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生活と、旅。懐かしい台所がある記憶


𓃗 秋のポタージュ𓃰

*材料*
a.
さつまいも 2本
玉ねぎ 1個
かぼちゃ 1/4個
お米と雑穀 適量
オリーブ油 適量

豆乳 200ml
塩胡椒 適量

a.秋の甘みをたっぷり煮込んで、ブレンダーでなめらかに。豆乳を加えて、沸騰させないように温め、塩胡椒で整えます。ハーブやスパイスはお好きなように。

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✂︎........𓃗

『生活と、旅。懐かしい台所がある記憶』

わたしにとって、キッチンは特別な場所だった。

20代、ふたり暮らしの自由気ままなはずの生活は、自由に絵を描き、仕事を選び、行きたい場所に行き、会いたいひとと連絡をとりあい、読みたい本、学びたい語学に時間を使う、それらすべてが不自由だった。

限られた生活の中で、一日に何度かキッチンにいる時間だけ唯一ひとり気ままに過ごせる。空想も泣きたい気持ちも、台所にいるときは少しだけ自由。あたまのなかで好きな言葉を並べてもいい。感情を抑えることにいつしか慣れすぎて、最後はキッチンすら空白になってしまった日から、料理をすることが心にとって大きなハカリのようになっている。

誰かのために料理をするのはもちろん大好きで、友人や家族がおいしいといってくれるとき、空白のようにおもう日々に少しずつ新しい意味が生まれる。あぁ、よかった、と愛おしさに変わる。

長らくひとりで料理をするのが、どうしてか苦痛で、ごはんに納豆やたまごや梅干しをかけてごまかしていた。ごまやとろろ昆布、いろいろなあじのふりかけや雑穀、胡麻油。たくさんの納豆ごはんや、たまごかけごはんを食べた。それもそれで、十分に食べる贅沢なのだ。

祖母と暮らしていたころ、母や祖母や伯母たちと一緒に料理をするのが好きだった。庭や畑の野菜と果実、ふかふかになるパンとお菓子、ジャム、かぼちゃだんご、ほおづきの飾り、秋の落ち葉探し。家族はけんかしていることもあったけれど、みんなで囲む食卓は大切にされていたのだと大人になって気づく。

台所は、特別。

秋鮭とすじこづくり、おばあちゃん好きだったな。空気が凛と冷たくて、ストーブをつけようか、迷う。家から見える大雪山から、秋を告げる紅葉がそろそろ始まるかしら。

とりとめない散文になってしまったけれど、台所に立ち、掃除や洗濯をしながら、絵を描いたり、勉強や仕事を片付けるような、あたりまえだったはずのあたりまえが、いつかの特別。誰かがあたりまえを説くとき、べつの誰かにとってそれは、どこかで読んだ空想の世界への旅のよう。

生活と、旅。

どちらも、きっと、大切なこと。

#今日のおうちごはん

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