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【悪性リンパ腫・闘病記㉖】なぜ私は再び病室にいるのか
-前回の記事はこちら-
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さて、不可解なことが起こった。
なぜか再び病室にいる。明日には退院できる可能性があるので大事ではない(ことを願っている)が、完全に想定外の入院だった。一昨日の夜、救急搬送されたらしい。
12月10日の火曜日に私は無菌室から退院することができた。翌週のCT検査にて腫瘍の縮小が認められ、その数日後のPET検査(放射性薬剤を使って体内を画像化する診断法)では悪性腫瘍が残存していないことが確認された。再発の可能性があるから寛解、とまではいかないが、健康状態は「良好」。ようやく長いトンネルを抜けた気がして、解放感と嬉しさが込み上げてきた。
一方で、私の身体は約半年間の闘病生活を経て完全に弱りきってしまっていて、例えば階段を3階分登っただけで翌日筋肉痛になったり、30分歩き続けただけで疲労で吐き気を催してしまう、そんなレベルだった。無菌室にいた際に理学療法士さんと相談して社会復帰に向けたリハビリメニューを組み、退院翌日からジムに通った。
無菌室にいたときと同じように、エアロバイクを漕ぐ。15分後、あまりの疲労で気分が悪くなり、トイレで嘔吐してしまう。翌日、30分漕げたけど、また嘔吐してしまう。3日目、30分漕いでも嘔吐しなかった。4日目、Netflixで「ウヨンウ弁護士は天才肌」という作品に出会った。そして「この作品を観れるのはエアロバイクを漕いでいるときだけ」とルールを課すと、5日目、6日目、7日目、8日目、1時間漕げるようになった。
このままでは仕事をする体力すらないから、とにかく2ヶ月ほどはリハビリに充てよう、そしてその間に転職活動をしよう、そう意気込んでいた。焦りはなかったか、と問われると「なかった」と自信を持って言うことはできない。今回の入院とリハビリでの運動には因果関係は認められないが、事実として救急搬送された私は、再び病室にいる。
搬送される前日、PET検査を行うために病院へ向かった。最近、夜に眠ることができず完全に昼夜逆転をしていたが、この検査は時間を変更できず絶対に遅刻は許されなかった。集合時間は午前8時半。私は完全に徹夜をした。その後、1時間の満員電車に揺られ、採血をし、検査のための薬剤が投与されると、いよいよ気分が悪くなって歩くことができなくなった。ふらふらの状態で帰宅。翌日、全く布団から起き上がれなくなったので、今日くらいはしっかり休もうと思い、眠ることにした。おそらく、この日に目を覚ましていた時間は3時間もないと思う。そして夜、正確な時間も内容も覚えていないが、強迫的な悪夢を見ている最中に突然息ができなくなって、呼吸をしようとしても口が全く開かない。身体も完全に硬直して動かない。「金縛り」と言われればそうだと思う。よく、上の歯で下の歯を折る夢を見ることがあるのだが、それとはまた違う、争いようのない身体の硬直。恐怖が全身を襲った。硬直を解かなければ死ぬと思った。だから、大声を出して気合を入れて、なんとか寝返りを打つことができた。そして、そこからの記憶が無い。
母と妹が助けてくれたみたいだが、呻き声が聞こえたと思って部屋に入ると私は痙攣をしていたらしい。筆談での意思疎通は取れたらしいが、手書きの文字で「口が開かない」「体が動かない」と訴えていたらしい。私の部屋は2階の奥にあるので、救急隊員に運び出してもらったらしい。全く覚えていないけど、何か怖い体験をした後味の悪い恐怖心だけは身体に刻まれている。
気づいたら病室にいて、見慣れた天井と、聞き慣れた心電図の電子音が聞こえてきた。少し硬めのマットレスも、ビーズが入った肩が凝る枕も、一定に室温が保たれた乾燥気味の部屋も、その全てが懐かしい、いや、もはや日常の光景。
うーむ。
自分がなぜ、再びここにいるのか分からない。
ずっと明け方まで眠れない日々が続いていた。そして、眠れたらほぼ確実に悪夢を見た。内容を事細かに覚えてはいなが、例えば刃物で皮膚を裂かれたり、大量の虫に全身を食いちぎられたり、そんな感じの夢。あと、嫌な気分になると過剰に反応してしまい、数日間に渡って怒りの感情が消え去らないことも度々ある。後々冷静になった時に後悔することも多かった。その差分で一気に落ち込むから、余計にタチが悪い。
自分で書いてきた闘病記を見返すと、私は「悪性リンパ腫」という癌と肉体的に闘い、それに伴う苦痛に耐えているように見えるが、実はそれよりも精神的な苦痛と闘っていることが分かる。不安、焦燥、怒り、などなど。落ち込んだところで病気は治らないから、どうせなら明るく振る舞うことを決めた。でも、明るく振る舞うことで負の感情を消したのではなく、上手に隠していただけかもしれない。社会復帰をするんだと前向きにリハビリに取り組んでいるけど、それはただ「経済的にも社会的にもこのままだと生きていけない」と焦っていた証拠かもしれない。これは私の考えだが、今回の件は蓄積された精神的疲労に肉体的疲労がガツンと乗っかって、安全レバーが外れてしまったのかな。それとも、ずっと溜め込んでいたストレスが一気に表に出てきたのかな。単純に身体が疲れていただけなのかな。分からない、分からないまま、ベッドに座ってこの文章を書いている。
よく、「焦らずにね」と言われることがある。頭では理解できるけど、心では理解ができない。この焦燥は、正しい感情では無いのかな。ただ、この焦燥を長い目で俯瞰し、頼るべき人にきちんと頼ることができ、自分をコントロールできる人がプロなんだと思う。その点において、私はまだまだアマチュアだ。
1歩進んで2歩下がるって初めて言った人、その真意を教えてください。
「良くも悪くも思い通りにいかないのが、人生です」
ある日、講師を務めさせていただいた授業で大学生に言った言葉。
もう一度、自分に向けて言いたいと思う。
「良くも悪くも思い通りにいかないのが、人生です」
さて、これからどうしましょ。