「頼りにしているよ。」という呪いの言葉
いつからだろう。
「頼りにしているよ。」
この言葉が辛くなったのは。
以前記事にした通り、
私は、周囲の機嫌ばかり伺い、人に甘えことが苦手な子供だった。
その原因の一端が、
「頼りにしているよ。」
という一言だ。
「お兄ちゃんだから」
「頭がいいから」
「なんでもできるから」…
祖父母や両親からそう期待され、
家事全般から喧嘩の仲裁、家具の補修や庭の手入れなど、色々なことをこなしてきた。
みんなが困ったり、不機嫌になるのが嫌だったから。
失望されたくなかったから。
最初からなんでもできたわけじゃない。
やる人がいないから、できるようになるしかなかった。
できるように、努力するしかなかった。
でもそれが、いまの自分を苦しめている。
社会に出てからもこの性格は変わらず、
守備範囲だけが広がってしまって、断り方が身についていない。
ちょっとの「できますよ」が、積もり積もって最終的にパンクする。
「頼りにしてるよ。」
この言葉でモチベーションが上がる人もいるのかもしれない。
でも、私にとっては、
期待に応えなければならないという責任感
出来なかったら失望されるという恐怖感
を与える呪いの言葉である。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?