父親目線で語る子育て(不登校)やパートナーシップに関する話。
先般、といっても既に2ヶ月が経過してしまいましたが、実は知人を介してのご縁から「子育てや不登校に関する親の会で男性が参加されたり父親目線の話が聞けるのは珍しい」という話になり、mingle(みんぐる)さん主催の「充電cafe」の企画で、2022年4月15日に「オンライン充電cafe〜子育て(不登校)のおはなし会〜」にまさかのゲストとしてお招き頂く機会がありました。
また、その際のゲストトークでは、恥ずかしながら子育て(不登校)やパートナーシップに関して、ボクと我が家の場合の個人的なお話をさせて頂きました。
今回はその時の主なトーク内容を文字起こししたものになります。
A. 生まれてから10歳までは茨城県、その後は高校卒業の18歳まで福島県に住んでまして、大学進学をきっかけに上京した後は、新聞奨学生としての苦学生生活や駆け落ち事件、独立起業から痴漢の冤罪事件など、字面で見る分には結構ヘビーかつ面白いエピソードがありそうなライフイベントを幾つか経験しました。
ただ、特に誇れるような成功を勝ち得たり成し遂げるでもなく、歳を重ねる間に東日本大震災などきっかけに色々と人生設計や生活を考え直しまして、現在は和歌山県に移住して地方在住のサラリーマン生活を送っています。
家族構成は、上から順に小6長男と小2次男、そして年長の長女と3人の子どもがいまして、パートタイムで働く妻と私の5人家族になります。
小6長男と小2次男は不登校、年長の長女は行き渋りというか…五月雨登園という感じです。
そうですね、しいて言葉にするのであれば、
「彼らの人生は彼らのもの。
だから彼らの将来や生き方は、彼らが選択すればいい。」
といったところでしょうか?
僕らの時代の常識は、もう今の常識ではないし、
現時点で彼らの選択が間違いだと言い切れるエビデンスなんてまだないだろうし、誰も言えないと思います。
だから、彼らの気持ちや選択を尊重したいなと思っています。
自分で選ぶ事に価値があって、その選択を応援する。
僕が望むゴールに向かわせる為の誘導とか、指示はしない。
情報提供はするけどあくまでも彼らの向かいたい方向に進む為のアドバイスであって、指示はしない。
という感じで、例えるなら「監督じゃなくてサポーター」ですかね。
でも、応援しつつも直ぐに成果や見返りを求めたり、勝手な期待を押し付けない、というのも気を付けてます。
いえ、今の考えに落ち着くというか至ったのはここ数年ですかね。
考えが変わったというよりは、初めて言語化できるような軸が「出来た」という感じです。
それまでは、育児スタンスとしての軸というか、言葉にして説明できるよな明確なモノはなくて、自分の中にあった固定観念とか漠然としたモノに従ってた気がします。
もちろんその時々で正しいと思う方を選んでたんですけど、実はそれって根拠に乏しかったり、時代に合ってなかったり、めちゃくちゃ脆くて危ういモノだったなと思います。
色んな要素があって一言でいうのは難しいのですが、タイミングというかそういう時期だったのかなとは思いますし、不登校も大きなキッカケではあったと思います。
具体的には、ちょうど長男が不登校になりかけた2018年の後半の頃に、経済メディアのNewspicsが運営する「weeklyochiai 」という番組をよく見てたんですよ。
そこで落合陽一さんとか、あとトークテーマ毎に各業界の専門家の方とか、今のビジネス界を牽引するリーダーとか、毎週凄い方達がゲストに来られるので、そういった方々の金言であったり、語られる現代社会の課題とか新しい価値観とかを、学んだりinputする機会が増えてたのが大きかったですね。
特に、花まる学習会の高濱正伸先生をゲストに迎えた「父親をアップデートせよ」という回と、同じく数ヶ月後に「母親をアップデートせよ」というテーマの回があったのですが、その回をキッカケに、子供をどうするかでは無く親である自分の意識をどう変えるかの方が大事だなというのを学んだのが大きかったと思います。
長男が小学2年の夏過ぎから行き渋り、冬休み明けてから不登校という感じです。
理由は、色々と複合的な事ではあると思いますが、1つにはHSCという外部からの刺激に対して非常に敏感な気質を持っていたのが大きいかなと思います。
具体的には、音や匂いに敏感で、にぎやかな場所や大勢いる場所が苦手で疲れやすかったり、先生の叱る声とか女の子からの注意とか友達のケンカとか、大きな声とか、自分は関係なくても辛かったり。
入学してから1年半の間、しばらくはそれらをずっと我慢して頑張ってきたのだと思いますが、それが遂に限界を迎えた、という感じだと思います。
恥ずかしながら、というか情けない事に、僕自身はガチガチの昭和の固定観念で凝り固まった家庭で育ってますので、学校なんて行って当然の場所だし、大した理由もなく休むのは甘えだという気持ちも強かったので、まずは休みたい理由を問い詰めたりしちゃいましたね。
本人もうまく言語化できなかったのもあるし、当初は彼を追い詰めてしまったと思いますし、妻にも嫌な思いをさせたと思います。
そうですね、五月雨登校になってたある日の朝、出勤前に学校まで車で送っていったんですが、校門の側で車を降りた息子に頑張ってと声を掛けて見送ってたんですよね。
その時の学校に向いた彼の表情とか後ろ姿を見た瞬間に、なにか予感というか何というか、急に怖くなったんですよね。
「あ、これ今なにかダメなことしたかも、何か決定的な間違いをしたかも」みたいな。
ハッキリいうと、万が一、これで死んじゃったりしたら一生の後悔どころじゃない、何かとんでもなく取り返しのつかない事になったらどうしようという恐怖がよぎったんです。
それで、元々首根っこ捕まえて無理矢理連れて行くとかはしてなかったし、僕自身は固定観念が強かったとはいえ変わる気が無かったとか頭が堅いタイプでは無かったので、いやこれ生きててくるさえしたら良くない?ってなりました。
まずはゴール地点の設定変更というか、むしろスタート地点の再確認、認識した事が始まりだったかも知れません。
例えるなら学校に行く行かないとか、理由は何かとかいうのは全部ゴールに向かった話で、行きたくないという彼から発せられた言葉や信号は、その時点で既に苦しんだ末に絞り出された最後のSOSだったんだよねと。
だから、そこからは不登校を受け入れるかどうかではなくて、不登校を選んだ彼の目線、彼の気持ち、彼の心への共感とか観察をすることが大事なんだなと、そらを学びました。
子供への声の掛け方が優しくなったとかは言われましたね。
まぁ…そうですね、それなりに、ボクは仲良かったと思ってますけど(笑)
普段から保育園の事とか職場の事とか、悩みや愚痴、笑い話も含めてですけど、日頃からよく会話はしてましたし、対話する時間は大事にしたいと思ってましたので。
僕自身は、子どもの事も関心持ってたつもりだったんですけど、妻からすると全然寄り添えてないというか、意識が低かったし理解が足りてなかったと思います。
長男の不登校か決定的になった時期の会話で、僕の「そんな話聞いてないし」に対して「いったし!」と大層ご立腹になられてお説教いただきました(苦笑)
先程も少し触れたところですが、夫婦での会話とか、何かにつけて対話する時間は日頃から大事にしていたつもりなので、特に話し合いをする時間という意味ではそう変わりないかも知れません。
ただ、子育ての話に関して言えば、より妻の意見に対して「聞く耳を持つようになった」と言われましたね。
・・・自分ではそれ以前からそうしてたつもりなので複雑な気持ちでしたが(汗)
結果、課題というか方向性?については意識を共有できているなと思うし、どう思う?とか何かあれば考えを擦り合わせてますね。
あ、でもこれ大事だなと思ってる事、大切にしてる事が1つあって。
僕と妻の関係性において、互いに前提にしてる考え方があって、それは同じ子どもの親で同じ方向を見ようとはしてるけど、でも考えの違いとか、価値観の違いはあって当然だし、ここは違っていても違ったままでも良いと思ってるんですよ。
違うと感じてる部分は、「私はこう思うんだけど」って伝えるし、分からない事があれば「どういう事?」って聞くし、理解する為に話はします。けど、否定はしない。それで、無理に合わせようともしません。
「私はこうだけど、あなたはそうなのね。じゃあそこはすきにしていいよ。ただ私はこうしたいからこれは許容して」
とか、そんな感じでいんじゃない?とお互いに大事にしようとはしてます。
ん〜、正直そこまで言うと大袈裟な気はしますが、まぁ自分の中にそれまで植え付けられてた固定観念の根拠の無さとか、時代にあってない不完全さとか、そういったモノに向き合うキッカケとかが色々重なった時期で、不登校は確実にその中の大きな要素の1つだったと思います。
学校によって風土とか問題意識の程度の違いがある事は前提ですが、現在の公教育が時代にあってない事はもう自明の理だと思ってますので、学校が合う合わないも人それぞれだし、学校に通う事はさほど重要な事ではないと思っています。
ただこういった話は、おそらく今回お聞き頂いている皆様はボク以上にそういった現実を目の当たりにされたり、より解像度の高い実感やお考えをお持ちなのではないかなと思います。
逆に、いかがですかね?聞いてみたいです。
そうですね、まぁでもパパが子供と真剣に向き合ってる家庭なら、パパ自身も、その奥さんとかパートナーさんもそこまで困ってないというか悩みは深くなくて、それよりは子どもの気持ちとか状況に対して、あるいはママが感じてる気持ちや考えに対して中々パパが共感してくれないという家庭のママさんの方がお困りかなと思うんですよね。
なので、アドバイスなんておこがましというか、それ程のことではないのですが、男性はデータの少ない感情論に対しては共感してくれにくいけど、権威に弱いとこあるので、不登校に関係する法律とか、文科省の発表がとか、統計的な数値とか、そういう論理的な情報から伝えた方が聞く耳は持ってくれ易いのかな〜とは個人的に思います。
彼自身の将来がどうなるのかは分からないのですが、とりあえず彼が高校生くらいの年になったら、あるいはお酒が呑める年になったら、焚き火の前に座って一緒にお酒飲んだり、人生や社会について語り合えたらなとは思います(笑)
そうですねぇ…
いま親としてボクが大事だと思っていることは、彼らの気持ちや想い、彼らが大切にするモノは何か、そういったモノに対して共感と観察をすること。
つまり、自分とは別の価値観を持った存在なんだという認識を持つことでもあって。
そのうえで、自分の想いまで否定しなくていいのかなと。
例えば、学校に行って欲しい気持ちがあるなら、それはそれで別に否定しなくていい。
彼らの想いを無視して否定して押し付けるのは良くないけど、行って欲しいと思う自分の気持ち自体はあってもいい。
そこまで否定すると苦しくなるので、相手を否定しない代わりに自分も否定しなくていい。
そういう事を、大事にして、まずはボク自身が自分の人生を大事に生きること、楽しくとか、精一杯とか、苦しいことや大変な事があっても、頑張って、歩んで、時には笑って、痛い思いしたり、たまには愚痴をこぼしたり、なんなら弱音を吐いてもいいから、前向きに生きる。
そしてその姿を見せること。何かを語って伝えようとするより、自分が生きる姿を見せることを大事にしようと思っています。
※細部やアフタートークともかく、メインとなった質問形式のトーク内容はここまで。