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外国ルーツの人にきく [食べたら元気になるごはん]第1回(後半)如遠さんの「鶏肉と生姜とネギのお粥」

この記事は、香港出身の王如遠さんのインタビューのつづきで、
第1回の後半になります。
お粥の作り方は前半部にあります。
まずは、第1回の前半からお読みください。

(第1回前半からのつづき)

香港から日本へ来て


香港では5年ほど、貿易関係の会社で働いていました。
広東語、中国語(標準中国語・共通語)、英語、を使う職場でした。

日本人のお客さんもけっこういて、そのときに、次にもうひとつ言葉を勉強するなら、日本語だな、と思いました。
仕事の役に立つと思って。

会社を辞めて日本に行くと言っても、両親から反対されることはなかったです。
応援してくれました。

働いていたときの貯金を、学費に当てました。
日本での学費は、アメリカとかイギリスに留学する3分の1以下だから、来やすいと思います。
家賃も、香港よりは安いですし。

貯金は使っちゃっても、また働いて、貯めればいいですからね。
自分の身についたものは、ずっとなくならないですから。

日本での生活は楽しいです。
最初、日本語がまったくできないときは、少したいへんでしたけど。
でも、通っていた日本語学校の先生が優しくて、役所の手続きとか、銀行口座作るのに、わからないからついてきてくれたりして。

日本語学校も楽しかったです。
日本語も学べたし、タイ人、韓国人、フィリピン人、台湾人の友だちができました。

そのときの友だちは、今でも大切です。
仕事でいくらうまくいっても、本当の友だちって、なかなかできないと思います。
知り合い、はできたとしてもね。

みんな一緒に「あいうえお」からはじめて、だんだん日本語が喋れるようになって。
最初はみんな英語で話していたのに、だんだん日本語で会話するようになっていったんです。

外国人差別とかは、私は特に感じたことはないです。
東京だからなのかな?

でも、まわりの友だちからは、よく聞きます。
コンビニとかで、胸に名札をつけて働くでしょう?
その名札を見て、外国人ってわかると、急に嫌な顔するおじさんとかね。

でも、お年寄りには、そんな方もいるのは、しょうがないでしょう。
悪口を言ってくれるなら、対応の仕方はあります。
でも、そんな顔するだけとかなら、こっちはどうしようもないですから。
だから、気にしない、しかないですよね。

日本語は、今でも難しいです。
だいぶ慣れましたけど。
働きはじめたころは、仕事のメールでのやりとりが難しかったです。

もらったメールを読んでも、どれとどれをお願いされているのか、わかりづらくて。
だからまたメールで聞きなおしたりして。

頼みたいことがあったら、最初から箇条書きにしてくれたらいいのになあ、と思いました(笑)。

香港が恋しくなるとき

香港が恋しくなるのは、やっぱり食べものです。
あれが食べたいなあと思っても、日本にはないことが多いので。

この前のお正月、はじめて彼氏の実家に行きました。
彼氏は日本人です。
彼氏のご両親は優しくて、すごく良い人たちでした。

でも、おせち料理は……。
あれは、おいしくないと思いました(笑)。

見た目はとてもきれいです。
でも、ぜんぶ冷たい料理ですね。
私は冷たい料理が苦手なので。

彼氏がネットで注文したんですけど、値段もすごく高くて。
彼氏の家族もみんな、まずいと言ってました。

誰も食べないから、彼氏のお母さんが、もったいない、ってひとりで一生懸命食べていました。
そのときは、香港の大晦日と旧正月のごちそうが、すごく恋しくなりました。

おせち料理は日本の伝統で、おめでたい意味があるんですよね。
濃い味つけは日持ちをさせるためで、女の人が、お正月に働かなくてすむように、というのもききました。

香港の私の家では、料理は必ず女の仕事、ではありません。
家族全員、みんな手伝って作ります。
そして、作りたての料理を食べます。

種類は9種類以上、と決まっていて。
縁起の良いお料理ばかり、いろんな味のものを、テーブルにずらっと並べます。

お餅も白いのだけじゃなくて、いろんな種類があります。
お正月前の悩みは、「今年はどのお餅にしようかなあ」ということでした。

そういうことが、いろいろ懐かしくなりますね。

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(写真は如遠さん撮影。旧暦のお正月に、香港から送ってもらったお餅を焼いたそう)

* * *

如遠さんにインタビューをしたのは、2019年の12月です。
その後、香港に大きな変化がありました。

そして、世界中で新型コロナウイルスの感染拡大が起こり、今も続いています。

当時のインタビューで将来のことをきいたとき、
彼女が言ったことを、よく思い出します。

「先のことは、わからないなあ……」

それから、「自分の身についたものは、なくならない」という彼女の言葉も。

* * *

2020年の春。
「コロナのことで、在宅勤務になりました」
と如遠さんからLINEのメッセージが届きました。

その後、「こんなの作りました」と、おいしそうな手作りのお菓子やパンの写真を、LINEで時々送ってくれるようになりました。

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(写真は如遠さんが撮影。苺のミルフィーユ)

新型コロナのことで、在宅勤務になり、家で過ごす時間が増えて、料理も毎日するようになり、お菓子やパンを作るのが楽しくなったそうです。

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(写真は如遠さんが撮影。手作りのパン)

そして、2021年。
如遠さんは仕事を業務委託に変えて、週に5日、製菓製パンの専門学校に通いはじめました。

「ウェブの仕事も好きだけど、自分の手でおいしいものを作って、それを誰かが喜んで食べてくれる」ということに、「満足感が溢れる」ようになったそう。

「人生はよく変わります」

「今のうちに新しいことにチャレンジしてみたい」

先のことはわからないけど、今やってみたいことがあって、それができることなら、やってみようと思う、と如遠さんは言います。

この専門学校を卒業した後は、どこかのパン屋さんで働いて、将来は自分の店を、どこかに持ちたいと考えているそうです。

「まだわかりませんけど」と如遠さん。

「先のことはわからないから」です。

自分のパン屋さんを開くとして、どこの国でそれをやるか、まだわかりません。

でも、「ちょっと遅いけど、夢を持ちます」 とのこと。

 

「今のところはね」



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