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靴下のかたっぽがみつからない ⑭キヨちゃんとわたし

高校卒業したら、家を出て、住み込みで働けるところで就職をするのだと思っていました。
でも、いざ高校3年生、進路で就職希望と書いて提出すると、当時気にかけてくれていた家庭科の先生が、
「ナツゴロウさん、栄養士の資格をとるのはどう?」
と、ピンポイントで進めてくれました。

私の家は、お金が無いだろうし、そもそも勉強が出来なかったので、進学をする気は無かったのですが。
たまたまアルバイト先の先輩で、昼間は栄養士の仕事をしている人がいて、なんとなく話を聞いてイメージは出来て。
よくお泊まり会でお邪魔させてもらったトモコちゃんちのお母さんが栄養士の資格をもっているらしく、お泊まりに行くと、本当に染みる料理を作ってくれるのです。
(フサコさんの料理が食べれなくなってから何年もたっていたものですから、トモコちゃんのお母さんの作ってくれた料理は衝撃的に美味しかったのです。)

かといって、私立の高校で両親には迷惑をかけてしまったし、これ以上わがままは言えないなぁと、思いながらも、自分の人生、栄養士にならなくても資格だけでも持ってると違うのかもしれないと、当時の先生に知られたら怒られそうな発想をもち、ダメ元で両親に進学の話をすると、するっと承諾してくれて、ダメ元で受験してみたら、まさかの合格出来たので、結果まさかの進学、家を出て一人暮らしという、想像つかなかった方向に進みました。

親元を離れたいと思っていたけれど、こういうパターンもあるのか、と心底驚きました。

短大生活は、私生活は本当に楽しかったです。

洗濯をすれば、清潔なタオルで、清潔な服を着れるし、靴下がないと悩むこともなくなりました。
手料理らしい料理を食べてこなかったので、大したものは作れなかったけれど、簡単なもの、例えばシチューやカレーや、目玉焼きでも、いちいち感動して食べていました。

一人暮らしを始めた頃は、周囲の大人から
「ひとり暮らしを始めると親のありがたみがわかる」
と言われましたが、全くわかりませんでした。
むしろ、本当に何もかもが生きやすくなりました。

掃除もそれなりに出来て、もう怒鳴り声や罵りの心配もありませんし、一生このまま時間が止まってしまえばいいのにとすら思いました。

15歳の頃から付き合っていたマサルくんとは、進学をしてすぐにお別れをしました。
彼は、私が巣立って新しい環境で楽しくなったからだと思ったようですが、私の中で少し違くて、高校時代ゴミを投げられて悲しかった時、自分はそれをマサルくんに相談ができなくて、そもそも、過去の自分の体験を話すきっかけがなくて、知るための期間はしっかりあったのに、深い会話が出来ない人なんだなーとふと思ってしまったのです。
そして、同じように付き合いをしてても、人との関わり方で、浅い人深い人が出来るのかと、感じました。
そして、恥ずかしながらも、結婚について聞いてみたら、
「え?結婚?全然する気がないよ」との返事で。
私の妄想の暴走は、失踪してしまったわけです。
今思うと、そんな若い子相手にそこまで本気になるわけないですよね。
お恥ずかいお話です。

そして、とにかく困ったのは勉強です。
そりゃそうだ、もともとおバカな学校に通っていたくらいですから。
ついていけるわけが無いです。
高校は特殊だったので、ちょっと出来ちゃった気がして、勘違いしていたんだ……とすぐに思い知ることになります。
実験が多かったのですが、今何してるんだろ、と思うこと多々あり…友達にノートを借りたり、本当に四苦八苦しました。
テストでは追試は当たり前で、恥ずかしいくらいの落ちこぼれで、それでも奇跡的に資格を取ることが出来ました。
結果、感想としましては、奇跡的に資格は取れたけど、この資格を生かして働いたら、とてもじゃないけど周りに迷惑をかけるのが容易に想像できるので、今の歳になってもペーパー栄養士になっています。
本当にごめんなさい。

と、いっても、衣食住は、人の幸せとかなり近くにいるところにあると思っていて、
「身の丈にあった、季節にあった清潔な服」と、
「旬の食材を使った、心を豊かにする料理」と、
「心が休まる快適で清潔な家」は本当に大事だと子供の頃の経験から痛感していて、どれが一つ欠けてもだめなのです。衣食住に関わる仕事ができるのはいいなぁと、今でも思います。

交友関係は、かなり周囲に迷惑をかけていたと思います。
自己肯定感が低いせいか、常に周りの評価を気にしてしまいます。
評価を上げたくて、つい知ったかぶってみたり、オーバーに話をしてみたり、人を批判してみたり、そして自己嫌悪になってしばらく落ち込む、その繰り返しでした。
自分の事が嫌いなのに、人に好かれたいなんて、そもそもおかしな話ですよね。
私だって嫌ですよ、こんな人が近くにいたら。

短大時代一番仲良くしてくれたお友達は、キヨちゃんという子でした。
キヨちゃんには、私はかなり依存して嫌な思いをさせてしまったと思います。
今でも友達に言われます。
「ナツゴロウちゃんは性別関係なく、人との距離感近い」
と。
はい、本当にそう思います。

キヨちゃんには、かなり負担をかけていたと思います。
いつだかキヨちゃんが、海に泳ぎに行こうと誘ってくれた時のことです。
1泊2日のキヨちゃとのお泊まりデートです。
地元にも電車で行けば海があるのですが、キヨちゃんは湘南を希望してきました。
電車の時刻版が読めない私は、ちょっと躊躇しましたが、その旨を伝えると、大丈夫と言ってくれたので、思いきって行きました。
大好きなキヨちゃんと初めての土地で、自分が行くいつもの海と違って、海の形も波も、砂も、お客さんも、何もかもが違くて、とても楽しかったのですが。
とにかく決めれない私は、何を食べるとか、どこに泊まるとか、どうする?と聞かれても、有耶無耶な返事しかできません。
電車に乗るにも案の定、キヨちゃんは少し迷って私に「この電車でいいかな」と聞かれても、「うーん」しか答えれません。
本当にわかってないのか!って、相当びっくりしたんじゃないでしょうか。
きっと滅多に行かない所なので、キヨちゃんもかなり疲れていたと思います。
余計に疲れさせてしまいました。
休み明け学校で、キヨちゃんがほかの女の子に、すごく大変だったと愚痴っているのをたまたま聞こえてしまいました。
それでも、卒業するまでの2年間、仲良くしてくれて感謝しかないです。

そして、ちゃっかり未来の旦那様とも出会います。
お酒のある席で…と聞いたら、ふんわり想像できるとおもうのですが、そういう出会い方です。
未成年ですから、ノンアルコールですよ。
安心してください。
私が18歳、当時相手は36歳で、16歳の歳の差がありました。
カンちゃんといいます。
カンちゃんは、離婚歴が一つあって、この人も苦労してきたのかな、と、思ってしまいました。
この人は、私の過去のいろんな話しを、ちゃんとうんうんと聞いてくれました。
始めて家に招いてくれて、当時同居していたお母さんが心よくしてくれて、気がつくとわたしは、新しい実家をみつけてしまったような気分になり、すっかり懐いてしまいました。

短大2年の冬には、カンちゃんから一緒になろうと言ってもらえて、もう何も心配しなくていいんだ私、という安心感に浸りました。
考えみたら子供のころから、何か常に不安な気持ちで生きてきましたから。
まだ世の中を知らないそんな20歳の娘の頭の中です。

本当ならその時期はもう周りは就職活動をしています。
実はそれも大きな要因でした。

小さい頃から何をやってもダメダメで、アルバイトは経験があるけれど、それすらかなり困難で、何度もトイレで泣いていたのに、本当にこんな私が就職できるのだろうかと、正社員で働いてる姿がひとつも思い浮かばないのです。
短大でも結局単位を最低限取れる程度に欠席をして、定期的に休んでいたのに、社会人になればきっと、そうはいかないだろうと、不安になります。
毎日休まず行けるか、そこの不安はとても大きかったです。
電車にも乗れないので、ちょっと行ってきて、みたいなことを言われても出来ないし、自分なんて出来るわけが無いと、心の底から思ってしまいました。

結果私は本当ならみんなと同じように、短大を卒業したら正社員として働かなければいけないのに、結婚に逃げてしまいました。

フサコさん達は大反対でしたが、条件付きの結婚の承諾がおりて、卒業した半年後に結婚しました。結婚するまでの半年はアルバイトをして生活をしのぎました。

こうしてお話をしていても、全部それ間違った選択してないか?!とツッコミどころ満載で、本当に恥ずかしいです。
本人は常に一生懸命で、頭の中をフル回転させているのに。

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