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【日記】キャリアカウンセリングを受けて②

今日はキャリアカウンセリングの講座の日。
 
 
朝、眠い目をこすりながら早起きし、自分を変えるために人の話に耳を傾けている。
 
一年前の私からは信じられない姿かもしれない。
 
去年の自分は自分を変えようだなんて、微塵も思っていなかったのだから。
 
 

私の受けているキャリアカウンセリングは、あまりキャリアの話はしない。
 
どちらかというと人生の話。
 
自分がどう生きていきたいのか。
 
自分にとって最高の生き方とは何なのか。
 
つまりは、自己改革について語っている。
 
 
今日は忘備録として、先生が語った内容のうち、特に印象に残ったフレーズをピックアップして、そこに内省を添えたいと思う。




1.願いを叶えるのは自分の役割


「目的地」に行くには、自分で歩きださなくてはいけない。

自分で自分の第一歩を踏み出せない人は何も叶えられない。

運はぼけっとしている人には味方をしてくれないけれど、足を踏み出した人には、必ず味方をしてくれる。

だから、小さくてもいいから「目的地」に向かってラクに楽しく「一歩」踏み出してほしい。

これをした人には、運が味方をしてくれる。

けれども、この「一歩」を踏み出さない人が多い。

もしくは、本人の身の丈に合わない無理な「一歩」を設定してしまう人が多い。

そうではなく、今日・明日からできる「一歩」を自分でデザインして始めてもらえればいい。

 
これは、先生が初回の講座の時から、ずっとアドバイスしてくれていること。

「目的地」=夢を叶えるために、楽にできることから始めていこう、というのが先生の一貫した助言である。

2.すべては自分がそう選んでいる


人生は100%、自己責任。

今の人生は例外なく自分が作り上げたもの。

人生、自分が全てそうなるよう選んだ結果である。



この自覚がないと、以下のような状態に陥りやすいので、注意すること。

① 他責思考になりやすくなる。
② 白黒つけたくなる。
③ 何事にも証拠を求めがちになる。
④ 過去や未来に囚われてしまう。

これは刺さった。
 
私は今の自分の生き方がいいものだとは思っていない。
 
むしろ、恥ずべきもの、マイナスのものだと思っている。
 
一つのことが長続きしない。
やりたいことの方針が定まらない。
なにをやってもダメな人生。
それが私の生き方だ。
 
心のどこかでは「自分で望んだものじゃない」と言い訳していたが、先生はその言い訳を許さなかった。
 
痛い。
ストレートに心に刺さった。
 
しかし、おっしゃるとおりなのである。
 
確かに自分の行く道を決める際、時には誰かが助言をしてくれることもある。
 
だが、最終的に選んでいるのは、私、なのだ。
 
今の私の境遇は全て私の選択の結果。
 
この事実は粛々と受け入れるしかない。


3.罪悪感はただの見栄


人間誰しも罪悪感を抱くことがある。

「悪いことしちゃったかな」

「もっとああしてあげればよかった」

「ひどいことしちゃったかもしれない」


しかし、これらの罪悪感は全て見栄。

相手に「良い人間だと思われたい」という欲望や恐れに過ぎない。

罪悪感に身を任せてしまうと、自分で自分の人生の主導権をにぎれなくなる。


ただし、自分の中に罪悪感があると気づいたら、罪悪感を無くそうと思わなくていい。

「私は人によく思われたいんだな」と受け止めることが重要。

そうすることで、自己受容をすることができる。


この言葉も心に刺さった。
 
何せ私は罪悪感の塊。
 
なにか行動するたびに「ああすればよかった」「Xさんに悪かったかな」という自責をする傾向にある。
 
けれども、その自責の根源にあるのが「いい人間だと思われたい」とズバリ指摘されて、正直凹んだ。
 
ああ、そうなんだ。
 
私、人に「いい人間」だと思ってもらいたがってるんだな。
 
本日一番の気づきである。
 
 



以上、カウンセリングで気になった先生の言葉である。
 
今日一番の収穫は何といっても、自分の罪悪感が「いい人に思われたい」という欲求から来ているものだった、ということだ。
 
「いい人に思われたい」というこの感情、なかなか厄介である。
 
なにせ私はアダルトチルドレン。
 
人に嫌われることを何よりも恐れる生き物。

私にとって「いい人に思われたい」という感情は「世界中の全ての人にいい人だと思われたい」というものなのである。
 
しかし、万人に好かれるなんて土台無理な話。
 
現実は現実として受け止めつつ、自分の中の「いい人」欲求とどう向き合っていくのか。

これが当面の課題になりそうだ。




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