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懐かしの就活 体験記 -2014年卒-

 高校時代の同級生が高校の先生をやっていて、文理選択で悩む生徒に文系の就活の話をしたいから体験談を教えてほしいと相談を受けた。いまどきの若者の役に立てるかもしれないと思うと、なんだかすごくわくわくして一生懸命 自分の就活の記憶を掘り起こした。


2014年卒の就活事情

 今よりかなり早い3年生の12月が経団連の定めた就活解禁時期だった。私の周りはこの時期に就活を始める人が多かったけど、早い人は夏休みに長期インターンシップに参加していた。この頃は今みたいに1dayインターンシップはあまりなく、1カ月程度の長期が主流だった気がする。 

いざ就活スタート

12月 私は何に興味あるのかな?探求期

 私は地方の国立大学の文学部を専攻していた。文学部で学ぶことは仕事に直結するようなものではない。ポジティブに捉えると、就職する業界は何でもあり。自分は何が好きなんだろう?を探るため、複数の企業が集まる合同説明会で多くの企業の話を聞いた。銀行、鉄道、製紙、鉄鋼、バス、航空、自動車、精密機器、食品、観光…。ありとあらゆる業種を見た。

 合同説明会に参加して社会人の話を聞くと、働くことへの不安は少し薄れた。むしろ、働くことが楽しそうな気がしてきた。やりたいことが、頑張れば何でもできるんじゃないかと感じてた。周りの文学部の友人たちも、まだ自分の興味を探してる感じだった。

1月 『就活の軸』は何?自分迷子期

 合同説明会よりも各企業の個別説明会が増えてきた。手当たり次第にどこにでも話を聞くということが難しくなってきたので、自分が興味のある業界・企業を絞る作業を始める。

 自分が興味ある企業を知るために、自己分析を開始。大学の就活支援の一環の自己分析イベントに参加してみたり、マイナビとかの自己分析ツール使ってみたりした。いまいち自分の軸が定まらず、何したいんだ?と焦る。自分がそんな状態のなか、早い人は内定して焦りが加速。とはいえ、まだ就活は始まったばかりだから、まだ大丈夫とも感じていた。

2月 軸がブレブレ 自信喪失期

 エントリーシート(ES)を提出する前段階のプレエントリーが開始され、80社くらいプレエントリーした。大手3社のリクルーターが付き、いくつかの企業で早期面接が始まった。リクルーターは、鉄鋼系、重工系、現職の会社で付いた。

 初めてのリクルーターは、鉄鋼系の4、5歳上のゴリゴリ体育会系の男性だった。お茶するぐらいの軽い気持ちで行ったら、何でインフラ系企業で働きたいのか?を深掘された。準備を全くして無かったので、社会に貢献したいからという上辺だけの回答に終始した。リクルーターは”面接”なんだと実感。2社目の重工系は、一人目が若手の女性、二人目が年上の男性だった。今度はまともに会話をしたけど2人で終了。あまり準備していなかったので、やはり内容は薄めだった。3社目が現職の会社、4、5年目の男性。それなりに会話したけど、薄いことしか言えず面接には進めず。

 他にも早期の面接にいくつか行くも、うまく話せず思慮の足りなさを突きつけられる。こんな状態で私は会社から内定をもらえるのか?と自信を喪失し始める。

3月 『誰と働きたいか』が自分の軸 自信回復期

 翌月の面接解禁に向け、ESを本格的に書き始め30社ほど提出した。しかし、自分の就活の軸がブレブレで、どうしたいか不明過ぎてESがなかなか通らない。

 そんな時に、たまたま社会人女性と交流するイベントに参加することに。何を言われたかは覚えてないが、就活のもやもやが晴れ自分の軸がはっきりした。自分は『何がしたいか』ではなく『誰と働くか』に重きを置いてるんだと腹落ち。企業研究も実を結び始めてESが通り始めた。リクルーターや早期面接の経験を経たことで、面接にも慣れはじめとある銀行の面接が順調に進んでいった。

4月 面接は会話することだったのか 成長期

 本格的に各企業の面接スタート。面接では面接官と会話することが大事だと気付き始める。会話するためには、自分のことをきちんと話せることが重要。自分は誰と働くかを重視して、何がしたいかは会社入ってから考える(社会人経験のない自分が、その会社で何がしたいかなんか簡単に分かるわけない)という気持ちで臨んだ。いつも上手くいく訳では無いが、手応えがあったと感じたところは次に進めた。一次面接を通過したのは15社くらい。3月から始まっていた銀行は順調に最終面接まで進み、現職の会社も最終面接まで進んでいた。

 現職の会社はリクルーターでは、面接に進めなかったが通常の面接で一次を通過。リクルーターの人が、何かあったら気軽に連絡してねと言ってたのを真に受けてメールで相談していた。すると、本気の熱い回答が来たので、こんな人がいる会社で働きたいなと、行きたい気持ちが盛り上がっていた。

 そんな中、銀行の最終面談で就活の状況を確認された。面接は面接官と会話することだと考え、本音で素直に会話するのが大事だと思っていたので、正直に現職の会社と迷ってると言ってしまった。すると連絡が来なくなった。内定を一つでも握って、安心して現職の最終面接に進みたかったので、ちょっと、いやかなり焦った。

5月 内定獲得 安心と不安期

 ついに現職の最終面接の日がやってきた。リクルーターの人にもメールをして準備万端のつもりだった。しかし『そうじゃなくて、こうしたほうがよかったんじゃない?』という言葉に全く反論できず、『確かに、そうした方がよかったと思います』としか言えない場面があり、やらかしたかなと思ってかなり落ち込んだ。そして、今までは翌日には連絡あったのにそれが無かった。

 面接に進んでる持ち駒も減ってきたのでかなり焦る。銀行で迷ってるとか正直に言うんじゃなかったとか、もう現職の会社では働けないのかとか思いながら、就活を継続していたら現職の会社の面接官から合格の連絡があった。

 速攻で、他社の面接のお断り連絡し就活を終了した。が、内定したら、内定したで、今度は本当にこの会社で決めて良かったのか?まだ、就活して、内定を複数手に入れて、選んだほうが良かったのでは?とめちゃくちゃ悩む。大学の先輩に相談したところ、『武器としての決断思考』という本を勧められた。内容覚えてないけど、自分で考えて決めろ、みたいなことが書いてあったと思う。それで、自分で決めたことだし大丈夫!となった気がする。これにて私の就活は終了した。

文理選択したときを思い出して

 かなり前のことなので正直あまり覚えてないが、私が高校生のときに文理選択したときは、将来のことはほとんど考えていなかったと思う。でも、その割に自分の可能性は早くも否定して、周りに合わせて医者や弁護士など高度な知識が必要な職業は最初からあきらめている感じだった気がする。その土台の上で、今自分が興味ある事はなんだろうか?と考え、当時歴史小説にはまっていたこともあり、日本史を選択できる文系を選んだと思う。

 自分の興味があること起点で文系を選択して、大学で文学部を専攻したこと自体は全く間違っていなかったと思っているし、とても充実した大学生活を過ごすことができた。けれど、もっと早くから自分の将来をきちんと考えておくに越したことはなかったなと思う。

社会人9年目のいま思うこと

 『誰と働くか』を軸として就活した私にとって、今の職場はとても良い職場だったと思う。話を聞いてくれる上司に、困ったらフォローしてくれる先輩、とても恵まれた環境で社会人のスタートを切ることができた。毎日覚えることがいっぱいで、一生懸命やればよかったころは、職場の仲間たちと働くことはとても楽しく毎日が充実していた。しかしここ数年は、今の職場で仕事をすることにやりがいを感じられなくなってきた。

 『誰と働くか』というのが、そもそも外部に影響を受ける軸だからというのもあるかもしれない。やはり改めて『自分が何をやりたいか』ということに向き合う必要があるのかもしれない。文理選択や就活に続いて、自分に向き合う分岐点に今いるようだと感じる今日この頃。

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