【エッセイ】心を置く
ある感情が湧いてきたなら、それをあるがままにさせておく。そこに入り込もうとしないことによって、その感情に場所を譲る。
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どんな感情も、私たちにはそれを感じきることはできない
私たちは私たちである以上、純粋に喜びも悲しみもしない
それを感じること、それ自体がどういうわけか不純さを呼び込む
だから、感じることは、感じないことでもある。すくなくとも、感じないことをそのどこかに含んでいる
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風に吹かれながらふと心地よいと感じるとき、それを感じているのは誰だろうという問いが湧く。すくなくとも、そんな問いを持ち出した心ではないだろう。
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心はいつまでも黙している。そうでないと言葉が繰り返されるわけがないのだ。
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愛するとはたぶん、ある沈黙にむき出しの沈黙で向かい合うことだと思う。それはなによりも自分自身にたいしてのむき出しだ。
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心には痛みを感じる機能がないから、取り返しがつかなくなってからはじめて痛み「に」訴えはじめる。私たちの側から言えば、心は鈍感なのだ。そしていつも時間に置いていかれている。
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心との距離が離れていくことを老いると言う。
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心と私たちのあいだにはどんな必然のつながりもない。とすると、だからこそ私たちはなにかを感じることで、心をもっと近くに引き寄せたがっているのかもしれない。
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たったひとつの心を挟んで、私たちは向かい合う。そのひとつの心を、取り合うようにやりとりするときもあれば、あるがままにさせておくときもある。あいだに置かれたその心を一緒になって慰撫するようなときもまたある。
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それまで撫でたり取り合ったりしていた心をその場にそっと置いて、それぞれに別の方を向いて、心のそばを離れていく。
読んでくれて、ありがとう。