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外国ルーツの人にきく [食べたら元気になるごはん]第3回(後半)サムエルさんの「野菜スープ」

この記事は、フランス出身のサムエル・シェムニさんの記事のつづきで、第3回の後半になります。
「野菜スープ」の作り方は、前半部にあります。
まずは、第3回の前半からお読みください。

(第3回前半からのつづき)

*  *  *

パリ生まれのパリ育ち。大学を卒業してすぐの、2018年に来日したサムエルさん。

フランスのお母さんが、毎日いろんな野菜で作ってくれたという野菜スープをいただきながら、日本での暮らしや、日本に興味を持ったきっかけについて話をうかがいました。

この取材とインタビューは、2020年の1月末におこないました。

その後、新型コロナウイルスの感染拡大があって、サムエルさんとは1年以上お会いしていません。

第3回後半は、2020年1月時点でのことを中心にお届けします。

以下は、サムエルさんのお話です。


*  *  *

二酸化炭素の排出を減らす、クライメイト・オフィサー


私はエンジニアです。

排出される二酸化炭素の量を減らすのが、今の仕事です。
フランスに本社がある会社の、日本支社で働いています(注:取材時の、2020年1月時点でのこと)。

私の仕事の説明をするのは、いつも難しくて。
英語ではクライメイト・オフィサー(Climate Change Action Officer/地球温暖化防止活動推進員)と言いますけど、ちょっとよくわからないですよね(笑)。

会社は、工業ガス(産業ガス)を作る会社です。
工業ガスというのは、酸素や窒素、水素など、工場で使われるようなガスのことです。

私の仕事のひとつは、排出される二酸化炭素をリサイクルして、商品にすることです。

それから、再エネルギーを使ったり、新しい技術を使ったりして、二酸化炭素の排出そのものを減らすのも仕事です。

会社の中で、コンサルティングのようなことをしています。

こういうガスをこういうふうに作っている、という説明を受けて、それに対して、私は新しい技術を調べて、こういうやり方のほうがいいんじゃないですか、という提案をします。そういう仕事です。



甲冑作り〜自分で作ると、見方も変わる


去年の7月(注:2019年の7月)くらいに、自分で甲冑を作ることを思いつき、9月から作りはじめました。今で、4、5ヶ月目くらいです。

コザネから作りますから、すごく時間がかかります。

コザネというのは、小さいサネ、小札(甲冑の材料となる、鉄、皮などの小板)です。

16世紀の鎧(よろい)の素材に、できるだけ近い金属の板を買ってきて、それを小さく切って作ります。

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もともとは、こんな板です。

この板を小さく切って、角を整えて、穴を開けます。
それからペイントします。

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いちばん時間がかかるのが、この、穴です。

コザネのどの場所に、いくつ穴を開けるかは、博物館で本物を見たり、写真を見たりしたらわかりました。

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この穴に紐を通して、鎧の形に組みます。

胴の部分はできたので、今は腿(もも)の部分を作っています。

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腿ふたつで、コザネが120枚いります。
だから穴は、あと1200個くらい開けないと(笑)。

自分で作ると、見方も変わるから面白いです。

この前フランスから友だちが来て、一緒に上野の国立博物館へ行きました。
そこでも、甲冑をたくさん見ました。
私はずっと、なるほど、ここは、こういうふうに作るんだなあ、と思いながら見ていました。

今でも作るのにこれだけ時間がかかりますから、昔はもっと時間がかかったと思います。

鎧を持っている人は、すごくお金持ちだったと思います(笑)。
作るのにこれほど時間がかかるのですから、値段も高そうです。


日本に興味を持ったきっかけ


日本に興味を持つようになったのは、中学生のときです。
でもそのきっかけは、小学生のころにさかのぼります。

私が小学生のとき、母親が水泳を習っていました。

週に一度、母が夜にスイミングスクールに行く日があって、その日は父が料理をして、子どもたちが寝る前の読み聞かせも、父がしてくれることになっていました。

普段の夜は、母がいろいろな物語を読んでくれましたが、父は「本物の歴史の話がいい」と、「歴史マンガ」を読んでくれました。

ローマ時代から現代までの、ヨーロッパの歴史の話です。

父の読み聞かせは、週に一度だけでしたから、ぜんぶ読み終わるのに、2年くらいかかりましたが(笑)。

その中で、私が特に興味を持ったのは、中世でした。
お城があって、プリンスやプリンセスがいて、騎士がいて。
物語みたいだなあと思って。
騎士のイメージは、ヨーロッパの子どもにすごく人気があります。

それで、中学生になる頃には、世界中の歴史に興味を持つようになりました。
そして特にアジア、中でも日本の歴史に興味を持ちました。

たぶん、もともと好きだったヨーロッパの中世の騎士や宮殿のイメージと、日本の武士やお城のイメージが、結びついたのだと思います。

建築にも興味があったので、その点でも日本が好きでした。
日本は昔の建築も、現代の建築も、両方面白いと思います。
古い木造建築を見ると、いろいろな技術が使われていたことがわかって、興味深いです。
現代の日本の建築も、ヨーロッパやアメリカの建築にはない、良い考えを持っていると思います。

中学生のときには、柔道も習っていました。
柔道は、子どもの習い事として、フランスでは人気があります。

スポーツはそれまでに、テニス、サッカー、水泳、といろいろやりましたが、どれも好きにはなれませんでした。

でも柔道の「稽古」には、他のスポーツの「練習」とは違う特別な雰囲気があって、すぐに好きになりました。
柔道は5年くらい稽古しました。
大学生になると、勉強があまりにも大変になってきたので、やめました。

実は、中学生のときにも、日本語を勉強しようとしたのです。

そのときは時間もあったし、ぜんぜん違う言葉だから、面白いなあと思って。

日本語学習用の本を、自分で本屋さんで買ってきて、学んでみようと思いました。

でも、自分で勉強するには難しすぎて、すぐにやめてしまいました。


初めての日本旅行で、暮らしたいと思うように


日本語を本当に勉強しはじめたのは、3年前。
20歳の大学生のときです。

初めて日本へ行ったことがきっかけです。

ずっと日本の歴史、美術、建築に興味がありましたが、日本人、のことはぜんぜん知らなかったのです。

だから、日本へ行って、日本の人がこんなに親切だということを知って、びっくりしました。

こんなに親切な人たちなのか、と。

高校生のときからずっと付き合っていた彼女が、そのとき、日本の大学に留学していました。

彼女はすでに東京に1年くらい住んでいて、日本じゅうを旅行していましたから、良いところをいっぱい知っていました。

東京から京都、大阪、姫路、広島、岡山、高知、熊本、鹿児島。
彼女の案内で、3週間かけて、日本じゅうを旅しました。
お城もい〜っぱい、見ました。
これは、本当に良い旅行でした。

旅行中、道に迷うことがありました。
そんなときはいつも、「大丈夫ですか?」とまわりの誰かが声をかけてくれて、助けてくれました。

彼女は日本語が話せたけど、私はそのときはまだ、日本語が話せませんでした。

それなのに、日本語ができない私にまで、
「どこの出身ですか?」
「フランスではどうですか?」など、いろいろ話しかけてくれました。
田舎だけでなく、都市でもそうでした。

私はそのことに、とても驚いたのです。

フランスでは、誰もそんなことはしないと思います。
特に私が生まれ育ったパリでは、誰もしません。

残念ですけれど。

フランスでは基本的に、知らない人には何も言いません。

お年寄りが、重い荷物を持って困っているという状況なら、みんな手伝います。
でも、普通の人が困っていても、誰も手伝わないです。

田舎はたぶん違うと思いますが、パリ以外でも、フランスの都市部ではそうだと思います。

それから、日本では、ぜんぶが便利だと思います。

電車も時間どおりに来ますし、車内も静かです。

フランスでは電車はよく遅れるし、車内でも人が大きい声でしゃべっていて、いつもうるさいです。

日本は、電車も、街も、いつもきれいです。

パリは、きたないです。
何も気にせず、道にゴミを捨てる人も多いですから。
地下鉄も、匂いがすごく悪いです。

だから、日本からフランスに帰ると「え〜?なんだこの国……?」と思います(笑)。

フランスの建物や街は美しいですけど、きたないのです。

大学3年生のときの、その3週間の旅が終わる頃には、日本で暮らすということについて、真剣に考えるようになっていました。

当時、私はパリの大学で環境科学(Enviromental Science)を学ぶ学生でした。
大学を卒業するまでに、あと1年ありました。

フランスの大学では、外国語は2つ以上学ばなくてはなりません。
私は英語とドイツ語を学んでいました。
それぞれ、週に2時間ずつです。

最後の1年は、日本語を学ぶことに決めました。

新しい言語を学ぶ場合は、ひとつで週に4時間、になります。
それ以外にも、自分で漢字の勉強をはじめました。
電車で通学していたので、家から大学までの往復40分は、必ず漢字の勉強をすることにしました。
「カンジ・ティーチャー(Kanji Teacher)」というスマホのアプリがあります。
漢字はこれで覚えました。
このアプリは今も使っています。
すごく便利で、大好きなアプリです。

同じ頃、居合道も習いはじめました。

中学生のとき柔道をやって、日本の武道の雰囲気が好きになりました。
だから、武道をまたやりたいと思っていました。
歴史が好きで、武士が好きなので、刀を使う武道がいちばんいい、と思いました。

パリの実家のすぐ近くに、居合道の道場を見つけて、そこに通いはじめました。


仕事を探すために、福岡の日本語学校へ


大学卒業後は、仕事を探すために、日本へ行くことにしました。

まずは福岡の日本語学校で、日本語を勉強することにしました。

福岡には行ったことがなかったのですが、九州には良いイメージがありました。
東京ほど都会ではないし、物価も東京より安いし。
南の方だから、暖かくていいと思いました。

この日本語学校は、ごく少人数のクラスというのがいいと思って選びました。
ここで、毎日3、4時間くらい勉強しながら、就職活動をすることにしました。
インドネシア人、韓国人、アメリカ人、カナダ人など、いろんな人がいました。

アメリカ人は日本人の妻と一緒にアメリカから来ていて、老後はずっと福岡に住むと言っていました。

コンピュータ関係の仕事をしているカナダ人は、カナダの会社で働きながら、福岡に住んで、この学校に通っていました。
面白い働き方だなあと思いました。

小さいクラスでしたから、みんな友達になりました。
学校はすごく楽しかったです。
最初は英語でも話しましたけど、日本語のレベルが上がってくると、みんなとの会話も日本語になりました。

この学校には、5ヶ月くらいいました。
しゃべる機会がたくさんありましたから、学校を出たときには、日本語はだいたい話せるようになっていました。

外国企業の面接をいくつか受けて、東京にあるフランスの会社で就職が決まり、福岡から東京に移ることになりました。


武道は一生続けたい


パリではじめた居合道の稽古は、福岡でも続けていました。

東京に移っても、また道場を探して、稽古をはじめました。
そして、そこでの稽古仲間に誘われて、杖道の稽古もするようになりました。

居合も、杖道も、「相手のいない」武道だと思います。
杖道は二人で組むので、一応相手はいますが、技(わざ)だけ、形(かた)だけ、の武道です。

だから、自分が自分の弱点と闘う、という感じがします。
説明が難しいのですが……。

相手がいれば、相手の弱さを使って、闘います。

相手がいなければ、自分の弱さと向き合って、自分が強くなるしかないです。

目の前の相手と闘う柔道も好きでしたけど、それとは違う、他のチャレンジを探していました。

居合道や杖道で、先生に教わることは、すぐに身につくわけではありません。
時間がかかります。

最初は「どうしてこんなことするの?」「面倒くさいなあ」と思うようなことでも、ずっと続けていると、意味がわかってきます。

そして意味がわかってくれば、この技が本当に効くということがわかってきて、何と言うか、「良い」気持ちがします。

たとえば杖道で、先生がよく「ここはこのように、自然にやってください」と言います。
でも私たちは、「え?それが自然?」と思います。
最初は納得できなくて、自分のやり方で、こうして、ああして、いろんなやり方を比べて、やっと、先生のやり方がいちばんいいやり方だった、それが自然だった、ということがわかってきます。

武道は、一生続けたいです。

今は、武道を学ぶということが、私が日本で暮らしたいと思う、いちばんの理由になりました。

フランスにも古武道の先生はいますが、六段以上の先生はあまりいません。
日本に来る前は、七段の先生がひとりだけいましたが、普段の稽古で教わるのは、三段、四段の先生でした。

それが日本に来ると、先生はみんな七段か八段で、そんな先生と稽古できるなんて、びっくりしました。

やっぱり教え方が、ぜんぜん違います。
七段、八段の先生は、30年、40年の稽古の経験がありますから、深いです。

先生と、先輩の違いです。
日本に来て、フランスでの先生は、実は先生というより、先輩だったのだな、と思いました(笑)。

そういう偉い先生と、ずっと稽古したいですから、できればずっと日本に住みたいです。


他の文化を理解するための経験


私は今ちょっと、日本人になっていると思います(笑)。

ヨーロッパ人や、アメリカ人と一緒にいると、え、それはおかしいのでは?と感じることがあるのです。

たとえば、フランス人がすごく厳しい意見を言うとき、私は「ちょっとすみませんが……それはちょっと、言い過ぎじゃないでしょうか?」というふうに感じます。

私の会社はフランスの会社ですが、社員の90パーセントが日本人ですから、日本人の考え方がわからないとだめだと思っています。

日本人の考え方がわかるように、毎日仕事で努力しています。

幹部には、フランス人、イタリア人、オーストラリア人がいます。
日本に長くいた経験がある方は大丈夫ですけど、短い期間しか日本にいない方は、日本人の社員との間に、かなり問題があります。

彼らは「ここはフランスの会社なんだから、日本人はフランスのやり方に慣れたほうがいい」という意見です。

でも、ここは日本ですよ、と私は思います。
だから自分たちのやり方を通すだけではなくて、日本人の考え方を理解することは、大切です。

こういうことは、他の文化を理解するための、とても良い経験だと思っています。


みんな、少しだけでも、他の国に住んでみたらいい

フランス人は、自分の意見を持っていて、それを言えます。

日本の社会の中で見たら、それは「言い過ぎ」のように見える部分だと思います。

でもそれは、フランスのすごく良いところでもあります。

政治についても、みんな自分の意見がありますから、普通にそれを言います。

もちろんケンカもありますけど、それで、国は前に進みます。

日本の社会は、それができないのが、残念だと思います。

フランス人は、ディベートするのが好きです。

政治のことでも、何でも、違う意見を聞いて、自分の意見を言って、というのを普段からします。

日本人の友だちとは、それはできません。

ディベートがしたくなったら、フランス人としますから、それはいいのですが。

でも、日本人の友だちは、もし私が間違ったことをしていても、はっきり言ってくれないような気がします。

言ってくれたら、直すこともできるのに、それは残念だと思います。

みんな、少しだけでも、他の国に住んでみたらいいと思います。

旅行だけだと、文化まではあまりわからないけど、たとえば1年くらいその国に住んでみたら、いろんなことがわかってくると思います。

他の国の言葉を勉強したり、他の国で暮らしてみたりするのは、いいことです。

そういう経験がある人と、ない人では、話していて、ぜんぜん違うと感じることがあります。

自分とは違う文化、違う考え方を、わかろうとすることは、とても大事なことだと思います。
人として。


*  *  *

サムエルさんに、メールで近況をきいてみました。

今年(2021年)の春には、転職したそうです。
今はイギリスのコンサルティングファームで、環境に優しい建物のプロジェクトに取り組んでいる、とのこと。

居合道と杖道の稽古は、がんばってつづけておられました。
2021年6月には、東京都杖道大会の二段の部で、優勝されました。

甲冑作りも、コツコツと。
特に第一回目の緊急事態宣言中は、家でずっとひとりだったので、甲冑作りに専念し、大きく進んだようです。

2020年の秋に、甲冑は完成していました。

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「ちょっと、自慢になってしまいますが……」

サムエルさんは流暢な日本語でそう書き添えて、完成した甲冑を身につけた写真を、メールに添付してくれました。


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