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靴下のかたっぽがみつからない ④宮沢賢治とわたし

学校から帰ると、テレビをつけて最放送のドラマや、小さな子供が見る番組をつけて、見ながらランドセルをあけます。
今日はイダ先生に沢山怒られてしまったので、今夜はちゃんと宿題をするんだ、と気分はまだ学校にいます。
家の中は子供の私から見ても、物で溢れていて、なんとなく自分が座る場所が決まっていて、自分の勉強机がちゃんとあるのですがとても汚いので、茶の間でテレビを見ながら、ランドセルの上でその日の宿題のプリントをやります。
勉強が出来ないので、最初の1問、2問目くらいで手が止まり、テレビに夢中になり、そのまま6時のご飯の時間になります。

夕ご飯は、フサコさんが作ってくれます。
「ご飯だよ」と呼ばれると、食卓につき、テーブルの上にある物を押して、自分のスペースを確保します。
箸が目の前に置いて無ければ、台所に自分の箸を探しに行きます。
ラッキーな時はちゃんと洗ってあって、箸立てのに刺さっている時で、1番ラッキーじゃない時はシンクの中にそのまま、残飯と一緒に自分の箸が埋もれている時です。
なんせ、家事が苦手なフサコさんなので、シンクの中はいつも生ゴミと食器で積み重なっていて、どうやらフサコさんは使う食器だけ都度都度洗って、使っていたので、それはそれはシンクの中はいろんな物が溜まります。
ビショビショに腐った残飯のその中に手を入れて、卵の殻が爪の間に入ったりしながら、自分の箸を2本、探して洗って食卓につきなおします。
夏場は最悪です。
子供目線は低いので、よりシンクに顔が近くて、臭いも近くで体験することになります。
虫は当たり前です。

野菜炒め、煮物、ポテトサラダ、切っただけの乾いたサラダ、大抵この献立なのですが、ある時からフサコさんの作った料理が食べれなくなっていて、いつも納豆ご飯や卵かけご飯にして、でもそれだけでは満たされないので、ご飯をおかわりして、また納豆ご飯で食べます。

今思うとそれは太りますよね、、。

そして、7時になりテレビ番組はニュースが終わり、ぐんと楽しい時間になります。
気づくと9時になり、親たちの番組の主導権になります。
2時間のサスペンスになったり、ドラマになったり、それはそれで楽しくて、11時になります。
その頃になると、私は眠くて寝落ちしかけています。

そうすると、フサコさんは物が散乱している茶の間ですから、手でなんとなく物をどかしながら、空いたスペースにペタンコの綿敷布団を敷いてくれます。
その度に部屋のホコリや、色んなものが、ぶわっとなるので、口を閉じます。
学校から帰ってきて、口の空いたままのランドセルも、ギュギュギュと他の物と一緒に部屋の隅にいきます。
ランドセルの上にあった、蓋が開いたままの筆箱は、えんぴつや物差しがちらばります。

そのお布団の中から、一緒にパジャマが出てきたときは、パジャマに着替えます。
ない時はその学校で過ごした体操着のまま寝ます。

歯を磨きなさいとか、顔を洗いなさいとか、言われた記憶がありません。
お風呂に入りなさい、とフサコさんから言われたこともありません。

そのまま、朝になります。
朝はフサコさんが起こしてくれるので、ちゃんと起きれます。
でも、ランドセルの上にあった、2問しかやっていないプリントがありません。

ないよないよと、家の中のものをかき分けて探すけれど、物に埋まってるのか見つかりません。
時間はどんどん過ぎていきます。

ランドセルの口が空いていたので、他の物も紛失していたりします。
筆箱の中の消しゴムだったり、プリントをするための教科書だったりするのですが、ランドセルの中から無くなっていることに気が付きません。

時間が無いのでプリントは諦めて、今度は靴下を探します。
我が家では、家族全員の靴下はこの引き出し、という場所が決まっているのですが、家族みんなのバラバラな靴下をかき分けても、自分の靴下は出てきません。

フサコさんの破れたストッキング、父親の仕事用の靴下、姉が学校ではく黒いストッキング、兄のスポーツソックス、自分のすこしまだ体が小さかったころの、サイズの小さな靴下、どれもみんな片っぽだけ、引き出しの中は、こんもりお互いが絡み合っていて、自分の靴下が出てきません。

最後にお風呂に入った時は洗濯機に入れました。
それを洗濯してくれて干してもらって…

後ろではフサコさんが、「何やってるの、時間でしょ、早くしなさい」と怒っています。

諦めたときは、昨日履いた靴下を、部屋の中からみつけて履きます。それでも片方しか見つからないときがあります。見つからない時は「お腹が痛いから学校休む」とフサコさんに言うことになります。

昨日はいた靴下を見つけて、それをはいて、ランドセルの口を閉じて、慌てて登校班の集まるところに行きます。
(私の通っていた小学校は、近く地区の近所同士で、班が決められて、集団で登校していました。)

班のみんなは、もう私が来ないのかと諦めて、ずっと先に歩いていたりするので、走って追いかけます。

朝ごはん食べてなかった、昨日のプリントやってなかったし、そもそもプリントは手元にすらない、また怒られてしまう、やっぱり私はちゃんと出来ない人間なんだ、どうしようどうしよう。

そう思いながら登校班に辿りつきます。

授業が始まると、宿題のプリントが無くて怒られます。さぁ授業を始めましょうとイダ先生が仕切り直すと、今度は教科書が無くて、自分でもとても驚くことになります。ランドセルに入ってたはずなのに、、、あれ、消しゴムもない、、教室の裏の壁に貼られた忘れもの表は、こうしてどんどん自分のところだけ増えていきます。

「ちゃんとしなきゃ」
と思うのに、全然出来てなくて、ふと学校の昇降口にある全身が映る大きな鏡を見ると、小さな身長に、ぽっちゃりした顔で、服は昨日と同じで白い体操着なのにお腹の辺が黒く汚れてて、髪の毛はしっとりし過ぎている女の子が映っていました。
なんだかすごく惨めな気持ちになります。

その昇降口の出入り口に、大きな額で宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が飾ってあります。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ……」
皆にデクノボーと呼ばれ 誉められもせず苦にもされず そういう者に私はなりたい、と書かれています。

デクノボーとは、どんな人のことを言うのか分からないけれど、きっとこの鏡に映る今の自分に近い人間のことを言うのだろうと思い、そう言う人間になりたいという宮沢賢治の気持ちが、全然わかりませんでした。

私は褒めて欲しいと思いました。

右往左往していた頃のわたし

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