【悪性リンパ腫・闘病記⑰】なんかMARVELみたいだなあ
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「なんかMARVELみたいだなあ」
MARVELとは、スパイダーマン、アイアンマン、キャプテン・アメリカなどなど、世界を救うスーパーヒーローを次々と生み出してきたアメリカンコミックスのことだ。ちなみに、MARVEL作品をちゃんと観たことはない。
人は危機に瀕したとき、情報を得ることに貪欲になる。根っからの文系で一番不得意な科目が理科だった私でも、癌になったことで治療の知識や方法を自分から調べたりするようになった。最初は主治医が使う難解な横文字専門知識を聞くと頭に無数の「???」が浮かんだものだが、訓練の賜物か主治医の言葉を理解できるようになった。DLBCLの治療のためにEPOCHからPola-R-CHOPに治療が変わって、リツキマシブが特に非ホジソンリンパ腫に効くとか言われても全部理解できる。(*`ω´*)ドヤッ
これから抗がん剤3クール目が始まり、投与後に新しい治療も始まる。ただ、この治療を乗り越えれば退院できる未来があることを伝えられたので、気張っていこうと思う。えいえいおー!
高校時代の友達が見舞いに来てくれた。
サッカー部独特の陽気なテンションについていける自信がなくて入部を躊躇っていたことが仇となり、ある日下校のために玄関から出た瞬間に屈強な男たちに囲まれ、まるで親猫が子猫を咥えて運ぶように、首根っこを掴まれて部室へと連れて行かれた。看板には「ラグビー部」と書いてあった。色白で痩せていて、加えて名前が「なつき」だったこともあり度々女子に間違われていたほどの体格の私には絶対に縁がなく、そして向いてないスポーツだった。
「いや、絶対僕には無理だと思います。。。」
「大丈夫大丈夫!安心してついてきなさい!(ニカッ☆)」
今思えば、マルチ商法とかしてる人が浮かべるあの笑顔にそっくり。生きて下校できるか、それだけがとにかく心配だった。
しかし、予想に反して参加した体験入部が意外に楽しく(もちろんこの時点では激しいタックルとかは一切なかった)、サッカーをしていたのでボールも蹴れるし、足もそこそこ早かったので先輩たちに褒められおだてられ、「意外に才能あるんじゃね?」と己の実力を過信し、半分騙される形で入部届にサインをしてしまった。結局、肩や指を骨折したり、アキレス腱を断裂したり、結果だけ見ると散々な3年間だった。ただ、苦しい思い出が美化されたのか、終わってみれば良い思い出ばかりで、体が大きくて丈夫だったら絶対もっと楽しかっただろうなと日本代表の試合を見るといつも思う。まあ、絶対向いてなかったけどね。
私たちの学年は特に人数が少なくて、4人しかいなかった。ラグビーは15人で行う競技なので、私たちが3年生の頃はスタメンのほとんどが下級生になった。中には右も左も分からないラグビー初心者の1年生が無理やり試合に出てタックルを受けて痛がっている様子を見ると、心が締め付けられることもあった。まあ、怪我しがちな私よりもよっぽど戦力になっていたけどね。
私は鈍臭いところがあって、よく同級生にいじられていた。いじられすぎて、だんだん腹が立って怒り、そして怒る私を彼らはさらに笑い、また私が怒る、みたいな場面がたくさんあった。ただ、人数が少なかったし、ラグビーというスポーツの特性上かなりハードな練習を毎日し続けた3年間を共にしたからか、一種の団結感ができあがった。なんだかんだすごく仲が良い4人だったと思う。
私だけ大学が県外になったので高校卒業後は会う機会がめっきり減ってしまったが、社会人になるとたまたま同級生の一人が同じ宮城県勤務になり、毎週のようにサウナに行って夜通しドライブをした。車の中でくるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」を熱唱したり、背徳感を楽しみながら深夜にマックを食べたり。震度6強の地震があったときはちょうど満員のサウナの中に一緒にいて、浴槽の湯がふりこのように左右に激しく揺れる様を横目に見ながら、裸の男たちと押し合いながら逃げた。そして、裸の男たちはほぼ全員、激しい揺れに耐えながら、とにかくパンツだけ履いた。裸の男は緊急時にまずは股間を隠すことを本能で行うのだと知った。揺れが収まり、余震に備えて高台に逃げたあと、温泉の出来事を思い出して二人で爆笑した。全裸で逃げるわけにはいかないのだ。
それから私が全国を転々とすることになり、さらには帰省を全くしない性分も相まって、同級生たちと会う機会はさらに減った。実は、今回の病気の治療で福岡に帰ってきたのは2年ぶりで、その時は祖父の葬式が理由だった。その前は祖母の葬式だった。だからバタバタしていたし、葬儀が終わるとすぐに地元を離れたので、最後にプライベートな理由で福岡に帰ったのは今から6年前くらいだと思う。だから、地元に残った2人の同級生とは全然会えてなかった。
病気のことを知り、お見舞いに来てくれた。本当に久しぶりの再会だった。ちょうど連絡をくれたのが体調が良く治療が落ち着いたタイミングだったので会えることに。一人は子供が産まれて父になり、もう一人はロン毛になっていた。特に私のことをからかってきた2人だったが、若干落ち着いたかな?と思いつつも人の性格なんて簡単に変わるわけもなく、高校時代の雑で適当でくだらない会話をした。懐かしくて、幸せだった。すると、お見舞いの品を買ってきたから受け取って欲しいと言われた。
「夏輝ってMARVEL好きだったよな??」
「いや、好きじゃないし観たこともないけど・・・」
「え?好きじゃなかったけ。まあいいやこれあげるわ!」
袋の中にはレゴが入っていた。組み立てると、X-MENシリーズのウルヴァリンと呼ばれるキャラクターのフィギュアになるらしい。映画ではヒュー・ジャックマンが役を演じているらしい。しかし、レゴの表紙にはグレイテストショーマンで観た彼のダンディーさはかけらも感じ取ることができない、なんとも反応に困る青髭のおじさんが映し出されていた。
「なんでこのキャラクターにしたん?他にスパイダーマンとかアイアンマンとかあったやろ?」
「悩んだんだけど、なんか夏輝がこのキャラクター好きだったと思って!」
「観たこともないし初めて知ったわこのキャラクター」
「まあ、細かいことは気にするな!」
相変わらず、雑で適当である。箱を開けると、部品がとても小さくて細かくて多くてびっくりした。レゴってこんなに繊細な作業が求められるのか?でも、組み立てには時間がかかりそうだし、入院中の暇つぶしにはもってこいかもしれない。それは素直に嬉しかった。
その後、当時のラグビー部の監督もお見舞いに来てくれて、久しぶりに昔を思い出しながら会話を楽しんだ。「先生、おかげで怪我ばかりでしたよ〜」「すまんな!」みたいな会話。もう少し帰省すればよかったな、これからは地元に帰ったら自分から連絡してもっと遊ぼう。退院後、みんなで温泉に行くことを約束し、病室に戻った。
翌日、都合よく暇を感じたのでレゴを組み立てた。だらだら休憩しながら、大体2時間くらいで完成。程よく集中力を使ったので、心地よい疲労感と達成感を感じることができた。今週は精密検査をして、来週は抗がん剤3クール目を打って、その後から新しい治療が始まる。不安がないといえば嘘になる。例えば、夜中に目覚めて病室から夜景を見ようとするも、鏡のように反射して窓に映る弱々しい自分の姿を見ると、これから先どうなるんだろうと思う。その不安を埋めるように、スマホを手に取り、癌や薬の知識を調べる。文系で育った私からすれば、医学はSFの世界みたいだ。世界中の人が、経験と知識と頭脳を駆使し、病気という巨大なヴィランを倒すために、薬という武器と、医者というスーパーヒーローを生み出している。
「なんかMARVELみたいだなあ」
MARVELを見たことないから勝手なイメージを抱いているだけだけど、きっと大きく間違ってはいないと思う。だからふと、そう思ったんだ。すると後日、同級生から作品のキャラクターを贈られた。全くの偶然だし、特に理由もなかっただろうに、贈られたタイミングがタイミングなので笑ってしまう。そういえば、「ウルヴァリン」というキャラクターについては初見なので何も知らない。調べてみた。
多分、意図して選んだ訳ではないだろう。
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