【悪性リンパ腫・闘病記㉗】激動の2024年、ありがとうございました!
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無菌室から退院て1週間後、突然深夜に痙攣が起こって再入院することになった。検査の結果異常がなかったので無事に年内に退院。ヒヤッとしたけど、年末年始を実家で過ごせるのは本当に良かった。
1年の約半分を病院で過ごした。味気ない入院生活によって季節感は鈍り、今日が何日か意識しなかったせいで日付感覚も失われた。半袖シャツ1枚で入院したと思えば退院する時はコートがないと凍えるくらい外の世界は寒くなっていて、秋を感じる間もなく季節は冬になり、2024年が数日後には終わることに気づくのには随分時間がかかった。
人生で最も苦しい1年だったなと振り返る。
体調不良を感じながらも全てはメンタルの弱さが原因だと決めつけ、眠るために布団に入ると体重が倍になったかと錯覚するような疲労を感じながら日々を過ごした上半期。当時の写真を見返してみると、目が開いていなくて、顔色も青白くて、健康でないことは明らかだった。でも、焦っていた。計画はうまくいかないことを前提に立てなければならないことを学んだ。理想と現実のギャップを埋めるためには胆力がいる。その胆力は、健康でなければ発揮できない。
6月25日、27歳の誕生日、つい最近成人式を迎えたと思えば、いよいよ30歳が近づいてきた。周りを見渡せば、出世をしたり、結婚したり、子供ができたり、同世代の友人たちは着々と人生のステージを登っているにも関わらず、まるで出口が見えないトンネルを歩き続けるように未来が一向に見えない私は焦っていた。そしてその1週間後、偶然にも癌が見つかった。
明確に「死」を意識したのは生まれて初めての経験だった。呼吸ができなくなって脈拍が下がる感覚。抗がん剤の副作用はその全ての苦痛が想像とはズレた痛みを伴っていて、何も食べ物が胃に無いにも関わらず永遠に胃液を吐き出したり、血だらけになるほど肌が荒れたり、脳が溶けるような高熱が続いたり、言葉にすればキリがない。
そして、ただでさえ苦しかった全ての肉体的苦痛をさらに上回るほどの精神的苦痛。仕事、お金、人間関係、なぜ日本には安楽死制度がないのか本気で考えたりもした。生きる希望が見出せないなら治す意味なんて無いし、だったらいっそのこと楽に終わらせてくれよ。同室のおじいちゃん達が苦しそうな呻き声を上げる深夜2時、一人目覚めて夜景を見ながら泣いたのは何回あっただろうか。
でも、私は生きてる。
生きて、退院して、久しぶりに家族全員で揃って、年越しを迎えようとしている。
毎年、元旦に抱負をnoteに残して、その年の大晦日に読み返す、という遊びをしています。2024年に掲げた抱負は3つでした。
1.「日本の季節を感じる」
これは…上半期はできていたと思います。というのも、自然豊かな長野県でで、真っ白な雪化粧をした日本アルプスを見たり、桜の散り際や稲穂が靡く姿、そして森の中で自生している植物を観察し続ける日々。天気や気温だけでなく、湿度や雲の動きまで天気予報アプリでチェックするようになったのは初めてだったし、「二十四節気七十二候」と呼ばれる日本独自の暦を知ることができました。一方で、癌が発覚してからの下半期は、常に25度ほどの室温で保たれた病室でほとんどの時間を過ごしていました。服装もほとんど変わらず、季節の変化を感じることもできず、窓際から見えたマンションの花壇に咲いていた向日葵の枯れ際を見たことを最後に、私の季節感は失われました。とても勿体ないことをしたなと、反省しています。
2.「ベトナムに行く」
実は花の産地として業界では超有名な国。旧フランス領だったことも影響しているのか、とにかく街中に花が溢れていることで有名です。特に、夜になると直線の皮に多数のイカダが浮かび、その船上で花を販売するフラワーマーケットはぜひ見てみたいなと思っていました。そして、現地の人にインタビューをして、生の声でベトナムの花文化を学んでみたいなと考えていました。海外に行くと必ず面白エピソードができるので、病気が治ったら必ず行って面白エピソードをゲットしたいと思います。
3.「エッセイを連載する」
これはできましたよ!!「闘病記」というイレギュラーな形にはなってしまいましたが、素直に継続した自分を褒めてあげたいなと思います。さらに、病気のことだけじゃない純粋なエッセイや、詩にもチャレンジすることができ、筆力が向上したなと実感する1年でした。また、文章を書くことでストーリー設計をすることが上手になり、トークスキルも向上するという付録までついてきました。まだまだ荒削りなことは承知の上で、来年以降も継続して書き続けたいなと思います。
退院してからの私は、リハビリに取り組んでおります。徐々に体力が回復してきて、筋トレも少しずつではありますが重量があるバーベルを使ったトレーニングができるようになってきました。退院時の身体の状況があまりに酷かったおかげで、逆にすぐに結果が出るので面白くも感じています。
一方で、現実を直視すると、例えば私はサラリーマンではない&本業の花屋ができなくなってしまったので新たに食い扶持を探さねばなりませんし、無理はしてはいけませんが悠長に過ごす訳にいかないのも事実。だから、「今」の自分だからこそできることを愚直にこなし、人生を好転させるためにチャレンジを続けていきたいなと思います。
2024年もありがとうございました。
2025年の抱負は元旦に発表します。ご声援や、場合によってはご協力いただけるととても嬉しいです。
今年もありがとうございました。
良いお年を〜!