45歳で障害者手帳を初めて手にしたおはなし
これまでの私のお話に興味がある方は、↑こちらからご覧下さい。
面倒だなと思う方は、すっ飛ばしちゃってください。
と、いうわけで、42歳で再就職したものの、これがまたポンコツな仕事ぶりでして。
メンタルクリニックの先生からは、自閉スペクトラム症だということ、双極性障害があるということは、就職先に言わなくてもいいと言われたので、隠して隠して仕事をしていましたが、あまりのポンコツぶりに3年目にして限界を感じてしまいました。
仕事内容だけでなく、人間関係も凹むことが多くて、メンタルクリニックの先生に泣きつきました。
そもそも、病気を診断されたのは、
「そんなつもりじゃなくて受診したら自閉スペクトラム症と診断されてしまった」
という、自分はまだ、グレーゾーンなのではないかと漠然と何処か甘く見ていたところがあったので、改めて自分は、その病気のどのレベルなのか聞いたら、
さらっと
「中レベルだねぇ」
と言われ、それはそれは大きく衝撃を受けました。
そ、、それは生きにくいわけだ、、。
そこで人生で初めて「障害者手帳」のキーワードが出てきました。
自分とは全く無縁のものだと思っていたので、そりゃもう驚きました。
恐る恐る、
「障害者手帳に段階があるみたいなイメージなのですが、自分はどこにあたりますか」
と聞くと、
「3段階あるうちの、2だねぇ」
と、先生に言われました。
「に、、2だと??」
その言葉を聞いた日の帰りの車の中で、一人ペソペソ泣いてしまいました。
丁度会社で、障害のある方と関わろうという取り組みをしていて、職場の人がそういう学校へ訪問して接してきたと、話を聞いていたところでした。
その時の職場の人の
「障害っていっても、障害者手帳をもってるような重度な人がいるところ」
という言葉で表現をしていたのを聞いたところだったので、その言葉が頭の中で反芻しました。
家に帰り、早速障害者手帳について調べてみると、それはそれで驚きました。
恩恵があるではないか。
特に自分はシングルマザーで2人の子育てをしてきました。
住まいから何もかも、自分で頑張ってきたけれど、もしかして受けれた制度を受けて来なかったのでないかと、それはそれでショックを受けました。
どんな恩恵があったのか、衝撃が大きすぎて直視できません。
「私すごい頑張ってきたんじゃん」という漠然とした思いと、
「え、何、なんか悔しい、知らなかった自分」という思いが要り混ざりました。
障害者手帳をもらうか貰わないか迷ったけれど、とりあえず頂いて、使うか使わないかはまた考えればいいやと、いう落とし所にしました。
という訳で、人生で初の障害者手帳を手にすることになりました。
まず、メンタルクリニックの先生に、行政に提出するための診断書を作成してもらいました。
先生に、
「出来上がるまでに2週間程度かかるからね」
など、説明を受けたのですが、
「ん?診断書が出来るの?障害者手帳が出来るの?どっち??」
ってあやふやな話で帰宅するわたし、もうそういうところがポンコツなのですよ。
結果、診断書をもらったので、私の単に聞き間違え、勘違いなのですが、本当にここからこんなんで、この先大丈夫なのかよと、自分でも自分に不安になりました。
診断書は封がされてなかったので、怖々見てみると、難しそうな言葉がツラツラと書いてある中、私がかつてメンタルクリニックに通いだした頃に、先生に泣きついた悲しかったと思って話をしていた出来事が、文書化されていました。
……これは恥ずかしいぞ。
思春期の男の子のパソコンの履歴を見てしまったような、
思春期の女の子の夜中に書いたラブレターを読んでしまったような、
なにこの赤裸々なかんじ。
これを誰か見るのか、、、。
破ってしまいそうになりましたが、我慢しました。
本当、穴があったら入りたいです。
自分が入る穴を掘るためのスコップを、誰かください。
そして、市役所に行って申請書を記入し、メンタルクリニック出もらったその激しく恥ずかしい診断書も提出しました。
市役所の窓口のお姉さんは、とても親身になって優しく対応してくださり、説明が難しくて困った時も、3回も4回も同じ説明を、言葉を変えてしてくださり、本当に有り難かったです。
仕事のことも、「務めている会社」というキーワードが出ただけで、涙がポロポロ出てしまい、なんとも情けない姿を晒してしまったのですが、そこもまた、
「障害がなくても誰でもみんな悩むんだよ」
と励ましの言葉を頂き、本当にその通りだなと思いました。
自分が発達障害があるということで、思考回路まで病気になっていたのかもしれません。
そして、申請から1ヶ月後、手帳が出来たという通知が届いたので、またまた市役所にいきました。
こうして無事、障害者手帳を手にすることになりました。
使える時はくるのでしょうか。