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線より下は、本当のなかに嘘を、嘘のなかに本当を、まじえて書かれる。 以前、「感情移入」…
思わず読み入ってしまう文章のなかには、ついその題名さえ忘れてしまうようなものがある。 ふ…
誰にも気づかれずに、胸にしまっておかれた、誰も(自分でさえ)見向きもしないような秘密が、…
花という世界の結び目、時間の流れの中わだかまった小さな渦。私たちの視線は、ときおり、その…
なにかしらを「諦める」、「諦めた」というとき、そこにある状態は奇妙だ。その対象に向かう自…
そのとき、先生が自分に言った表情は思い出せる。その言葉も。だけどその顔ははっきりと思い出…
なにかを信じるというとき、それはいつも、誰かの代わりにだ。 * 誰の、何の名においてでもなく、代わりに。 ≒ それを信じきれなかった人の代わりなのか、信じなかった人の代わりなのか、疑った人の代わりなのか、憎んだ人の代わりなのか、そもそも信念も疑念も抱いたことのない誰かの代わりなのか。 * 誰の代わりに信じているのかは永遠にわからない。私たちがいなくなっても、その信念が消え去っても、この謎だけは残りつづける。 ≠ その誰かを忘れるほどに信じる感情は強まっていくか
打ち明けることによって、隠れていくものがあり、それを明らかにしたいとでもいうかのように、…
無意味と意味のないことは、必ずしも一致しない * 私たちの心のどこかが、その都度意味のフ…
比喩とかたとえとか、とにかくそういったものには、必ずどこかに「弱さ」がある どこかと問う…
私たちは他人についても世界についても夢を見ているに等しい。 ≠ なにかをできるようになる…
自分の動機とか内面とか呼ばれるもの、感じているものを、まったく知らない言葉で書かれている…
すべてを滅ぼせるような能力をもった存在は、きっと、それだけの能力をもっているために、すべ…
どこかが痛むとき、その痛みを私たちは邪魔に思う。けれども邪魔なのはむしろ私たちのほうではないか。私たちがいなければ、痛みは痛みにならなかったはずなのだから。 * 体と私が、痛みを介して、お互いに自分の障害となる。痛みのむこうとこちら側。 ≒ 私たちがその都度言いたがっていることと、私たちが私たち自身から聞きたがっていることは、どこかズレている このズレを極小にできるのとが文章の上手下手ということなのだろうけれど、それを極小にすることに、なんの気兼ねもないということはな