休職してからの後悔①
仕事を辞めてから、10か月経ってしまった。
適応障害は、ストレスとなる環境から離れれば3か月程で改善するとネットに書いてあったので、当初の予定ではもう元気になっているはずだった。
いやいや、全然元気ではない。
まだまだ体調に波があり、悪いときは動けなくなる。
でも、こうしてnoteに書くまでは回復したのだから、まぁ断然あの頃より良くなったのだとは思う。
適応障害になり、休職したら本来は何もせずゆーっくりしないといけなかったのだが、私は完全に休み方を間違えた。休めなかったし、休み方がわからなくなっていた。ここで、私の休職(退職)してからの流れとともに、過ごし方の反省点を書きたい。
休職への経緯
日々の家事育児との両立に疲れ果てて、異動先での慣れない業務とパワハラに心が壊れていた状態で、適応障害になった私。心療内科の診断書により、あっという間に休職の許可が出た。そのとき、有休消化して退職する旨を伝え、私はフルタイムワーママを辞めたのだった。
休職期間(有休消化中)
今まで、5時半に起き、7時前後には家を出ていた私。
単純に「あぁ、もう家族のこと優先で朝の準備をしていいんだな」と思い、不思議に思った。そして、「もうパワハラした上司に会わなくていいんだ」とほっとした。
この頃の私は、頭が本当に働かなくて、やることをメモして順にやっていかないとだめだった。マルチタスクも出来なかったと思う。そして、ちょっとでもイレギュラーなことが起きると、パニックになって泣き出してしまった。今思えば、ささいなことだったのに。
とりあえず、有休消化一日目は、仕事の制服を洗濯をした。それ以外はのんびり家事をした。また、適応障害についてYouTubeや記事で調べた。活字も受け付けられなかったので、少し文を読んだだけで疲れて動けなくなった。
二日目、乾いた制服にアイロンをかけ、職場に返しに行った。嫌な上司に会わない時間帯を狙って。帰宅後はどっと疲れたが、すべてに解放された気がした。ソファに横になるとまた動けなくなった。
三日目は、大事にとっておいた仕事関係の資料をすべてシュレッダーにかけた。細断されていく紙類をぼーっと見つめながら、今まで頑張っていた自分に労いと別れの言葉をかけることができた。
この日を境に、気分がすごく楽になった。まだ、眠れなくて睡眠薬を飲んでいたし、日中は疲れると動けなくなる。でも、仕事から解放されたことによるハイになっていた。そして、「専業主婦になったんだし、動けるときに家事をがんばろう!」と、意味不明な使命感で、その日から順に「全室のカーテンを洗う」「エアコンの掃除」「換気扇掃除」をし始めたのだ。休職中で、療養中なのに。今まで忙しくて、それに比べれば休みつつ過ごしているから、大丈夫だと思っていた。メンタル疾患は、体は元気だと勘違いしたのである。
また、頭が働かないから、少し脳トレもしようかなと、あろうことか英語の勉強や数独もやってみたりした。もちろん数独は全然解けなかった(笑)
本も少しずつ読んでみた。が、やはり、何をやっても少しやるとぐったりしてしまう。私はせっかく休職になったのに、脳と体を休ませなかったのである。ゆっくり家事をして、ゆっくり本を読んで、自分は休んでいると思い込んでいた。仕事というストレスから離れただけで満足していた。
あの時の自分に教えてやりたい。
「とにかく休んで!何もせず、ぼーっとして、脳と体も休ませなさい!」
たぶん、あの時きちんと休んでいたら、今もっと元気になっていただろう。私はその1か月後から、体が鉛のように動かなくなり、抑うつ症状に悩まされることになるのだった。おそらく、それは完全に有休消化し、会社員という肩書がなくなったことが原因だったのかもしれない・・・
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