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【悪性リンパ腫・闘病記⑫】精子凍結の話-小さな個室とエッチなビデオ-

※赤裸々に体験を語っているので、シャイな方は読むのをお控えください。

-前回の記事はこちら-

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レントゲン室の奥の小さな個室。案内してくれるのは初老の看護師。片手には小さな巾着袋。また一つ、特異な経験をしてしまった。

抗がん剤の副作用といえば、嘔吐や免疫不全、そして脱毛。例外なく私の頭は光り輝くツルピカになってしまったのだが、慣れてしまえば楽なもんだ。シャンプーはいらない。その代わり、保湿クリームを塗る範囲が広くなってしまったが。

そして、あまり知られてないのだが性腺機能障害を引き起こすことも特徴だ。端的にいえば、抗がん剤で精巣がダメージを受けて無精子状態になってしまう。数年度に復活するケースもあるが、確率は低い。

現代では、対応策として「精子凍結」という方法が確立されている。まだ健康な状態の精子をマイナス196度で凍結し、子供が欲しいとなったタイミングで溶解する。そして、人工授精や体外受精を行うことで妊娠を目指すらしい。

個人的な意見を言えば、子供は欲しいと思っていた。社会的・経済的な観点から見ればまだ子育ては厳しいかなと思いつつ、一度きりの人生、自分の遺伝子を継ぐ生命体を見てみたいという好奇心は間違いなくあったし、子育てをすることで親の立場を経験してみたいと考えていた。あと、子供を作らない家庭が増えているのは知っているが、「作らない」と「作れない」には大きな差があると感じている。だから、精子凍結は絶対にしようと心に決めていた。

だが、ここで不幸なことが起こる。通常、精子凍結は抗がん剤の投与開始前に行う。しかし、私は腫瘍の増大により気管支が圧迫され、窒息死する寸前だったこともあり、緊急入院・即治療開始をしなければならなかったので、精子凍結をするタイミングが無かった。主治医からは精巣へのダメージはあるが、1クール目終了時点ではまだ精子が残っている可能性があると告げられた。そこで一度退院し、2クール目が始まるまでに凍結をすることになった。

ここまで少しシリアスな雰囲気で話を展開してしまったが、そもそも精子凍結ってどうやってするの?という疑問がずっと頭にあった。さまざまな病院のHPや医療サイトを漁ってみたが、「健康な状態の精子を採取する」としか書かれていない。その方法を私は一つしか知らないのだが、真剣な場面でその方法を実践した試しがない。想像できないものは想像できないのである。だから、全ての情報を遮断し、全ての状況を受け入れる覚悟だけ決めた。郷に行っては郷に従え、である。

採取当日、いつもの大学病院ではなく、紹介された少し古い総合病院にやってきた。いつも通り紹介状と保険証を出し、問診票を書かされる。少し戸惑ったのは、「本日はどのような症状がありますか?」の欄。症状も何も精子を採取しに来たからだしなあ。「精子が残っているか不安です」と書いた。

診断室から呼ばれ、主治医の先生からの問診が始まった。

ここで言われたのは、

・検査結果は1時間ほどで出る
・抗がん剤を既に投与しているので、精子が枯れている可能性は高い
・数年後に精子が回復する可能性はある
・悪性リンパ腫の抗がん剤は、5年後に精子が回復する割合は3〜4割ほど

ほえー。そっかー。やっぱもう無理かなー。

と、若干脳死状態になりながら、まあこれも運命だし、と自分に言い聞かせた。すると、突然巾着袋を渡されて、

「とりあえず、採取してみないとわからないからね。巾着袋に中に試験管が入ってるから、出してきて!」

「はーい」

初老の看護師がやってきた。「さあ、こちらへ」と案内が始まる。エレベーターで1階に降り、別館に移動し、5分ほど歩く。レントゲン室の扉の横に小さな文字で「採取室」と書かれた部屋が。あまりのダイレクトな字面に若干戸惑いつつも笑ってしまう。

「こちら注意書きになりますので、よくお読みください」

ラミネートされた紙を渡された。以下、採取室での注意3ヶ条。

  1. 部屋の鍵は必ず閉めてください(検査時間は30分です)

  2. DVDの音源については、低音にてご使用ください

  3. 採取が修了しましたら、TELにて「採取部屋を利用した(お名前)です。終了しました」とご連絡ください。

色々と察しますよね。1、2ヶ条目は言わずもがな、個人的なツボは3ヶ条目である。なぜ、終了を「修了」と書き間違えているのか。人類の叡智、チャットGPT先生によると

「終了」は『物事がすっかりおわること』を意味し、「修了」は『学業などの一定の課程を終えること』を意味します。

チャットGPT

俺は一体、今から何を教えられるんだ。学びを得なければ部屋から出られないのか。無機質な病院のとある廊下の真ん中で、これからの未来を案じた。

渡された紙

部屋の鍵を開けられ、ついに採取室へ入室。ソファと、おしぼりが沢山置いてあるテーブルと、小さなテレビと申し訳なさげに設置されたフェイクグリーンの観葉植物。これは体感した人にしか分からないし、私の文章力では全てを表現しきれないのだが、何というか、「患者さんに対してできることはなるべくやりました感」がとても強くて笑ってしまう。私の職業は花屋なので言わしてもらうが、誰が何を気遣ってフェイクの観葉植物を設置したんだ。「ちょっと緑があったほうが良いかな〜?」と思っての行動なら面白すぎる。

「はい、ここでマスターベーションをしてください。それでは!」

おいおいえらくド直球な言葉かけてくるじゃねえかと思った。初老の雰囲気に似合わないカタカナ言葉を最後に看護師はそそくさと部屋を出て行った。さてと、、、。これから30分以内に事を済ませなければいけない。私は部屋を見渡した。すると、テレビ台の中にDVDプレーヤーと、2枚のDVDがあることを発見した。

「カラフルDOLLとドーナッChu❤︎
「どんなリクエストにもお応えします!〜ようこそMAXCAFEへ〜」

うーん。どこからどう見ても2000年代前半のAVビデオである。フェルミ推定的なことを行えば、精子凍結を検討する男性の年齢は、男性が経済的・社会的に余裕を持ち始め、かつ妻の妊娠適齢期に比例すると考える。おそらく、20代後半から30代半ばだろうか。中央値を30歳と仮定すると、男性の性欲は一般的に20歳前後でピークを迎えると言われているので、大体今から10年前くらいから現在、つまり2010年〜以降の作品が適齢期の男性の股間にクリティカルヒットすると考える。つまり、2000年代前半のエロは管轄外なのである。

しかし、読者の皆様は覚えているだろうか。精子凍結をするにあたり、私はある覚悟を決めた。「郷に行っては郷に従え」である。病院が決めたことなら、それが正しいのであって、外様の私が初見でとやかく言う筋合いは無い。故に作法に乗っ取り、部屋の鍵を閉めた事を確認し、DVDの音量をできるだけ下げ、まだ幼稚園児だった2000年代前半に思いを馳せながら、事を済ませるのが道理ではないのか。映し出された女性の眉毛はとても細かったなあ。チャプター画面で「好きなコスプレを選んでね!」と言われたので素直に従いました。


ーーーーーーーピーーーーーーーー
(現在、お取り込み中)


さて、事は済んだ。全裸監督:村西とおるを筆頭に多くの人間が作り上げた日本のAV文化の変遷を見た気がする。なるほど、病院は私に数々のスーパースターが紡いできた歴史を教えたかったのかもしれない。だとすれば、「修了」も頷ける。誰が先生かわからないけど、先生、僕は分かった気がします。いつの時代でも!エロは!生きる活力をくれる!!!!!!

電話を取り、ダイヤルを押し、私はこう言った。

「採取部屋を利用した相徳です。修了しました!」

電話口の相手の若いお姉さんはこう言った。

「お疲れ様でした!」

そんな威勢よく言われたら何だか恥ずかしいじゃないか、、、。続けてお姉さんはこう言った。

「採取した液は巾着袋に入れて検査室まで持ってきてください」

あ、自分で持っていかなきゃいけないのね。検尿みたいに、指定の場所に置いて置くとかじゃないのね。おばあちゃんが持ってるみたいな巾着袋に例の液体が入った透明の試験管を入れて、部屋を後にした。

検査室は結構遠い場所にあって、10分くらい歩かされた。誤って落としたりして誰かに拾われようものなら、故意なきセクハラになってしまうので大事に大事に運んだ。それなのに、検査室にいる検査員は全員若いお姉さん達で、巾着袋を渡すなり躊躇なく透明な試験管を取り出し、「はい!本人確認するのでお名前どうぞ!」と言われた。

「あ、えっと、あいとく、、、です」
「はい!本人確認できました!こちらの精液はお預かりします!」
「あ、、、よろしくお願いします、、、」

尿管から管を抜かれて漏らしたり、毎朝晩パンツを降ろされたり、尊厳とか羞恥心とかよくわからなくなってきますね。闘病の恥はかき捨て、かな。

・・・

ちょっと文章長くなってしまったので、最後は簡単にまとめます!

まず、精子はやっぱり枯れてました。平均の精子数が100だとすると、私は3くらいしか残っていませんでした。これから抗がん剤を重ねて確実に0になるとも伝えられたので、将来はゴールデンレトリバーとサモエドとペルシャ猫を飼うことを決めました。ただ、もしスーパーミラクルなことが起こって子供ができた暁には、それが娘だった場合は我が命に換えても良いほどの寵愛を与え、息子だった場合は早々に山か海に放って野生児に育てようと思います。

以上!

例の部屋

-次回へ続く-
【悪性リンパ腫・闘病記⑬】スキンヘッド・イズ・ワンダフル






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