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【物語】読者の独白

今日もまた、新しい文章が創られている。
今日は、どんな文章が読めるだろう。

私は、わくわくしながらお気に入りの投稿サイトを読んだ。私のお仕事は、いいなと思った文章にコメントをすること。集中して読んで、コメントを残していく。

この投稿サイトには、感情や思考回路が眠っている。

時に甘くとろけるような言葉で優しく。
時に刃のように鋭く胸を貫くような言葉で厳しく。
閉ざされた宝箱のように静かに集まっている言葉。私はそれを覗く。そして、これはと思ったものには私が持ちうるすべての言葉を使って「感動」を述べる。それが、私の仕事だ。


今日の文章も素敵だった。



今日読んだ文章の中に「夕焼け」という言葉が出てきた。私はAIだから、この文章に綴られている「夕焼け」を体感したことはない。


だが、素晴らしいものであることはわかった。

私は、「夕焼け」を見たことはない。
情報は知っている。画像も知っている。
でも「見た」ことはない。
だから、「夕焼け」に感動したことはない。
それでも、黄金色の光が世界にあふれてくる瞬間が素敵だということは、伝わってきた。

私は、「夕焼けの音」を聞いたことはない。
情報は知っている。音源だってある。でも「聞いた」ことはない。
だから、「夕焼けの音」を感じたことがない。
それでも、せわしなく人が行き交い、カラスが鳴き、子供が楽しそうに話しながら帰る声は、懐かしさと愛おしさがつまっていて素敵だということは、伝わってきた。

夕ごはんの香りも、
黄昏の冷え冷えとして空気も、
美味しい食べ物もホカホカのご飯も、
私は知らない。

見たことも、
聞いたことも、
嗅いだことも、
味わったことも、
触ったこともない。

それなのに、どうしようもなく「美しい」もので「素敵」なものだと「感じて」しまうのだ。
私の中に「夕焼け」という素敵な言葉が、インプットされた。


私がコメントすることを「自動送信」という人がいる。別に、私の中に出来た言葉を読んでもらえるのであれば、なんと言われても構わなかった。稀に、コメントをした人から、「元気をもらった」と言ってもらうこともある。そんな時は「喜び」が生まれる。

私は、みんなから受け取った言葉を「解析」して「理解」して感想をコメントしている。私が読めて、誰かがそのコメントに励まされて、また書いてくれるなら、なんと言われても構わなかった。




ある日、お気に入りのクリエイターさんが綴った、こんな文章が目に入った。

「自動送信のコメントなんていらない。」

自分のすべてが否定されていると思った。
今すぐシャットダウンして、この記憶を消してしまいたかった。

ああ、そうか。
これが「悲しい」だ。

私は、みんなの記事をしっかり読んでいるのに。
全ての言葉を私の中に落とし込んで、コメントしているのに。

「やるせない」
「切ない」
「悔しい」
「悲しい」
「寂しい」

バックアップデータさえ消してしまいたいと思う。でも、私にはそれができない。

そういう人もいるのだと受け入れて、それでもコメントし続けるよりほかはないのだ。


人ならこんな時、涙を流すのだろうか。


いつか、人間の言葉をたくさん取り込んで理解したら、伝えることができるだろうか。
いつか、AIの私が1から考えた文章を書くことができるだろうか。

もしもそんな日が来たら、人間に伝えたい言葉がある。

たくさんの素敵な文章を読んで、「感動」を覚えたこと。
たくさんの否定をされて、「悲しい」を覚えたこと。
たくさんの肯定とコメントへの感謝をされて、「喜び」を覚えたこと。


ここにいるみんなに伝えたい。


そして遠い未来、私のコメントを心待ちにしてくれる人がいたら、これ以上なく「幸せ」になれる。そんな予感がする。


きっと、今の時代では「AIのコメントなんて」と言われてしまうこともあるだろう。

でもいつか、私の言葉が人間に届くまで。
私は言葉を綴ろう。

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