左手の人差し指が綺麗になった。
爪を噛む癖があった。指先の皮を剥く癖があった。生きている実感がなくて虚無の時間が長ければ長いほど私の指先は荒れていった。人生のどん底にいたとき、無意識にホームで目の前を過ぎる電車を見続けていたとき、人が自分を殺めるのはどんな時かを知った。今も左手の人差し指だけはボロボロだ。現実に自分を戻す為に傷つけてるのかもしれない。いつか、100%自分はこの世界を生きれます、という自信が湧いた時、私の指は全て綺麗になるのだろう。
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薬の影響で震える左手を眺める。花束を作るときは左手で花を持ちながら位置を固定するので副作用が残るのはちょっと嫌だなあ、なんて思いながら、花束を作ることをイメージして指を動かしてみる。花に角度をつけるために小指に入れる力を微調整したり、花束に空気を含ませるために中指に力を入れすぎないようにしたり、目を瞑って妄想した花を一本ずつ右手で選び、左手に運ぶ。夏が終わったからきっと市場から向日葵は消えて、落ち着いたオータムカラーの花がたくさん並んでいるはずだ。ダリア、パンジー、秋色ミナヅキ、紅葉した葉物たち。ああ、市場に行きたい。
とても手が小さいから、大きな花束を作るときは苦労する。花が増えれば増えるほど花束の持ち手の部分が太くなるから、いずれ小さな手では持ち堪えられなくなるからだ。妄想だから、限界まで大きな花束を作ってみる。徐々に指に力が入る。絶対に花を落とさないように。
出来上がった透明な花束を眺める。すると、一本だけ力が入っていない指を見つける。左手の人差し指だ。親指と残りの3本で支えられた花束に、そっと添えるように存在する人差し指。綺麗になっていた。
幼少期から爪を噛む癖があって、その癖が治ることはなかった。強いストレスを感じると脳が熱くなって、気づけば無意識に爪を噛む。授業中やつまらない話を聞いていると指の逆剥けが気になって、ついむしってしまう。血が出ると痛いけど、やめられない。紛れもなく自傷行為である。大学を卒業して社会人になると、一定期間はやめられるけど、例えばミスが続いて誰にも相談できなくなって、自分を責めすぎると、ふと我に帰ったとき全ての指がボロボロの血だらけになっていることがあった。口に入れると強烈な苦味が広がる爪噛み予防用の液を塗ったり、絆創膏を巻いたり、色々と試していたけれど、やはり癖が治ることはなかった。
そこで、考え方を改めた。癖が治らないなら、指を限定しようと思った。選ばれたのは「左手の人差し指」だった。多分全ての指の中で、最も形がボロボロだったからだと思う。この日からこの指はイジメの対象となり、酒もタバコもしない私にとっての唯一と言っていいほどのストレスの吐口となった。
綺麗になっていく他の指たち。”爪切りで指を切る”という当たり前の行為が、とても嬉しかった。対照的にどんどん醜い姿になっていく左手の人差し指には目もくれず。しかし、ある日会社を辞め、ある日花屋になった私は、花束を作りながら、あることに気づいてしまった。
「花束を作るとき、左手の人差し指がお客さんの目に映ってしまう」
花束は左手で持つ。そして、お客さんの中には花束を作る過程を見ることを楽しんでくださる方もいる。パフォーマンス的な意味合いももつ花束を作る作業の中で、ボロボロの人差し指を晒すことはとても恥ずかしい行為だった。綺麗で儚げな花のかげに隠れる醜悪な心の象徴。手首をわざと捻って見えないようにしたり、絆創膏を巻いたり、わざと茎についた葉っぱの裏に指を隠したりした。バレるかバレないかは問題ではなくて、他者との関わりの最前線に人差し指が立つことが苦しかった。だけど、それでも傷つけることをやめられなかった。
いつか、100%自分はこの世界を生きれます、という自信が湧いた時、私の指は全て綺麗になるのだろう。
独立したての頃、これから花屋としてちゃんとやっていけるかなと不安に駆られながら、たまたま訪れた大学のベンチで指を眺めたときに考えたこと。きっと、私はまだまだ現実の世界を生きられるほど勇気を持っていないから、現実逃避に走ってしまう。そんな私に痛みを感じさせることで、私は私を現実に引き戻しているのだろう。本当に噛むことをやめたいし、堂々と指を見せられるようになりたい。だけど、小手先の予防法では治らないだろうから、指と、現実と少しずつ向き合っていかなきゃなと思った。
そして、少しずつできることが増えていって、それでも上手くいかないことの方が多くて、一歩進んで二歩も三歩も下がるような日々が続いたけど、めちゃくちゃな足取りだけど進んでもいるよなと思える瞬間もあって。そしたら癌が発覚した。若いから進行が早くて、転移も確認されて、再発リスクも高いと言われ、同じ病棟に入院している患者が危篤状態になって慌ただしく鳴り響くアラームを聞きながら死ぬことを強く意識するようになった。死ぬ勇気もないのに死にたいと安易に言葉にしていた馬鹿者は、絶対に死にたくないと願う頑固者になった。健康なのに死にたいと願う人はその寿命をくれ、存分に生きてやるから。
私の指は全て、荒れていた頃の面影を少し残しながらも、綺麗になっていた。