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謙遜するな、謙虚であれ。


人から褒められても「いえいえ、わたしなんて」と言ってしまう。

日本人だからなのか、その人の個人的な性格なのかはわからないのだけれど、もしもあまり深く考えずにマナーとして「わたしなんて」と言っているとしたら、とてももったいないことだと思う。

「わたしなんて」と言葉にすることによって、残念ながら自分の価値を下げてしまっているからだ。


1.自分で思うより、あなたはすごい人

自分のできることは、自分にとってはできて当たり前。

周りの人のできることは、自分にはできないことだから、すごい。

自分なんて、まだまだだなあ。。

そんなふうに思う。少しだけしょんぼりする。


けれど、周りの人からも同じように自分はすごいと思われていることを忘れないで欲しい。

あなたができることは、他の人にはできないこと。

日本や世界を探せば、同じことをあなたより上手にできる人がいるかもしれないけれど、あなたの周りの人が全員それをできるわけじゃない。

だから、あなたは十分にすごい人なんだ。


2.謙遜するな

謙遜
[名・形動]へりくだること。控え目な態度をとること。また、そのさま。

goo国語辞書より

わたしたちの住む日本では「謙遜」することがマナーや美徳のように言われてきた。

だから、人から褒められて「謙遜」しない人がいると、まるで思いあがっているように捉える人がいることも事実だ。

けれど「謙遜」することは、実際よりも自分の価値を下げることだと、わたしは思ってしまう。

自分の価値を下げるような言葉を、自分自身が発してしまうことによって、本当にそんなような気持ちになってしまう気がするのだ。

もし味方だと思っている人から「あなたなんて、まだまだだよ」と言われたら悲しい気持ちにならないだろうか。そして、あの人が言うんだからきっとそうなんだろうと思ってしまわないだろうか。

「謙遜」も、それと同じこと。

「謙遜」は、自分で自分に「あなたなんて、まだまだだよ」と言うことだ。

そして、「自分のいちばんの味方」のはずの自分がそう言うことが、自分を裏切ることになるような気がしてしまうのだ。

本当に「まだまだ」の実力ならいいけれど、本当はそうじゃないのに「わたしなんて」と言うことは、しないで欲しい。


3.謙虚であれ

謙虚
[名・形動]控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。

goo国語辞書より

謙遜はしなくていい。

でも謙虚でありたい。

「謙虚」を国語辞書で調べると、上記の通りだ。

正直、自分が嫌だと思うなら、控えめじゃなくても、つつましくなくても、へりくだらなくても大丈夫だと思う。

でも、すなおに相手の意見を受け入れることは、必要だ。

「わたしなんてまだまだです」と言いつつ、相手の言うことは受け入れない。

わたしは、そんな人にはなりたくない。


謙遜するな、謙虚であれ。

この言葉を忘れずに、明日も生きていきたい。

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ナツミ / Natsumi
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