見出し画像

SOUL TWO SOUL 前編

KIYOSHI YAMAKAWA

 KIYOSHI YAMAKAWAの再評価ブームはまだ続いていた。いや、ブームではなくもはや山下達郎や角松敏生のようなシティポップの定番となりつつあった。雑誌のシティポップ特集には彼の『アドヴェンチャー・ナイト』は必ず1ページを割いて紹介され、そこにライターや同業のミュージシャンの熱い文章が寄せられた。しかし、そんなブールの中でも肝心のKIYOSHI YAMAKAWAは依然として行方知れずであり、その事が却ってKIYOSHI YAMAKAWAの伝説化に拍車をかけているような状態だった。当時KIYOSHI YAMAKAWAと仕事をしていたミュージシャンや、あるいは芸能プロダクションの人間に尋ねてもKIYOSHI YAMAKAWAの所在は知ることが出来ず、ただ皆一様にため息をついてこうつぶやくだけだった。
「アイツの事については何も知らないんだよ。アイツは自分を見せない奴だったからな」

 KIYOSHI YAMAKAWAの再評価はいつの間にかその代表作、『アドヴェンチャー・ナイト』だけでなく、彼が出した5枚のアルバム全てに向けられていた。特に評価が著しく上がったのはデビュー作の『SOUL TWO SOUL』である。このアルバムは、ソウルシンガーとしてデビューしたKIYOSHI YAMAKAWAが、純粋にソウルミュージックを作ろうとしたものだが、予算がないせいでロクなミュージシャンも雇えず、トラブルまみれの中、やっと完成させた作品である。一部の曲のドラムなどは、ドラマーが16ビートを叩けず、何度もテイクを重ね、たまたま上手くいった部分をループして使用している。KIYOSHI YAMAKAWA本人も気負いが空回りしたアルバムとあまり評価していないアルバムであるが、この不器用なソウル愛に満ちたアルバムは今の若いシティポップファンは勿論、ソウルやR&B好きのリスナーにもアピールするようだ。

 主にソウルミュージックについて書いている音楽ライターの上曽根愛子も、ファーストアルバムを聴いてKIYOSHI YAMAKAWAのヘビーリスナーになった口だ。彼女は音楽ライターとして、昨今のシティポップに再評価に半信半疑であり、KIYOSHI YAMAKAWAの代表作『アドヴェンチャー・ナイト』を聴いても何も感じられないと思った彼女は、そのことを正直にnoteの記事に書いたが、彼女の記事を読んだ読者が『あなたはKIYOSHI YAMAKAWAがわかっていない。KIYOSHI YAMAKAWAは本物のソウルシンガーなんだ。彼のことを知りたいならファーストの『SOUL TWO SOUL』を聴いてほしい。そしてあらためて『アドヴェンチャー・ナイト』を聴き直してほしい。たとえサウンドが変わっていても、そこには純粋なソウルがあるから』とコメントを寄越したので、ちょっとだけ聴いてみようとYOUTUBEで聴いたのだが、お世辞にも上手いとは言えないスカスカのバックトラックのイントロに続いて発せられた、KIYOSHI YAMAKAWAのボイスを聴いて、一瞬にしてKIYOSHI YAMAKAWAの虜になってしまったのである。それから上曽根愛子はKIYOSHI YAMAKAWAのディスコグラフィを調べ、彼女が中身が無いと断じた『アドヴェンチャー・ナイト』も含めすべてのCDを買い、リリース順に聴いていった。それらの音源はソウルミュージックへの愛情に満ちた純粋な音楽であり、彼女はあのシティポップの名盤と言われる、極度に人工的な音作りの『アドヴェンチャー・ナイト』にさえそれを感じたのだった。上曽根愛子はKIYOSHI YAMAKAWAのソウルにディープにハマっていくうちにKIYOSHI YAMAKAWAについて知りたくなり、ネットや雑誌の情報を片っ端から調べ尽くし、そこに載っていたKIYOSHI YAMAKAWAの記事を片っ端から読んだ。そこではデビューへの経緯、事務所やレコード会社との軋轢、そして本物のソウルを求めてアメリカへと旅立ったことなどを知ることが出来た。彼女はそれらを読みながらKIYOSHI YAMAKAWAの人間性に興味を持った。自分と同じようにソウル・ミュージックを愛し、関わり方は違うが、共にソウルミュージックへ深く関わってきた人間だ。しかしこのネットや雑誌の断片的な情報だけではKIYOSHI YAMAKAWAという男の全貌はすることは出来なかった。彼女ははKIYOSHI YAMAKAWAについてもっと深く知るには自分で調べるしかないと思った。そして翌日上曽根愛子は編集長にKIYOSHI YAMAKAWAについて取材させろと直談判し、その勢いに押された編集長は彼女に取材の許可を与えたのだった。

 以下のテキストが上曽根愛子によるKIYOSHI YAMAKAWAの取材記録だ。このテキストは音楽サイトSOUL MACHINEに短期連載されたものだが、取材関係者からの許可を得て、サイトへの掲載時にはカットした部分まで掲載している。これが音楽ライター上曽根愛子による連載記事『SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて』の完全版である。

SOULへの果てしない旅~KIYOSHI YAMAKAWAを求めて 上曽根愛子

 この記事の書くにあたって、まず読者に対して謝らねばいけないことがある。今日から本連載で取り上げるKIYOSHI YAMAKAWAを、私は無知からくる偏見でディスってしまった事がある。先日、私は今非常に再評価されている彼のアルバム、『アドベンチャー・ナイト』を聴き、なんとたわいないアルバムだと思い、私はそのことを自分のnoteに正直に書いた。それは今から考えるとシティーポップへの偏見からくる歪みから出た感想であっただろうと、今では自分の耳の感度の至らなさを真摯に反省している。

 KIYOSHI YAMAKAWAのファーストインパクトは上に書いたとおり、私にはあまりいいものではなかった。だから私は『アドベンチャー・ナイト』を聴いた感想を自分のnoteに正直に書いたのだが、とある読者から『あなたはKIYOSHI YAMAKAWAがわかっていない。KIYOSHI YAMAKAWAは本物のソウルシンガーなんだ。彼のことを知りたいならファーストを聴いてほしい。そしてあらためて『アドヴェンチャー・ナイト』を聴き直してほしい。たとえサウンドが変わっていても、そこには純粋なソウルがあるから』というコメントを頂いた。人は何かを好きになるとすべてを全肯定したくなるもの。どうせ大した事のないものを精一杯持ち上げているだけ。と思い、しかし一度ぐらいなら聴いてもいいかとあまり気乗りせず、YOUTUBEでKIYOSHI YAMAKAWAのファースト『SOUL TWO SOUL』を聴いてみた。出だしからお世辞にも上手いとはいえず、グルーヴィーにも徹底的にかけているバックトラックを聴いて、私はやはりこんなものかと止めようとしたが、その時いきなり私の耳に熱いソウルボイスが飛び込んで来たので、私はハッとして手を止めてその歌を聴き入ってしまった。
 KIYOSHI YAMAKAWAのボイスはソウルフルで、バックの貧弱なトラックなど、全く関係なくしてしまうほど素晴らしかった。確かに読者の言う通り、このアルバムは素晴らしい。ソウルのクラシックにふさわしいアルバムだ。それからKIYOSHI YAMAKAWAにすっかりハマってしまった私は、彼のアルバムを5枚すべてそろえてリリース順に聴いていった。確かに読者の言う通りどのアルバムもソウルを感じさせるものだった。アルバムを経るごとに、ソウル色が減っていき、ニューミュージックまがいの曲まであったが、KIYOSHI YAMAKAWAのボイスだけはどこまでもソウルだった。読者の言う通りあの世間にシティポップの名盤と言われている『アドベンチャー・ナイト』にさえ奥底に隠されたソウルがあった。
 だけど、と私は再びファーストアルバムの『SOUL TWO SOUL』のことを考える。このアルバムが最高のミュージシャンで録音されたらおそらくKIYOSHI YAMAKAWAの最高傑作になっていただろうと私は思う。そうしたら彼の代表作の『アドベンチャー・ナイト』は制作されることはなかったかもしれない。しかし、そうなったとしてこのファーストアルバムが歌謡曲全盛時代の日本で受け入れられただろうか。いや、やはり受け入れられなかっただろう。結局どっちに転んでもKIYOSHI YAMAKAWAは日本から去るしかなかったのだろうか。音楽ライターとしてではなく一リスナーとしての願いだが、私はこんなことを思わずにはいられない。せめて『アドベンチャー・ナイト』のバンクバンドで『SOUL TWO SOUL』が作られていればと。
 少し前置きが長くなりすぎた。自分の悪い癖だ。私は思い入れのあるものに対しては延々と書いてしまう。この間も、記事のタイトルのボビー・ブラウンとホイットニー・ヒューストンを無視して自分のペットの猫の病気について延々書いてしまった。だからもう本題に入ろうと思う。

 私はまず、KIYOSHI YAMAKAWAの再評価に一役買った、現在最も注目されているトラックメーカーであるDJ・OSUGIクンから取材を始めることにした。彼とは大学の先輩後輩の関係で、同じ音楽サークルにも入っていた。今でも時たま会って他愛もない世間話をする間柄だ。だけど彼はどちらかといえばJ・POP寄りの人で、私はソウル・R&B専門だから、対面で取材する機会はなかなかなかった。だから取材を始める時、お互い妙に緊張してしまった。だけどICレコーダを置いて会話が始まったらいつの間にか普段の会話に戻っていた。

OSUGI:へぇ~、姉さんがKIYOSHI YAMAKAWAねえ!姉さん、シティポップなんかインチキだってずっといってるじゃん!日本には本物なんか生まれないって!ソウルも、R&Bも、ラップも、全部日本に入った途端にファンシーグッズみたいになっちゃうって!
私:OSUGIさあ!その姉さんてのはもうヤメてって何度も言ってるでじゃん!で、今回はそのKIYOSHI YAMAKAWAについてあなたに聞きたいわけ!ねえ、どうしてKIYOSHI YAMAKAWAを知ったのよ?彼のアルバムってCD化されてなかったし、誰も彼について発言したことなかったじゃん。
OSUGI:姉さん、そんなこと今更聞くのかよ!俺いろんな媒体でKIYOSHI YAMAKAWAとの出会いについて喋ってるぜ!まあ俺がシティ・ポップ好きだってことは姉さんは当然知ってるよな?まあ姉さんは昔俺がシティ・ポップの良さをいくら語っても、全く聞きもしなかったけどな!で、その姉さんがなんで今さらシティポップの取材なんかするのよ!
私:うるさいわね!姉さん姉さんって!やめろって言ってるのがわかんないの?とにかくさっさと話しなさいよ!こっちは時間がないんだから!
OSUGI:姉さん!時間とってやってるのはこっちなんだぜ!ただでさえ忙しいのに、姉さんだからわざわざ時間割いてやってんじゃねえかよ!……まあ、お互い時間がないってことで、とにかくどうしてKIYOSHI YAMAKAWAを知ったかって言うとだなあ~。俺はその日たまたまレコード屋に入って盤を漁ってたわけだな、そうしていたら山下達郎と名前のよく似た山本達彦って人の音源まだ聴いていなかったことを思い出したんだよ。達郎は勿論聴いてたけど、達彦は名前しか知らない。これはシティポップDJとしちゃありえない話だし、だから聴いておかなきゃって「や」行の盤を漁ってたら、すっげえジャケットに、それに輪をかけてすっげえ帯のコピーのレコードを見つけたんだよ。それがKIYOSHI YAMAKAWAだった。姉さんは帯のコピー知らねえだろうな。どうせCDしか聴いてねえんだし。ホントに凄えんだぜ!レコードの帯のコピーは!『シティポップのキング登場!スティーリー・ダンの完璧さと、ボズ・スギャックスの熱いソウルを持つ男が歌う危険な恋のアドベンチャー!』な、ヤバいだろ!俺、帯のコピー読んで、山本達彦なんか忘れてKIYOSHI YAMAKAWAのレコード即買いしたんだよ!
私:で、聴いたら良かったってことでしょ?だってあのアルバムあなたのストライクゾーンだもんね。
OSUGI:なんだよ、そのいろんなものを含みまくった言葉は。姉さんだってKIYOSHI YAMAKAWAに興味を持ったから、俺みたいな忙しい人をわざわざ呼び出して取材してるんじゃないのか?
私:忙しいアピールはヤメなさいよ。そうやってると実は仕事がない人だって思われるよ!で、OSUGIクン。あなたは勿論KIYOSHI YAMAKAWAの全アルバム聴いてるよね?それで、ファーストアルバムについてはどう思ってるの?
OSUGI:ああ!そういうことだったのか!どうりでおかしいと思ったんだ。そういえば姉さん、noteで『アドヴェンチャー・ナイト』ディスってたもんな!
私:そうやって人の傷をほじくり返すのヤメさないよ!私だって悪かったと思ってるんだから!あのアルバムだって今では評価はしてるよ。やっぱりみんなが評価するだけはあるね。で、ファースト・アルバムについては?
OSUGI:なんだよ、その気のない返答はよ。まあ、姉さんはどこまでも頑固者だからな、わかってるからいいけど。で、ファーストについて喋れっての?まああのアルバムを姉さんがスキってのはわかるんだけど、俺は正直ダメだな。なんかあからさまにソウル目指してますってのが出すぎてるのよ。バックが下手だからなおさらそれが目立っちゃってな、姉さんには悪いけど俺にはそれが耐えられないのよ。
私:やっぱりあなたならそういうとおもったわ。そこが私とあなたの音楽感の違うとこね。
OSUGI:まあ姉さんはディープなのが好きだからな。
私:ところであなた、前にtwitterでKIYOSHI YAMAKAWAとコンタクトとったって言ってたけどあれ結局どうなったの?
OSUGI:いや……それが……あのいくら姉さんでも恥ずかしくて言えねえよ。ちょっとした手違いがあってな。
私:手違いってなによ!せっかくKIYOSHI YAMAKAWAに会えたんじゃない!どうしてコラボしなかったのよ!
OSUGI:いや、あっ、もう時間だ!悪いな姉さん、俺もうすぐテレビ局の収録があるんだ!
私:逃げるなOSUGI!まだ話は終わってないのよ!

 後半のOSUGIクンとKIYOSHI YAMAKAWAのコンタクトの部分は今回初掲載の部分だ。OSUGIクンは結局KIYOSHI YAMAKAWAとなにがあったかについて何も語ってくれなかった。ただ別れ際に彼がこういった事は今でも覚えている。

「姉さん、KIYOSHI YAMAKAWAは二人いるんだ!KIYOSHI YAMAKAWAをこれからも取材するつもりなら気を付けろよ!」



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?