見出し画像

【母ちゃんと2人】③明日の明朝〜私が防災について書く理由〜

皆様おはようございます。
今日は引き続き阪神大震災の経験談を書いていきます。今日は「人間の醜さ」について。

〜ここから〜
余震はまだまだ続く。
冷え切ったまだ太陽も出切っていない朝。
私と母ちゃんは2人で家の外。持ち出した布団で母ちゃんを覆い震えていた。

そしてフっと、空を見ると、東の空が真っ赤に染まっている。「なんや、あれ!」と近所の誰かが叫んだ。すると、違う方向から「長田が燃えているらしい!」と大声で叫びが聞こえた。

私は神戸市の第3学区という学区で、母校にはたくさん長田友達がいた。

余震も減り、母ちゃんに「長田行って来ていいか?」と尋ね、当時私の愛車だった原付バイクに乗り長田は向かった。

まだ長田空は真っ赤だ。戦争は経験した事はないが、恐らく空襲に遭うと、この様な空だったんだろう。

そして長田に近付くと考えられない風景が…。

新長田駅近辺は当時栄えており、デパートや商店が沢山あった。
ゆっくりデパート前をバイクで通ると、多くの大人たちがデパートに押し掛け、ブランド品を持ち出している。

またその隣には銀行が。

1人のバールを持った男がATMに突き刺し、火事場泥棒を仕掛けている。

この光景、本当に地獄だった。

本当ならば「やめとけ!」くらい叫んでも良かったのだが、声が出ないほどの何とも言えない感情。

私は無視をしてそのまま友人の家に向かう。多くの建物が倒れ、また火の手があちこちに。まさに空襲に遭った様な状況。

普段なら目をつぶっていても友人の家には辿り着くが、道がない。どこを走っているのかも分からない。

そのまま探していると、焼け崩れた家の前で泣き崩れている友人を見つけた。

「おい!大丈夫か⁈」と声をかけた。友人からは「妹があかんかった…」と啜り泣きながら私の腕を掴んできた。
その時、焼け崩れた家を友人が指差したのだ。

もう少し早くこの場に来れたら、もう少し…。

ここまでご覧いただき本当にありがとうございました。
文章が下手くそで伝わり難い表現も多くあったと思いますが、震災の悲惨さが伝われば幸いです。
こんな悲惨な経験から、「平時に備える必要性」について、本当に大切である事を少しでも感じていただきたいです。

いいなと思ったら応援しよう!