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【悪性リンパ腫・闘病記⑳】<妄想>無菌室から脱出せよ!

-前回の記事はこちら-

・・・

「無菌室病棟はあちらになりますので、ドアの前に立ったらナースコールを押してください」

再入院のために病院に戻ってきた私は受付を済ませ、病室へと向かった。通常だと受付表を持ってナースセンターに行けば看護師さんがそのまま病室へと案内してくれるのだが今回は違った。私はこれから約1ヶ月間、無菌室で集中治療を行うのだ。

入院する病院はフロアの半分が一般病棟、それ以外が無菌室病棟になっていて、両フロアは完全に隔離されている。唯一行き来するための出入り口があるのが、基本的にはICカードがないと扉が開閉されないので、入室するためには無菌室内にいる看護師を呼び出さなければならない。入り口の前に立ち、扉の横のナースコールを押した。

「はい、どうされました?」
「今日から無菌室で治療を行う相徳です」
「分かりました。少々お待ちください」

看護師さんが来るまで、2〜3分ほど待たされた。その間、この扉の先の世界はどうなっているんだろう?と少しの不安と好奇心で胸が躍った。無菌室はいわばトップシークレットな場所だ。選ばれし者しかその空間で生活することができないのである。

「お待たせしました。こちらへどうぞ」

看護師さんの静かな声は、その場を少し緊張の空気で包んだ。一歩踏み入れると、視線の右側では掃除婦のおばさんが2人、忙しなく壁と床を拭いていた。さすがは無菌室、衛生面への意識が一般病棟に比べて高い。目線を前に向けると、さらに扉が一つあった。

「病室はこの扉の先です」

扉がついに開くと、驚くべき風景が広がった。人が、人が多い。前を向けばナースステーションで看護師さんが忙しなく業務をこなしていて、こちらを見るや挨拶をされた。お辞儀をして左を向けと、医師が数名険しい顔でパソコンと睨めっこをしている。廊下を掃除婦が一生懸命磨いていて、あれは実習生だろうか、4人掛けの机に腰掛けて何やらこっちを見ながら談笑している。体感だが一般病棟の倍の数、職員がいた。さらに照明が明るくて眩しい。あたらしい世界に来た気分だった。

右側を見ると談話室があって、電子レンジや給湯器、ラップやアルミホイルまで置いてあった。テレビや本も置いてある。さらにはエアロバイクが3台も完備されている充実っぷり。そのうちの1台に跨って汗を流している男性と目がった。

きっと、この男性はのちにキーパーソンとなる人物である。入院2週間目くらいで少しだけ仲良くなって「良い脱出経路があるんだ。組まないか?」「あの看護師は俺らの仲間だからこの手紙を渡してきてくれ」とか言ってくるはずだ。たぶん、施設の外には生き別れの娘がいて、物語の終盤で命を落とすに違いない。

さて、看護師から部屋へ案内された。初日は待機室で過ごすことが決まりらしい。カードリーダーが無いと開かないニ重扉が開き、入室。ベッドに横になると、天井に監視カメラがあることを発見した。鼻の中に綿棒をグリグリっと入れられる、コロナとインフルエンザに罹ってないか検査が行われ、苦しさでむせ返った。そして、看護師さんからひとしきり病棟内のルールを説明された後、無菌室なのでコンビニで買い物をすることはできない、その代わり平日の毎朝10時半にワゴンサービスの方が外界から食料物資を持ってきてくれることを伝えられた。

きっと、このワゴンサービスの方は初老のお婆さんで、外界と繋がる数少ない重要人物であるに違いない。秘密の暗号を言えば脱出に役立つヒントを教えてくれるはずだ。例えば、緑茶を注文するときに「グリーンティーをください」って言うと主治医の1日のスケジュールを教えてくれたりとか、「”カ”フェオレと”カ”ップラーメンと”カ”ステラと”カ”レーパン」をくださいって言うとK暗号、つまり内通者の看護師(”カ”ンゴシ)を教えてくれるはずだ。

1時間後、陰性が確認された私はカードリーダーを渡され、無菌室病棟内に限り出歩くことを許可された。小腹が空いたので持ち込んだカップ麺にお湯を入れるために談話室に行くと、患者さんが複数人で談笑していて、「こんにちは」と声をかけられた。一見普通の出来事かもしれないが、一般病棟内では患者さん同士のコミュニケーションはほぼ無に近かったので、談笑している姿も、挨拶をされることも予想外過ぎてテンパってしまった。何を隠そう、私は人見知りなのである。自分から話しかけに行くことはできるが、話しかけられることに滅法弱い。「あ、、、こんにちは、、、」と返答し、病室に戻る最中、別の患者さんと目が合った。何だか、いろんな人と目が合うなあ。

さて、病室に戻ってカップ麺を食した後、看護師さんから明日の予定を伝えられた。

「10時半から腰椎穿刺です」
「何ですかそれは」
「腰椎に穴を開けて、骨髄液を採取します」
「痛いですか」
「とても痛そうです」
「悲しいです」
「悲しいですよね」

確実に激痛に耐えなければならない未来を思うと、辟易してしまう。看護師さんが悪の手下のように思えてきた。そういえば、無菌病棟の看護師は、美人なのである。この前、インスタライブで三島由紀夫が描くおっぱいの話をニヤニヤしながら喋り倒した私の姿を見た高校時代の部活の後輩が「夏輝さんて当時からムッツリだと思ってましたが、やっぱりそうでした」と言ってきたが、私は別に隠してるつもりはなかったし、美人で可愛い女性が好きな健全な男子であることをここで改めて宣言したいと思う。したがって看護師さんが美人なことはとても喜ぶべき事案なのだが、今回ばかりは美人である、というのが逆に怪しい。多分これは私の思考を惑わす色仕掛けなのであって、彼女たちは私の生態を逐一この施設の長である院長に報告し、物語終盤あたりで白い看護服を脱ぎ去って真っ黒な全身タイツ姿(多分エロい)で右手には鞭を持ち、私を恐怖のどん底?に陥れるに違いない。



一夜明けて遂に腰椎穿刺の時間がやってきた。処置は個室で行われるため、談話室で少し待っていてくださいと伝えられた。ソファに腰掛けるとワゴンサービスがやってきて、談話室前で止まった。一般病棟では各部屋を回ってくれるのだが、無菌病棟ではワゴンは談話室の前にしかやってこないため、続々と患者が集まってきた。

「もしかして、相徳さんですか?」

突如、隣に座っていた患者さんから話しかけられた。返事をすると、「ああ、あの方ですか!」と談話室が少し盛り上がった。実はインスタグラムのフォロワーさんが複数人、この無菌病棟にいるらしく、談話室で私の存在が噂になっていたらしい。「面白い若者が無菌病棟にやってくるらしい」って。

しばらくすると、実際のフォロワーさんがやってきた。「いつも見てます」と言われ、ちょっと有名人になったみたいで恥ずかしい。前日に「明日は腰椎穿刺をする」とインスタグラムで発信していたこともあり、「これからですか?」と腰に手をやりながら聞いてきた。「そうなんです、憂鬱です」と同じく腰に手をやって答えた。すると、

「あれ痛いよねー!」
「何回目??」
「私は3回やりましたよー、あれは痛かった」
「僕は針を抜くとき腹に力込めたら耐えたよ!」
「いやー、あれは激痛だよね」

と、骨髄液抜くのがどれだけ痛いかトークで盛り上がり始めたではないか。そして看護師さんから「相徳さん、いきましょうか」と言われると一斉に談話室にいた方々から「がんばってねー!!!!」と声をかけられ、「1日ですごい人気者になってますね」と看護師さんから不思議がられた。「諸事情あるんです・・・」と返答して個室に入室した。

きっと、あの方々の中には組織の人間との内通者がいたり、もしくは潜入調査をしている密偵がいるに違いない。仲間か敵か、その判断は今後の生存率に関わってくるはずだから、警戒しなければならない。第一、本当にフォロワーなのか?なぜ私の名前を知っているのだ?全員グルか…?もしかしたらあの些細な会話の中に幾つもの暗号が散りばめられていたかも。いずれにせよ、脱出するためには仲間を見抜けなければならないので、観察眼だけは養っておかねばならない。

部屋に入ると、看護師さんと主治医がやってきた。おそらく、この主治医がこの無菌病棟の長であり、彼の背後には悪の組織の長がいるはずだ。私の骨髄液を採取して何に利用するのか分からないが、下手な抵抗を見せてしまうと命を取られる可能性がある。ここは弱々しい患者を演じるに限る。

「絶対痛いですよね…もう朝から憂鬱です」
「今回は”眠くなる薬”を使いましょうね」
「???」

遡ること2週間前、私は抗がん剤を投与するための管(カテーテル)を身体に挿入するために部分麻酔手術を行った。1,2回目は諸事情あって鼠蹊部から挿入したのだが、通常は首から挿入するらしい。だから、3回目の投与は首からになった。そして、実習のために学生が同席することになり、オペが始まった。しかし、首の静脈が細かったせいか中々管が入らず、部分麻酔も効かずまるで拷問のような激痛が走った。無理やり入れ込もうと管を押し込まれるたびに暴れ悶え叫び、遂には学生たちには見せられないと判断され彼らは部屋を退出した。そんな恥知らずな態度を見せてしまったおかげか主治医が気を遣ってくれて、今回の腰椎穿刺ではこの”眠くなる薬”を使うことで痛みの緩和を狙ってくれた。しかし、”眠くなる”とはいかなる状況か。ウトウトするだけなのであれば、きっと激しい痛みで頭が覚醒し、ギンギンに目覚めてしまうはずだ。

「それでは投与しますね」

ああ、始まってしまう。痛いのは嫌だ、嫌だ、い、やだ、、、、。

・・・

???

スマホの画面を見ると、処置から2時間が経過していた。腰に鈍痛が走り、抗がん剤投与用の管も首に通されていた。事態が飲み込めずにいると看護師さんがやってきて、「終わりましたよ」と伝えてくれた。全く処置の痛みを感じることはなかった。

聞けば私は眠りながら暴れていたらしいが、記憶にない。私の心は多幸感で満たされた。やった、やった、痛くなかった!万歳!!!!って。眠らせてくれた主治医、本当にありがとう!物語の展開的に多分僕の身体にはマイクロチップが埋められていて、脱出しても位置情報が共有されてすぐに追っ手が追ってくるようになってると思うけど万歳!!



みたいな妄想を、一人個室でしている。

何か面白い状況が分かったら随時報告する。私の見立てだと、入り口付近で忙しなく床を磨いていた掃除婦が怪しい。監視カメラの死角を突いて、接近したいと思っている。

脱出のための暗号や、怪しい人物がいたら教えてくれ。この記事のコメント、もしくはInstagramのDMで。まだ、SNSまでは監視の目が届いてないはずだ。

現場からは以上!

※主治医とも看護師とも仲良しです。




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