地獄への入り口⁈ サン・パトリッツィオの井戸
中部イタリア、ウンブリア州、岩壁の上にそびえ立つ小さな町オルヴィエートに「サン・パトリッツィオの井戸」と呼ばれる井戸があります。
この井戸の建築は、1527年、ローマ教皇クレメンス7世の命により、フィレンツェの建築家アントニオ・ダ・サンガッロのもと始まりました。
井戸は、オルヴィエートの岩壁の下にある水源にたどり着くよう、高台の上から凝灰岩をくりぬいてつくられました。深さ53.15m、直径13.4mの円柱形で、その周りをぐるぐると、上りと下りが交わらないよう、それぞれ248段の階段が二重のらせん状に設計されています。
当時は、そこを水の革袋を積んだラバの行列が、ぶつかることなく一方通行に、ゆるやかな階段を進んでいました。電気のない時代、72個の窓からは太陽光も入るという、すばらしく画期的な設計でした。
井戸が建設された1527年は、神聖ローマ皇帝兼スペイン王、カール5世の軍政が、イタリアに侵攻し、教皇領のローマで、殺戮、破壊、強奪、強姦などを行った、歴史上でいう「ローマ劫掠」があった年です。
この時、ローマ教皇クレメンス7世は、ローマのサンタンジェロ城にまず逃げ込みますが、それだけでは身の不安を感じ、ローマから北へ約100㎞、天然の要塞に守られた岩壁の上の町オルヴィエートまで逃げてきたのです。そしてドイツの傭兵部隊を大変恐れていた教皇は、長期包囲される場合に備え、水の確保のため、この井戸をつくらせました。
井戸が完成したのは1537年、パウルス3世の時代。クレメンス7世はすでに3年前に亡くなっていました。
井戸の名前につけられている「サン・パトリッツィオ」は、日本語では聖パトリキウス、または聖パトリックと呼ばれています。5世紀に、アイルランドにキリスト教を伝道した司教でした。当時のアイルランドでは、まだまだ多神教が信じられており、パトリキウスが死後の刑罰を説いても、誰も信じる者はいませんでした。すると、彼の前にキリストが現れ、生前に罪を犯した魂たちが送られ責め苦を味わうという地上世界に実在している深い洞窟を示されたそうです。その後、その洞窟は、「サン・パトリキウスの煉獄」と恐れられ、地獄へ通じていると信じられるようになりました。
地中深く掘られたオルヴィエートの井戸は、その「サン・パトリキウスの煉獄」を連想させました。今は、電気がつけられていますが、当時は、井戸の水源まで階段を下っていくと、だんだんと光が届かなくなり、まるで地獄へ向かっていくような感覚だったのでしょう。それを聖人パトリキウスに守ってもらおうと、このような名前がつけられたのでした。
このように、庶民にとっては、地獄を連想させる恐怖を覚える場所であったのですが、なんと、この井戸の底には、地獄どころか、敵がオルヴィエートに攻め入った際、ローマ教皇が密かに逃げることができるよう、岩壁の外側につながる秘密の通路がつくられていたのでした!
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