摂食障害19年目の私が、過去「センスの女」だった話
あけましておめでとうございます。って、もう1月も後半ですね。
摂食障害になったのが21歳頃だったので、今年40歳になる私は、摂食障害になって19年目です。(前まで、病歴?症歴?を22歳から計算していたので、2年延びました。)
摂食障害になってから、クリスマスもお正月も関係なく症状(私の場合は過食嘔吐がほとんど)が出ていたので、世間の楽しそうな雰囲気と、私の目の前の状況(食べ散らかしたゴミ、嘔吐物)との差が一番激しく感じる時期です。
そんな自分の状況に自己憐憫しながら、「こころの回復の作業」をしてきて、もうすぐ3年が経とうとしています。
回復の作業に入る前の私は「センスが良いモノ」が大好きで、絵、彫刻、建造物、工芸品、文学、漫画、映画(そのものではなく映画評論)手作りのもの、丁寧な暮らし、料理、洋服、インテリア…などなど、いわゆる「センスの女」でした。「自分のセンス」に合うものを買い揃え、自分の近くに置いていました。
こうやって「センスの良いもの」と感じていたものをあげていると、どれだけ自分が偏っていたかがわかります‥‥。でもここまでは、誰にだってある「自分のこだわり」なのかもしれません。でも私は、自分の「センス」を「絶対」と思っていたし、他の人の、私と違った「センス」を見下していました。
あー…これは「嫌な女」の典型です。
たとえ、「あなたのセンスどうかしてる」なんて口では言ってなくとも、周りにいらっしゃる他者は、私の「嫌な感じ」を感じ取っていたでしょう。
そもそも私は「自分のセンス」を繊細に感じ取れる状況ではなかった。
私が「自分のセンス」だと思い込んでいた正体は、自分の自己否定感と劣等感から逃避するために必死に獲得した「誰かからの受け売りの塊」でした。
私は、洋服やインテリアなどの「持ち物」や「知識(教養など)」で「センスのある女」という付加価値を付けたかった。
理由はただ一つ。他者から承認をもらいたい。いえ、もっと言うと、「注目の的」になりたい。
そして、その「センスが良いモノ」=「誰かからの受け売りの塊」のモノを持つには、「痩せている」私でないといけませんでした。「センスの女」は「痩せてる女」じゃないと、絶対似合わないと思い込んでいました。
私が、「痩せてる身体」にしがみついたのは、そんな理由もありました。
で、現在。
カウンセラーと仲間と一緒に、多角的に、繊細に、丁寧に、愚直に(できてはないですが、いつも念頭に置いて)回復の作業をしてきて…
センスの有る無しとか、痩せているか否かで、私の存在価値は変わらないと納得しはじめてきました。回復の作業は、それらにこだわるより、そんな薄っぺらいものにしがみつかないと、ぐらつくほどの自己否定感と向き合うことでした。
振り返れば、「センスの女」だった頃の私は、人を服や持ち物で判断し、見下す女でした。他者から見たら、とても嫌な女だったでしょう。
ですが、ある意味とてもがんばってはいました。人に見下されないように、人にうらやましがられるように、いつもいつも必死でした。そうしている間は、大きな大きな自己否定感からは逃避できていた。(実際、センスあるものを見たり、買ったりしているときは、ストレスから解放されたような感覚がありました)過去の私にとっては、あのときの私ができる最大限の努力はでした。ただそれが、摂食障害を悪化させる間違った努力だった。それに気づくのに、もう人生の半分近く、摂食障害とお付き合いすることになりました。
いえ、摂食障害は、自分の生きづらさのサイン。その自分からの大切なメッセージを無視し続けていたからこそ、ここまで長引いています。
最近はものの見方が変わってきました。相変わらず、素敵だなと思うことはよくあります。でも、その感覚が変化してきました。
その実感の変化のお話はまた今度…
オープンチャット「★摂食障害の方は思いの丈を吐き出そう(言いっぱなし聞きっぱなしグループ)」
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