【悪性リンパ腫・闘病記㉒】社会実験をしてみたいと思っている。
-前回の記事はこちら-
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今日、口座残高が0円になった。
病気が発覚した当初は長野県に家を借りていたのだが、治療が長期化するにも関わらず、住んでもいないのに毎月家賃が引かれていくのは嫌だったので解約した。家具の運搬やゴミ出し、そして退去後のクリーニング費用などなど、あと公共料金の支払いも全て済ませた。結果、貯金が全て消えた。
個人事業主だったので傷病手当は貰えないし、がん保険は若さを理由に加入していない。退院後も本来である花仕事に戻れないことも伝えられ、災難は一気に降り掛かるとよく言われているけど、まさにその通りだなと。
医療費は家族が負担してくれているから本当に助けられた。でも、無菌室の個室に一人。これからどうしたらいいんだ、考える時間だけは無限にある。
はあ、可愛い女の子でも眺めようっと。
インスタグラムのアルゴリズムは優秀なので、私の好みの猫顔や狐顔の美人がたくさんおすすめに出てくる。垂れ目より圧倒的に吊り目派。好きなインスタグラマーを見て、今日も可愛いなあーって。
(壁の奥から)
『ポクポクポクポク…』
「ん?」
『ポクポクポクポク…』
「え?」
『ハンニャ〜シンニャ〜ブ〜ツ〜』
「木魚!?般若心経!?」
まるで可愛い女の子もニヤニヤと眺めている私を煩悩の塊だと咎めるが如く、静かに、それでも耳の奥に刺さっていくように、私の病室には木魚のリズムと般若心経を唱える声が響き始めた。
おそらく、隣の部屋の患者さんが健康願うためにYouTubeか何かで読経を聴いていたのだろう。本来であればただの騒音なのだが、なせか私はこの音に自然と耳を傾けていた。吊り目の美人を眺めながら。
振り返れば、闘病生活はまるで仏教の修行のような体験だ。頭を丸め、社会から隔離され、精進料理(病院食)を食べ、苦しみを一人で耐え、1つ1つ穢れを落としながら、己の人生を見つめる。般若心経が妙に自分が置かれている環境にマッチしているのも、患者衣がお坊さんが着る法衣に見えてくるのも、おかしいことではないのかもしれない。
「”悪性リンパ腫”じゃなくて、”悪性リンパ宗”、ふふふふふふふ」
こうして、ただの親父ギャグな『悪性リンパ宗』というくだらない企画が出来上がった。
悪性リンパ宗は約50種類以上の流派に分かれていて、私は「びまん派(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)」に属している。この宗教は辛い修行が特徴的で、「幸願砕(抗がん剤)」と呼ばれる幸せな願いを一度粉々に砕くような苦行を経験しなければならない。その代償として生きる喜びや日常への感謝、そして人生に悟りを開ける。
我ながら何を言ってるんだと思いながらSNSで発信してみると、ノリが良いフォロワーさんが何人かいらっしゃって「息子がリンパ宗バーキット派です!」とか「私はリンパ芽球派です」とか言ってきた。全く、世の中には阿呆がたくさんいるものである。
そんな私ですが、最近ちょっとショッキングなことがありました。
先日、フォロワーさんからDMが届きました。要約すると、
「初めは相徳さんを純粋に応援していたのですが、ある日息子の体調がおかしくなって、検査をしたところ悪性リンパ腫と診断されてしまいました。親としてどのような態度で入ればいいか、息子にアドバイスはないか、教えてくれませんか」
悪性リンパ腫って、最近すごい勢いで増えているっぽくて、さらには原因がまだ分かっていないらしいんです。主治医も「早く原因を追求しないといけない」と覚悟に満ちた顔で言っていました。そして、私は医師ではないので病気の研究はできないのですが、責任感を帯びた一つの疑問が浮かび上がりました。
「悪性リンパ腫に罹った人って、今後どうなるの?」
私は病気になったとき、とにかく情報が少なくて不安になりました。これからどんな治療をして、どんな苦しみを経験して、何を失うのか分からなかった。でも、勇気を出して情報を発信したり、私を気にかけて自身の過去の経験を打ち明けてくれた人たちがいました。その熱を帯びた同世代の叫びが、私に病気に向き合う勇気をくれました。その経験から、私自身も読みやすく伝わりやすい形で闘病の様子をどこかの誰かに発信しようと決めました。
<その覚悟のために書いた記事↓>
序文で述べた通り、病気というのは健康以外にも2次3次的に様々な領域に被害が及びます。その上で、闘病の様子を発信することはもちろん、一人の癌になった人間が、どのように社会に復帰するのか、それってすごく社会にとって大切な情報なんじゃないかなって考えるようになりました。
もちろん、人の人生なんて十人十色だし、あくまで「相徳夏輝」という人間の場合の話であるので、参考にならないことも多いと思います。それでも、私が誰かの人生に触れて勇気をもらったように、同じことができるんじゃないかなとも思うのです。
そして、ある意味ドキュメンタリーのような感覚で、その生き様を世に晒すことには、私自身が強い興味があるんです。
「癌になった27歳の男が、それでも最後まで残ったものを使って社会に飛び込んでいく」
これは社会実験です。
どうです?ちょっと面白そうじゃないですか?笑
言葉通り、私の人生が私にどう振る舞うかを期待しているような感覚を覚えます。今、企画を詰めていますので楽しみに待っててくださいね。
だから改めて、引き続き暖かく見守ってくれると幸いです。
「好きな仕事も、お金も、健康も、その他いろんなモノを失った27歳の男が、それでも最後まで残ったものを使って社会に飛び込んでいく」
と言ったが、それでも最後まで残ったもの。
それは、「表現欲」だった。
自分の考えを書き出すこと、しゃべること、自分の好きを全面に押し出すこと、実はまっっっっっっっっったく苦じゃない。笑
悪性リンパ宗という企画を打ち立てたことで、私の無菌室での生活は程よい忙しなさがやってきた。体力や体調の兼ね合いを考えながら編集や声どりをすると1日があっという間に過ぎてくれる。
自分に自信を持てない人生だったが、如何せん最後まで「表現欲」が残ってしまいましたので、この力を行使しない訳にはいかないのです。ただでは絶対転ばないよ。父の言葉を借りて、何が何でも帳尻を合わせてやる。
ご興味ある方は末長くお付き合いいただけると嬉しい。よろしくお願いいたします。
悪性リンパ宗びまん派 相徳
合掌🙏