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深呼吸してほどける『当たり前』―アートがくれる新しい視点

疲れを感じたとき、よく美術館や庭に行く。
会社員だったころに同僚に話したら、「疲れているときのほうが、ゆっくり作品を楽しめないんじゃないか」と言われた。

勤めていた会社には、モネやゴッホのような有名な展示会に足を運ぶ人が比較的いて、それぞれがSlackに感想を投稿したり、最近購入した絵を披露したりと、アートとの距離が近い環境だった。
アートが趣味である視点からの、臨場感たっぷりな指摘、ごもっともだと思う。
実際、心が忙しいときは作品を十分に楽しむ余裕がない。
ただ、私は「楽しむ余裕がない」という状態そのものを、仕事の進め方を判断するバロメーターとして捉えていた。

具体的には、「もう少し俯瞰して今のプロジェクトを進めたい」「行き詰まっている作業は、メンバーに相談するほうがいいだろう」など、仕事をどう進めるのか、動き方を見直すきっかけにしていた。
楽しむ余裕がないほど、現状の思考・行動フレームの中でぐるぐる歩き回っているとき、仕事のやり方そのものを変える必要があるはずだから、美術館で瞑想の時間を増やしていた。

宗教改革で有名なマルティン・ルターは、「今日はあまりにやるべきことが多いから、ふだんより一時間ほど長く祈りに時間を割らなければならない」と言ったという。
この言葉は、多忙な日常の中でも、神との関係を深めるために時間を意識的に捻出していたことが読み取れる。

ただの岩


やるべきことが増えれば増えるほど、より多くの瞑想や思考の時間を取らなければ、ゴールからフィードバックをとっていた思考の枠組みから離れて、目の前の事をがちゃがちゃと動かす時間を過ごしてしまう。
結果、未来を見据えたところからのエネルギーが尽きて、疲れやすくなる。

私にとってアート鑑賞は、認知科学用語でいうフレームの再構築(リフレーミング)の時間であり、心理学用語でゲシュタルトを再構築するための時間でもある。
アートを介して、ゴールを豊かにすることに意識を向ける。自分に問いを投げる。思考を認識する。
その結果、いまの思考パターンの誤りに気付き、考え方を修正する機会になる。



社会学者の宮台真司先生は、「アートの役割とは、社会構造の外側にあるメッセージを表現する力によって、人の認知に揺らぎを生じさせること。」と定義していた。
アートには人の心に瑕疵(かし)をつける役割があるとも発言していたが、まさに言い得て妙だ。

瑕疵(かし)に気付くことで、世の中が採択しているフレームでは説明のつかない気づきを得て、構造の中をぐるぐる歩く行為から、自由になる。

気づきを経ると、私たちが“当たり前”とみなしている環境が、実はどれほど幻想的なものかに気づかされる。
現代という時間軸だけの視点に留まっていては見落としてしまう思考の足場を、その外側まで見つける感性を育むのが、アートの果たす大きな役割なのだろう。

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