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ごきげんである為の中庸スタンス

最近手放す経営ラボの活動に夢中なのですが、
ラボ内広報のMTGチェックインの時にメンバーの一人が
面白い話をしてくれたので今回はそれについて書きます。

簡単に大筋を話すと、
ネガティブなことがあってその時は落ち込んだけど、
それがきっかけで良いことがあった。
だから、何か落ち込むことがあってもクヨクヨせず、
その一見ネガティブな事象がどんなポジティブにつながっていくのだろう?
とごきげんを保つことが大事だって話でした。

そこから他のメンバーも加わり、ご機嫌の語源は仏教用語であること、
また一般的にいうご機嫌と今回先に挙げたご機嫌のスタンスは
異なるということがわかったのでした。

実は自分にも似た経験が過去にあって、
どんなにネガティブなことがあっても中庸スタンスでいようと
思ったのだけど、簡単に忘れてしまうから、
心に刻むためにもブログに残しておくことにしました。


機嫌の語源「譏嫌」とは?

ご機嫌は実は仏教用語の言葉で、「ご譏嫌」と書くそうです。
まずは一つ一つの漢字の語源を見てみようと思います。
「譏(そし)る」という馴染みのない漢字。
これが機嫌の語源の漢字らしいのですが、
この「譏(そし)る」は他にも謗る・誹る・詆る
(いづれも読みは「そしる」)とも書くそうです。
こう見ると言偏の右側は旁ら(かたわら)とか、
非難の非とか低いや底を意味する氐とかちょっとマイナスな印象?

とはいえ、氐は根本という意味もあるそうなので、
良くも悪くも、あれると思うのですが。

そして「譏」の右辺は「幾(いくら)」と読み、「きざし」(例:幾微)や
「こいねがう」(例:庶幾)という微かな希望のような意味もあるらしく。
幾らでも言える感じがする譏るという言葉。

機嫌の「嫌」はよく知る嫌う(きらう)という意味で、
この漢字は女+兼=「気持ちが二つにまたがっている」=「不安定な状態」
を指すそうです。
なんだか以前樋口さんが愛のビジネススクールでおっしゃっていた、
「すべての嫌いは最終的には繋がりたいという愛の裏返し」という
言葉を思い出します。

そして「譏嫌」という言葉は「息世譏嫌戒」という北本涅槃經11卷の
戒めのうちの一つで、仏教のお坊さんが世間からの嘲笑や疑惑を
鎮めるために定めた販売、策略、飲酒、ニンニクやニラなどの
五葷食を禁止したものだそうです。

中庸スタンスでみるごきげん

仏教に詳しいラボメンバーが加わって機嫌の話をしていたら
中庸という儒教用語が出てきて、
ごきげんには一般的にいう水戸黄門のような「人生楽ありゃ苦もあるさ」の
ご機嫌と儒教的な意味の中庸なごきげんがあるよねという話になりました。
これ図で比較すると結構わかりやすくて、
自分的にすごく理解が深まったので、それを下に示します。
というかこの図を残したくて、このブログを書きました。

一般的なごきげん

一般的にいうご機嫌は、例えば「パートナーが突然花束をくれた」とか「褒められた」とか、「上司に叱られた」とかその出来事を「嬉しいこと」、「嫌なこと」と判断してそのイベントに一喜一憂すること。
だから水戸黄門のように「人生楽ありゃ苦もあるさ」と言って
朝ハッピーなことがあっても夜に嫌なことがあって、
人生の嬉しいことも嫌なことも半分半分だよね。
みたいなスタンスで。


中庸なスタンスのごきげん

今回改めて学んだのは中庸のスタンスで起こった出来事を見るってこと。「パートナーが花束をくれた」はその花束をなるべく長生きさせようと、
毎朝水やりをする必要があるだろうし、花はいつか枯れてしまう。
「上司に叱られた」は、実はその上司が自分は成長の見込みがあると思ってした、
愛のあるアドバイスで、そこから偏見を持たずに、
言われた通りやってみたら上手くいって、上司から別の大口案件を任されることにつながるかもしれない。
だけど、ここで大事なのは、どんな出来事も、起こったその時点での
自分の好ましい、好ましくないに任せて、喜んだり、落ち込んだりしていると、その先のラッキーまで逃してしまうかもしれないってこと。
だから、どんなに悲しいことや辛いことが起こっても、
これがどんなハッピーにつながるんだろう?とワクワクしながら日々過ごすといいよね。っていうメンバーのチェックインから学んだごきげんのスタンスでした。

最近ちょうどなんとなく気分が塞ぎ込み気味だな、ついてないな〜
などと思った時は、この話を思い出して、
前向きに、この出来事がこの先どんなハッピーを引き連れてくるのかと
気落ちせずに中庸な心持ちで日々を過ごしたいと思います。


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