なぜ学ぶのか
どうして勉強しないといけないの?
どうして学校へ行かないといけないの?
子ども達から聞かれることがある台詞かと思う。
3人の不登校児の父、ナツキのパパです。
なんで?その問いに堂々と答えたい。
・・・もっとも我が家の場合は、
3人の子どもたちが全員不登校なので、
しかも特に勉強しろとも言わないので、
実際に直接問われた事はないのですがね。
ただ、教科学習をしろと煩くいうことはないが、
家で過ごすにあたって、
「学びタイムは作ろうぜ」と言ってはいる。
内容は何でもいいし、時間も問わない。
そういった意味では、
「なぜ勉強しないといけないの?」
「なぜ学校に行かないといけないの?」
と聞かれることはないだろうが、
「なぜ学ぶ必要があるのか?」については、
少なくとも自分なりの答えを持っておく必要が、
あるいは責任はあるだろうと考えている。
元々はこれまでの過去に色んな場所で触れた、
受け売りの言葉たちの集合体というか、
受け売りの言葉たちからの再構築だけどね。
なぜ学ぶのか?
賢さを身につけるため。
なぜ賢くなる必要があるのか?
変えられないモノを受け止める力や、
変えるべきモノを変える勇気が得られるから。
そして何より、
変えられないモノと変えるべきモノを、
区別することが出来る賢さを持ちたい。
学ぶ意味は、そこにあると思っている。
どうしようもないモノについて
足掻くのか、別の方法を考えるのか。
判断する力を。
我慢するところ、
逃げるところ、
勇気を出すところ、
助けを求めるところ、
それらを冷静に判断する力、
自分の心が望むモノを理解する力、
望む先への選択肢を増やす為の知識、
知識を活用する為の理術、
それらを、学ぶ事で得る。
自分にとって大事なモノ、
大事な人を守るため。
世の中を知り、自分を知り、
過不足を知り、区別し守る力を得て、
出来るだけやりたい事をやり、
出来るだけやりたくない事をやらない、
そう出来る生き方をしよう。
その方が人生は楽しくなる。
自分の力で好ましい選択肢を作れるといいよね。
だから、学ぼう。
ただ、学びを続けるには環境も大事だよね。
学ばざるを得ない環境にする、
学びを共有する仲間を作る、
学べる時間を作る、などもしていかないとね。
・・・という回答を準備してる訳だけど、
全く伝えられてないし、
学びを進めてくれてる…なんて事もない訳です。
どうしたら良いの?笑
「明日は行く」の言葉にダメージを受けるお父さんやお母さんへ。
お子さんの不登校で困惑されているお父さんやお母さんへ
不登校あるあるだと思いますが、ボク自身が初期は迷走した経験から感じた「不登校における親の心理状態に応じた4つのフェーズ」です。
長男が不登校になって色々な事を教わりました。
不登校の親として思うこと
これらの他にも、ボクが自身の経験から不登校に対して思う事を、以下のマガジンにまとめていますので、もし宜しければフォローのうえ他の記事もご覧頂けたら幸いです。
過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。