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意識高いって言われると、気持ちがザワザワする


こんばんは、ナツミです。

言われてイヤな言葉って、誰しもあると思うのですが、わたしにとってのそんな言葉のひとつに

「意識、高いですよね」

があります。
言われると何だか心がザワつくので、その理由を考えてみました。


そもそも普通です

わたしは自分のことを意識高い系だと思ったことはありません。
人に言われて、そうなのかも知れないけどホントにそうなのかな?と言う程度です。

それは、わたしより意識が高い人を大勢知っているからです。
実際に自分はまだまだだなあと思うことのほうが多いです。

努力や自己啓発って、人に言わないだけで、多くの人がしていると思うのです。

逆に、「意識高い」と相手に言ってしまう人は、そういうことをしていないのでしょうか?
それとも、しているけど、努力だと思っていないだけ?

とにかく、自分としては普通だと思っていることを、なんだか特殊なことのように言われることに違和感を感じます。

そして返す言葉に困ります。

「そんなことないです」だと更に意識高い人みたいな感じがするし、

「ありがとうございます」だと自分は意識高いと認める感じになるし(そもそも誉めてるかも不明だし)

「そちらこそ意識高いですね」もちょっと違う。

自分が意識高いと思わないし、だから返す言葉も見当たらない。

そういう理由で、言われると戸惑ってしまいます。


バカにされている気がします

「意識高い」には、「意識だけ高い」というニュアンスが含まれていますよね。

言うことは意識高いけど、行動が伴っていないと言う感じ。

実際にウィキペディアには

意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。

と記載されています。

過去には良い意味で使われていた時期もあったようですが、今ではあまり良い意味では使われていないようです。

あえて意図的に皮肉として使うケースが多いと思いますが、中には悪気なく褒め言葉として使ってしまい相手にイヤな印象を与えてしまうことがありそうです。

言葉のバージョンアップをしないと、誰にでも起こる現象ですね。


がんばらない理由にされている気がします

「意識高い」人は特殊、だから自分たちとは違う。

そんな思いを感じてしまうのです。

あの人たちは特殊だから、自分たちはあんなふうにがんばる必要はない。という理由づけ。

もしそうであれば、別にがんばらなくてもいいけど、他人を理由にするのはやめてほしいです。

「自分がゆる〜りと生きていきたいから、がんばりません。」

それでいいのではないでしょうか。


あなたの価値観でジャッジしないでほしいです

がんばることが通常運転で成長こそが人生だという人もいれば、ゆるく生きていきたい人もいます。

価値観や生き方や状況や環境は人それぞれ。

毎日1キロのランニングすることは、走ることが苦手な人にとっては「意識の高い」ことだと思いますが、毎日10キロ走っている人にとっては「意識が低い」ことになります。

何が意識が高くて何が意識が低いかは、人によって違うと思うのです。

意識高いか低いかは、自分で決めればいいことで、他人が決めることではないと思ってしまうのです。


「意識高い」より「がんばってるね」「面白そう」「どんな感じ?」がいい

誉めたつもりが逆効果になっているかもしれない「意識高い」という言葉。

何が意識高いのかの基準も人それぞれなら、言われたときの感じ方も人それぞれなのかも知れません。

けれど、現代ではあまり良いニュアンスの言葉ではなさそうなので、わたしは使わないようにしようと今回改めて思いました。

そして、どうせ言われるなら「意識高い」より「がんばってるね」「面白そう」「どんな感じ?」がいいなとも。

特殊な扱いをされるよりも、率直な言葉で褒めてもらえたり、感想を伝えてもらえたり、興味を持ってもらえたほうが、きっと嬉しい。

「意識高い」が標準になる日が来ますように。

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ナツミ / Natsumi
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