが続けて言った。
「あの子たち二人を見てるとホント学生時代思い出すわ。ねぇミドリさんだってそう思うでしょ?」
本当にそう思う。一回り以上年下の彼女たちの眩しさに昔の自分を重ねて羨望さえしてしまうほどに。
そうして私たちは広場で栞さんの到着を待っていたが、その時近くで電話の音が鳴った。文弱さんのスマホだった。文弱さんは電話口に向かって日本人らしくぺこぺこ頭をさげていた。電話の相手はどうやら栞さんのようだ。
「ああそっちじゃなくてですね。そこから中に戻ってもらってですね。そのまままっすぐ行けば開けた場所がありまして、そこの真ん中あたりのオブジェのそばで僕とみんなが待ってますよ」
電話を終えた文弱さんは私たちの方を向いてお馴染みの困り顔でこう言った。
「栞さん上野に着いてたみたいなんですけど、なんか公園口の方に行っちゃったみたいです。彼女ちゃんと来れるかなぁ〜」
「あれっ?公園だったらこれから行くじゃん。どうせなら私たちが栞ちんのとこ行かない?」
文弱はバカっ吉ちゃんの言葉を聞いて困り顔をますます困らせてポツリと言った。
「でも、巖石さんがまだ来てないし……」
巖石さんの名前を聞いて場の雰囲気がまたまずくなった。バカっ吉ちゃんがつぶやいた。
「あの人ホントに来んのかな?」
「そうね、待っているんだったらこっちに連絡してくれればいいのに……」
と私が言うとバカっ吉ちゃんがため息混じりにこう言った。
「まったく!来ないんだったら来ないって連絡すればいいのに。ウチらは別に来てもらわなくたっていいんだからさ」
このバカっ吉ちゃんの言葉に文弱さんがすぐ反応して嗜めるように彼女を睨んだ。気まずい沈黙が流れた時、息せき切って女性がこちらに駆け寄ってきた。栞さんだった。彼女は私たちのところに来ると息を切らせて話し出した。
「ごめ〜ん。上野なんてあんまり来た事ないからどこ行っていいかわからなくて。で、時間とか大丈夫?」
「ああ、全然大丈夫ですよ。そんなに急がなくてもよかったのに」
と文弱さんが栞さんに声をかけたのに続いて私たちも一斉に挨拶した。
「あっ、あなた手弱女ちゃん?ああ!初めまして。といってもいつもサークルで会ってますけどね」
「ああ、こちらこそ」と手弱女ちゃんも遠慮がちに栞さんに挨拶した。すると栞さんは「さてと」と言ってみんなを見回して言った。
「もう全員揃ったの?」
「いや、それが」と文弱さんは困り顔マックスで答えた。
「まだ巖石さんが来ていないんですよ……」
「あらそうなの。じゃあ待ってあげなくちゃいけないね」
巖石さんの名が出たので私たちはまた一斉に黙った。文弱さんは黙りこくった私たちを不安げな顔で見てまだ時間になっていないからもう少し待ちましょうと言った。
しかし巖石さんは時間になっても現れなかった。連絡さえなかった。それで私たちは文弱さんに連絡してみたらと言った。したら文弱さんはそうしましょうかと言ってスマホでメールを送った。だけど巖石さんからはなんのレスポンスもない。バカっ吉ちゃんが呆れた顔で私たちに言った。
「もう来ないよ。どうせいざって時に私たちに会うのが怖くなったんでしょ?さっさと受付終了のメール送ってさっさと精養軒行かない?もう腹ペコだよ」
このバカっ吉ちゃんの言葉に私も栞さんも柿爪さんも頷いた。それで文弱さんにそれを伝えようとした時、手弱女ちゃんが横を向いて「ちょっと」と私たちに声をかけた。
「あの壁際に立ってる黒い服着た背の高いおじさん。さっきから私たちをチラチラみてるんですけど、あの人……」
たしかに壁際には黒づくめの服を着た長身の中年の男が立っていた。バカっ吉ちゃんは顔を突き出して男を遠慮なしにジロジロみて思いっきり不愉快そうな顔でこう言った。
「アイツもしかしてストーカーかなにか?私たちを狙ったりしてるの?」
「違うって!そんな事じゃないよ。私はあの人が巖石さんじゃないかって思っているの」
「いや、でも本人だったら声ぐらいかけてくるでしょ?集合場所は教えてあるんだし」
「でも待ち合わせしてる人なら他にも立ってるし、もしかしたら迷っているのかも」
「だったら私が直接聞いてやるよ。あなた誰と待ち合わせしてんのって」
いやと私はバカっ吉ちゃんを止めて私が行くと言った。今のキレ気味のバカっ吉ちゃんを生かせたら変なトラブルが起きそうな気がしたからだ。そこに文弱さんが入ってきて僕が行こうかとと言い出した。しかし私はあの人が巖石さんだとしたらもしかしたら連絡の行き違いのせいかもしれないと思い、下手に対面させたらやっぱりトラブルになるかもしれないので、私が声をかけるからと断ってそのまま男の方に向かった。
「突然失礼します。あのもしかして『犬文学』のオフ会の参加者の方ですか?」
私が話しかけると男はジロリと私をみた。男は口元と顎に髭を生やしていて、背の高さも相まって妙な圧を感じさせた。
「あ、そうだけど」と男は険しい顔で言った。手弱女ちゃんの言う通りこの男が巖石さんだった。何というかイメージ通りの人で話しづらそうな人だった。私はとりあえず笑顔を作って自己紹介してとりあえず巖石さんをみんなに紹介するために彼を連れていこうとした時、巖石さんは私を呼び止めてこう尋ねた。
「で、管理人の文弱さんって人どこにいるの?あのさ、僕この集合場所でずっと待ってたんだよ。メールだって何度も送ったし。なのにさ、どうして返事ないの?」
この巖石さん怒り気味の突っかかりに私は気圧されてしまった。私は自分の予想通りだった事に悪い予感はよく当たる的なものを感じて嫌な気分になった。
「文弱さんはあそこにいる男性です。一応彼のために弁明しておきますけどあの人は連絡を無視するような人じゃないです。多分サーバーかなんかの都合でたまたまメールが迷惑メールフォルダに入ったとかそういう事じゃないでしょうか?あまりあの人を責めないでくださいね」
「そんなこと言ったって昨日まで普通にメールのやり取りしてたじゃないか。どうして今日に限って全くメール返してこないんだ?おかしいだろ。とにかく本人に聞かなきゃな」
「いや、ちょっと待って……」
しかし巖石さんは私が呼び止めるのも聞かず早足で文弱さんの所に行っていきなり彼を問い詰めた。
「あのさ、連絡とかどうなってんのよ。僕は何回もメール送ったんだよ。まさか俺のメール迷惑メールに放り込んだわけじゃないよね?」
「は、はぁちょっと私にもわかりかねます。どうしてメールが届かなくなったんだろう。い、いや何度も確認してますが、巖石さんのメール昨日までのものしかありません。一応迷惑フォルダも調べたのですが、やっぱりそこにもありませんでした」
「ホントにサーバー上の都合なのかなぁ。あなた人のメールをいい加減に扱って誰かと間違って消したんじゃないの。ほら、見てよ。僕は何回もあなたにメール送っているんだよ」
と言いながら巖石さんは文弱さんに自分のスマホを突き付けた。しかしそれからすぐにスマホを自分の顔に近づけてあっと声を上げた。
「……いや、悪い。こりゃ会社のスマホだった。今気づいたわ。これじゃ確かに何度メール送ってもそっちに届かないかもしれんな」
そう言うと巖石さんはスマホをしまい悪びれもせずに平然とした顔で私たちに「で、これからどこ行くの?」と聞いてきた。私はこの巖石さんの態度に腹が立った。自分のせいなのに文弱さんの事を一方的に責め立ててたくせに、ろくに謝罪もせず、かと言って笑ったりしてごまかしもせず、平然とまるでなかった事のように振る舞うなんてどういう神経してるんだろう。みんな撫然として巖石さんを見ていた。バカっ吉ちゃんなんか完全にブチ切れそうだった。