果たして自分は何者なのか
日々生活する中でどうしても考えてしまうこと
「果たして自分は何者なのか」
ということ
1.今までの私
幼い頃からどの組織にいても中立の立場で、どこか馴染めていないような感覚がありました
よく「〇〇ぽくないのにね!」
と言われることが多く、偏りがないと映っている分には嬉しく思い、一方でよそもののような感覚で側から見てもどこか違う感覚があるんだなと寂しく思ったりもしました
それは大学生になった今でも変わらず、イメージで言うとベン図のちょうど真ん中にいるような感覚です
高校生までは「まあいっか」と言う思いであまり深く考えていませんでしたが、大学生になり「まあいっか」が「確実な違和感」へと変わっていき「焦燥感」になりました
間違いなんてないはずなのに、人それぞれ違うはずなのにうまく順応していないような気持ちになっていました
この気持ちを大学生活の中でうまく飼いならせるようになりましたが、ふとした時の寂しさは消えることはありませんでした
しかし、つい先週の大学の講義で重苦しい気持ちが吹き飛んだので、前置きが長くなりましたがそれについて綴っていこうと思います🖋✨
2.講義で得た気づき
教職の授業で『誰かの代わりに』という作品を扱いました
中学2年生で学習する内容ですが、本当の意味の「自立とは?」という、難しい題材を扱った教材です
個人の意見としては
誰にも頼らず1人で立つことができること
唯一無二の存在になること
だと思っていました
誰も自分の代わりになれない、特別になりたい
そんな思いでがむしゃらに突き進んで、当たって砕けてまた突き進んで
なりふり構わずな毎日でした
そんな中教材には
「自立」とは「お互いに補い合えること」「誰かに頼れること」
と書いてありました
これを見て、私はハッとしたと共に心が軽くなりました
気張って疲れていたものが、「あなたの代わりになってくれる人は必ずいるからありのままでいいんだよ」
と言われたようで救われました
頑張り続けること、前を向き続けることが美徳とされがちですが、私は「誰かの代わりになれる自分」こそが自分のためにも人のためにもなる考え方なのではないかと思いました
やはり、考え方次第で良い方向に進んでいくので、凝り固まった思考をほぐしながら柔軟に過ごしていきたいです🤲🏻✨
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