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【悪性リンパ腫・闘病記⑮】美味しいご飯を食べること-チキン南蛮への恋慕-

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例えば、一階にあるローソンに食べ物を買いに行ったとする。本当は冷えたそばが食べたいなと思って来たんだけど、入り口付近で「まちかど厨房」と呼ばれる、店内の厨房設備で調理されたお弁当やサンドイッチのコーナーを見つける。そして、左斜め下に陳列されていたチキン南蛮丼に目が行った。わたしはチキン南蛮が大好きだ。もも肉派かむね肉派で意見が割れるようだが、正直どっちも美味しいのでこだわりは無い。柔らかい鶏肉を纏う衣に甘酸っぱいタレにひったりと染み込ませて、少し大きめに切られたゆで卵を使ったタルタルソースで味わう。これ、至福なり。幸せは500円で買えるものなのである。

しかしながら、当初の目的は冷えたそばを食べることだった。チキン南蛮丼に後ろ髪をひかれながら、麺類コーナーへ。散々悩みあぐねた結果、目が覚めた時に「冷えたそばが食べたい!」と欲した身体の声を優先することにした。購入したのはとろろそばだった。

病室に戻り、実食。トロッとしたとろろの食感は、少なからず食欲が落ちた私の喉を麺が通過してくれるのを多分に助けてくれた。美味しい、すごく美味しい。朝から蕎麦を味わいながら食べていると、主治医の先生が「おう!元気にしてる??」といつもの元気な威勢でやってきた。私は咄嗟に蕎麦を隠した。なぜなら、病院食は支給されているのに関わらず、それに一切の手をつけずに隅に追いやり、ローソンで買ったそばを食べていたからだ。

病院食がとても苦手だ。

配膳の時間は朝8時、昼12時、夜6時。四人部屋の病室は、この時間になると病院食の匂いでいっぱいになる。と同時に、喉の奥を腐った雑巾で拭き上げられたような、込み上げる吐き気を催してしまう。1クール目の抗がん剤は、毎日食事の匂いを嗅ぐたびに嘔吐を繰り返していたので、嫌な思い出が呼び起こされてしまうのだろう。食事が食べられないのは、結構辛い。

看護師に相談したところ、プラスチックの容器にこれまで盛り付けされてきた食事の匂いが染み込んでいることが原因かもしれないと助言を受け、食器の素材を無臭の陶器に変えてもらった。が、結局病室にいる他の患者さんの器はプラスチックのままだし、食事の匂いは部屋に充満するので、あまり効果はなかった。パンや白米を少しだけ口に含み、食事の時間だけケアルームに避難する。そんな日々が続いている。

「とにかく食べることが大事」

同じ病気を克服した知人、そして白血病を寛解した友人からのアドバイスだ。理由は2つ。1つ目は食べないと免疫力が上がらないから。2つ目は「美味しい」と思う幸福が、免疫力に繋がるから。たくさんの考え方があって、例えば添加物は取るなとかオーガニック食品を食べなさいとか色々なアドバイスを受けるけど、「何でもいいから美味しいと感じるものを食べなさい」という考え方が一番、優しくて理解ができる。だから、1日1回はローソンに行って、自分の意思で食べたいと思う商品に出会いに行くようにしてる。

「ごめんなさい、病院食を残してそばを食べていました」

「いいね!医者からすると、何でもいいから患者さんがご飯をしっかり食べてるのが何よりも嬉しい。好きなものたくさん食べなさいね」

そんなこと言われたら嬉しいじゃないか。ウキウキ気分で蕎麦を完食。本当に美味しかった。実は、病院食は朝と昼だけ配膳してもらって夜は無しにしてもらってる。1日の最後は好きな食べ物を食べて終わりたい、そんな願いを叶えるために(だって明日も生きている保証は無いじゃん?)。だから、出費は増えるけど夜ご飯のためにもう一度ローソンに行く必要があった。食べたいものは決まってる。そう、チキン南蛮丼だ。

夕方5時、ローソンに行くためにエレベーターに乗り込んだ。最上階から1階まで、ゆっくりと、少し内臓が宙に浮くような感覚を感じながら。その勢いを少し借りて、ドアが開いたら文字通り少し浮き足だった歩みを前に進めて、心の中はスキップしながら目的地に到着した。

売り切れていた。

冷静な頭で考えれば、この事態は予想できたはずだった。このローソンは患者だけでなく、大学病院に勤めるすべての医療従事者が利用するため、弁当や惣菜関係の商品は夕方になればほぼ売り切れてしまう。そのことを知っていたにも関わらず、チキン南蛮丼が夕方まで残っていると、根拠なき都合の良い解釈で現実を歪めて見てしまっていた。恥ずべき、そして反省すべき事態である。大抵、良いとされるものは早々と売り切れてしまうことを、人生で知っていたのにも関わらず…!

結局、最後まで残っていた商品の中で一番食べたいと思ったお好み焼きを購入することにした。

重い、重い足取りで病室まで戻った。ため息もついた。完全にチキン南蛮の舌が出来上がっていたからだ。チキン南蛮の発祥は宮崎県って知ってますか?その宮崎県には祖父母がいるんです。帰省のときは美味しいチキン南蛮屋を調べて、涎を垂らしながら店に駆け込んでいるのをあなたは知ってますか?Google検索でチキン南蛮の写真を調べる。調べなきゃよかった。

お好み焼きを食べながらも、食べることができなかったチキン南蛮丼を恋しく想った。そして、”明日こそ”はチキン南蛮丼を食べると、誰が何と言おうと食べると、強く強く誓った。すると、頭に雷が落ちた感覚を覚えた。閃いたというか、この世の真理に気付いたというか。

病気が発覚して、これほどまでに「明日を生きたい」と思ったのが初めてだったからだ。

食事も生活も全て管理下に置かれ、無味無臭な生活を送っているからこそ気づくことがあった。それは「日常」への回顧だった。

朝起きて、美味しいご飯を食べる。

仕事の休憩に、美味しいご飯を食べる。

夜、旬の食材を料理して、美味しいご飯を食べる。

美味しいご飯を食べたい!という思いは当たり前だと思っていたけど、すごくすごく贅沢で、絶対で、尊くて、未来に希望を抱くくらい強い気持ちなんだな。

相変わらず寂しく一人でご飯を食べることになるけど、幸いにも抗がん剤の影響が少なくて食欲はあるし、チキン南蛮丼を買えるくらいにはお金がある。これってすごく恵まれてるよな、とさえ思った。病気になって良かったとは口が裂けても言いたくないけど、病気になって気づいたことはたくさんある。

翌朝、ローソンは7時からオープンするので5分前に到着。開くシャッター音を聞きながら、いざ入店。すると、「まちかど厨房」のコーナーにはチキン南蛮丼どころか何一つ商品が並んで無いではないか。いやいや落ち着け。冷や汗を掻いたが、このシリーズの売りは店内厨房での直接調理だ。流石に来店するのが早すぎて、まだ調理し終わってないのだろう。「ふっ、時間はたっぷりあるので、また出直せばいいさ」なんて言い聞かせながら、私はとある事実から目を背けていた。頼むから、それだけは、やめてくれ…。

「あのー、すみません。今日はまちかど厨房に商品は並びませんか…?」

「申し訳ございません。土日は休診日でお客様が少ないので。月曜日には通常通り並びますよ」


にゃーん。


昨日、金曜日。今日、土曜日。

寿命が2日延びました。 

-次回へ続く-
【悪性リンパ腫・闘病記⑯】タイトル未定

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