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遺書No.678 終焉の始まり。

※この記事は2004年7月6日から2009年7月5までの5年間毎日記録していた「遺書」の1ページを抜粋して転載したものです。

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2005.16
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人間は何様だ?

エゴィズムの塊が語る論理に、
唯一無二の解など存在しない。
そんな事は分かっている。
そもそも善悪の判断をするのも、
また人間なのだから。
地球上に住むどんな生態系でさえも、
人間の生き方について、
弁舌を以って諭す事は出来ない。
間違いの始まりを特定する事も出来ない。
ならば人間が生きる事自体が原罪なのか。
でもそれならば産み落とされた理由すら
誰にも仮定できなくなる。
そもそも意味や理由などを見出す行為が
無意味なんだろうか。
自然に摂理なるものが存在するならば、
その摂理を破壊しうる人間の存在もまた、
摂理の一部なのかも知れない。
答えのない問いを投げ、
終着に辿り着く事のない思考の迷路を彷徨う事で
それ以上ない精神の充足を求めるのも至福か。
そうであれば哲学こそ至高の遊びか。
さあ、終焉の始まりだ。


こんばんわ、みーくんです。


別に意味はない。
自分の言葉を否定するのも簡単だ。
自分の中だけで終わらないディベートを展開するのが楽しかったりするよな。

ただ、頭の中の会話を文字にしたり文章にしたり外部にアウトプットすると、間違いなく、そう必ず一部が欠け落ちる。

これが面白くない。

脳内では緻密に組み立てられた筈のパズルも、
脳外に出た時点で驚くほど稚拙な落書き状態になる。
文字にならない、言葉にならない部分を、
脳内で補完しうるから、独り言は面白い。

そういえば『寄生獣』て漫画があったな。
今度また読んでみよう。

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2022.5.11
毎日遺書を書き始めた当時678日目の投稿内容。
たぶん、疲れてたんだと思う。


過去のボクは昭和の固定観念や慣習に縛られ、自分や家族を苦しめていた事に気付きました。今は、同じ想いや苦しみを感じる人が少しでも減るように、拙い言葉ではありますが微力ながら、経験を通じた想いを社会に伝えていけたらと思っていますので、応援して頂けましたら嬉しいです。