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《連載小説》全身女優モエコ 芸能界編 第三十二話:破廉恥極まるロマンポルノ野郎

前話 第三十一話:全裸の女優宣言

 そしてついに本番が始まった。今度は最初に二人がそれぞれシャワーを浴びるところから撮影が行われた。シャワールーム越しの軽い会話。そのセックスを前にした男女の会話が残酷なほど生々しく耳に響く。ああ!モエコよその鼻にかかった声はなんだ。バカのくせに大人ぶって!必死に童貞の上代達夫のふりをするイモリ野郎の南。その南をからかう杉本愛美役の本物の処女であるモエコ。猪狩は目の前で繰り広げられる絡みに耐えられずに目を逸らした。ああ!モエコよ!何が私が教えてあげるだ!お前は処女だろうが!

 シャワーシーンを取り終えた後、しばしの休憩を入れて今度はリハーサルで演じられた告白シーンの撮影に入った。モエコの演技は先程より遥かに素晴らしかった。役者の中にはテイクを重ねるごとにドンドン演技がダメになるものがいる。だがモエコに限ってはそんな事はなかった。生前彼女はよく「今の私こそ最高の火山モエコなのよ!」と言っていた。その通りモエコの演技は演技を重ねるごとに素晴らしくなっていった。この本番の演技もリハーサルの演技など児戯に類するものにしてしまう迫真の演技であった。その演技を見ていて猪狩はだんだんモエコと杉本愛美が重なって見分けがつかなくなるような錯覚を覚えた。愛美のように両親に愛されなかったモエコ。愛美のように身一つで東京まで出てきたモエコ。そして愛美の人生を演じ切るために数々の屈辱を受けたモエコ。南の性的嫌がらせ。チンピラ達の暴行。救いのない絶望の中での絶叫。恐らくドラマのフラッシュバックで流れるであろう愛美の過去が、今、彼の前を走馬灯のように駆け巡った。モエコは今必死に苦悩する愛美を全身で演じている。この十七歳で世間をろくに知らない少女は、あれ程の傷と屈辱を味わわされても、今ここで、彼女に手酷い屈辱を味わせた一人である南に向かって、昨夜チンピラたちに強姦された事を泣きながら告白している。何故なんだモエコ、何故そんな奴に自分の過去を打ち明けるんだ。そいつは上代達夫じゃなくてただのバカアイドルなんだぞ!いつお前を襲ってもおかしくない奴なんだぞ!どうして逃げない。そいつは今お前の処女を奪おうとしているんだぞ!

 シーツを掻きむしり、感情を露わにしながらセリフを喋り続けるモエコを見ているうちに、猪狩はモエコがだんだん自分から離れていくように感じてきた。あの無邪気なわがまま娘のモエコは背景に退いていき、代わりに杉本愛美が舞台の前面に現れた。おい、お前がなぜ出てくるんだ。モエコを出せ!あのバカでわがままでどうしようもないモエコを出せ!モエコなんでそんな所に隠れているのだ!お前は杉本愛美じゃなくてモエコなんだぞ!現実に目覚めろ!だが、そんな彼の心の叫びはモエコには届かなかった。長い告白を終えた愛美は号泣して床に崩れ落ちる。その愛美をバカアイドルの南がバカ面にインチキな涙を垂らながら後ろから抱きしめる。南の熱い抱擁を受けた愛美は顔をクシャクシャにしてその胸に飛び込んだ。ああ!モエコはどこに行ってしまったのだ。目の前にいる女はモエコではなく彼女そっくりの杉本愛美でしかなかった。モエコよ、お前はそのまま杉本愛美として進むのか!何もかも捨てて女優の道をひた走るのか!

 ここで監督のカットの声がかかった。それと同時にスタジオ中から緊張から解き放たれた安堵のため息が漏れた。スタジオ内の人間は一言も喋らずただモエコと南の演技を一心に見つめていた。モエコは演技が終わった途端南から体を離して背を向けた。猪狩はそのモエコを見てまだ理性が残っていたのかと思ってホッとした。ようやくモエコが帰ってきたのだ。でも彼女はすぐに杉本愛美へと戻ってしまう。しばらくしてメイク係がやってきて慌ただしくモエコと南の顔や髪の色直しを始めた。その間モエコは目をつぶってひたすら撮影の再開待ち、バカアイドルの南はそのモエコを、まるでキャンディの袋を開ける前のガキみたいに、イモリみたいに舌なめずりしながらガン見していた。監督が告白のシーンにOKを出せばすぐにベッドシーンの撮影に入る。そうなったらもう彼の入る余地はない。

 まもなくして監督の撮影再開を告げるサインが出た。そのサインが出た瞬間、スタジオ内が一斉にざわつき出した。ああ!とうとうこの時が来てしまった。とうとうベッドシーンの撮影が始ってしまうのだ。

 モエコたちのそばにスタッフが来て、モエコと南にベッドで横になるよう指示を出した。二人は言われた通りに横になる。モエコは緊張しているのかバスタオル一枚の体をピンと張りそのまま仰向けで待っていた。一方南のやつは平気の平左で横に寝ているモエコを気遣うフリまみれの労りの言葉をかけたり、ベッドの脇に立っているメイク係と雑談なんかしたりしていた。さて撮影スタッフ等の短い打ち合わせが終わり、カメラが所定の位置についてさぁ撮影開始となった時、監督が突然声をあげてモエコと南の元へと向かった。監督はニンマリと下品な笑いを浮かべながらモエコたちとスタッフに向かってシーンを追加したいと言い出した。

「なぁ、台本通りだと愛美が達夫に向かって「じっとしてて」とか言ってから愛美が達夫の上に乗っかるだろ?だけどそれじゃあんまり普通だし盛り上がらねえじゃねえか。だから俺は考えたんだ。愛美がじっとしててって言ってから布団の中にすっぽり隠れるシーンを追加した方がいいんじゃねえかってな!」

 この監督の発言にスタジオ中が異様にざわついた。監督の話を聞いていたスタッフも驚きのあまり目を剥いて監督を見た。ああ!この破廉恥なロマンポルノ野郎!とんでもない事考えやがって!モエコは処女なんだぞ!貴様は処女の人間にそんなトルコ嬢の真似事をさせる気か!ロマンポルノ野郎はさらに自慢げに喋り続けた。

「で、カメラはそのまま恍惚となった達夫の顔をクローズアップで撮るんだ。どうだすげえだろ!ここまですげえ濡れ場はテレビじゃ誰も撮ってねえはずだ!」

 この監督の説明を聞いて南のあのものすごい顔をしたマネージャーがさらにものすごい顔をして飛び出して監督を怒鳴りつけた。私も抗議するためにロマンポルノ野郎の元に駆け寄った。

「あなたふざけんじゃないわよ!キョウちゃんをなんだと思ってるの?キョウちゃんはあなたたちのおもちゃじゃないのよ!キョウちゃん今すぐ帰りましょ!こんなドラマ即刻降りてやるわ!」

 このものすごい顔をした女の子マネージャーの真っ当過ぎる批判に、ロマンポルノ野郎は興奮して鼻息を荒くしてこれは愛美と達夫の燃え上がる愛を描くには絶対に必要なシーンなんだと激しく捲し立て、それから急に口調を和らげて南くんはちょっと気持ちよさそうな顔をするだけだし、モエコちゃんはただ布団に入るだけだけでなにもさせないよと言ってマネージャーを宥めた。だがものすごい顔をした女マネージャーは一層ものすごい顔で監督を罵倒し、私もマネージャーに同調して演出を取り下げるよう監督に頼み込んだ。これ以上モエコを傷物にされてたまるか。私も女マネージャーと一緒になって監督を激しく責めた。だがその時、今までずっと黙っていたモエコが突然起き上がって決然とした表情で私たちこう言い放ったのであった。

「モエコ、そのシーンやるわ!なんだかわかんないけど愛美ちゃんがそう望んでいる気がするの。彼女がモエコに必死でモエコに懇願しているような気がするの。だからモエコはやる!本気でやるわ!」

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