【悪性リンパ腫・闘病記②】期待なんてするもんじゃないね。
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「腫瘍(しゅよう)」
聞くのも読むのも気分が悪くなる単語である。まず音の響き。「しゅ」って発音がもう嫌だ。なんかムニっとしてて、熱くて、ドロドロしてそうな雰囲気を感じる。漢字を見ても絶望感しか無い。事実を伝えられたとき、「なるほど…これが全身の血の気が引くってことか。」なんて、一周回って自分の体の変化に冷静になった。自我と身体の乖離ってやつかな。
「結構、状況はヤバい感じですか?(キリッ)」
いかにもスマートを装って先生に問いた。そうだ、分からないことに必要以上に怯える必要はない。だって私は「腫瘍」に関して何も知らないのだから。
「腫瘍には”良性”と”悪性”があります。前者はただの腫れ物なので薬で治ります。後者は放っておくと無限に大きくなったり他臓器に転移します。言葉を分かりやすくすれば”癌”です。割合は良性8:2悪性です。」
ガーン。
はい、寒い親父ギャグはこれくらいにしましょうね。
私の親戚にも友人にも癌患者はいない。タバコも酒も嗜まない。言うほど暴飲暴食してはない。しかも20代。考えれば考えるほど癌になる理由なんて思い当たらなくて、本当に意味が分からなかった。絵に描いたように困惑していると先生が、
「相徳さんの腫瘍は”縦隔”と呼ばれる場所にあります。縦隔は左右の肺に挟まれた空間で、心臓、大血管、気管気管支、食道、胸腺などの臓器が存在する場所を指します。ここに約8センチ…結構大きい腫瘍があります。」
「ただ、8割は良性です。とりあえず詳しく検査しましょう。私は脳神経担当なので呼吸器科の先生に引き継ぎますね。」
診断は1週間後に決まった。一度退院し、その間により詳しく状況を見るためにCT検査も行った。癌と決まったわけではないけど、腫瘍があることは紛れもない事実なので、複雑な感情が流れていた。「全身麻酔の手術とかやるのかな?やったことないからちょっと楽しみかも♪」みたいな能天気なものから、「え、癌だったら仕事どうしよ…?ってか死ぬかも…?」みたいな絶望感。間違いなく精神が揺れていた。
ただ、散々ビビりまくって蓋を開けたら大したことないってのが常の人生だったので、
「いやー…実は大したことなかったっす。すんません!」
「なんだよ!心配かけやがって!!!(ちょっと小突かれる)」
みたいな展開がどうせ来るだろうなと思っていた。
だから、一週間後の病院は一人で行った。緊張しなかったと言えば嘘になるけど、気にしすぎるほどではないと思っていた。呼び出し番号が呼ばれて、診察室に入った瞬間、裸眼視力2.0の私は先生の手元にある紙に即座に目が行き、体感0.1秒の速度で複数のキーワードを認知した。人間も動物である。ここぞとばかりの危機察知能力は本能だ。
・胸部の内臓の絵が描かれていて、心臓の横に同じサイズの腫瘍の絵。
・複数の”転移””悪性””リンパ”と書かれた文字
・追加の検査が必要
(あぁーーーー、ハズレ引いた……)
8:2の割合でなぜ2を引くかね。己の悪運に感動しながら、診察室の席についた。先生が言うには、大きな腫瘍の近くのリンパ節も腫れており、腫瘍の転移が考えられるらしい。その場合、確実に”悪性”とのことだ。つまり、癌である。
「たまたま同じ時期に、たまたま違う病気に罹って、たまたま近くの臓器が同時期に腫れてるかもしれないから…!まだ確定じゃないよ!まずはもっと精密検査をしましょう!」
いや、ほぼ確であかんやつやん!と心の中で激しいツッコミを入れつつ、あくまでスマートさを保ちながら次の検査に臨んだ。MRI検査とPET検査である。前者は怪我をした時に一度行ったが、PET検査は初めてだった。微量の放射線を体内に注入すると、撮影した際に内臓器官の悪い部分が光るという、聞くだけで「すげえ!」と思える画期的な検査だった。この検査を特に問題なくこなし、結果発表を待つことに。実はこの頃から症状はどんどん悪くなってきてたんだけど、それについては次回の投稿で書こうと思う。
運命の結果発表の日。流石に不安を察知してか父が同行してくれることになった。平静を装ってはいるが、内心かなり助かった。思い返すと、とても1人では耐えられない説明を受けたからだ。もう察することができたと思うが、結果は想像よりもはるかに良くなかった。
「全身に転移してる可能性がありますね」
にゃーん。
前向きな期待なんてするもんじゃないね。
-次回へ続く-
【悪性リンパ腫・闘病記③】なんでもメンタルのせいは良くないよ。