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【悪性リンパ腫・闘病記㉛】社会復帰へ▶︎▶︎▶︎
-前回の記事はこちら-
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本日、社会復帰の許可がおりました。
毎日の薬の摂取や定期的な診察は継続しますし、免疫不全も残ります。再発の可能性だってある。しかし、腫瘍は消え、体力は徐々に戻り、ついに、ついに…!週に1度の診察が1ヶ月に1回になり、日常に戻ることができそうです。退院から約2ヶ月間、リハビリをこなしながら”今日”を目指して過ごしてきました。
癌の治療は身体的にとても苦しかったですが、それと匹敵、いや、それ以上に精神的に苦しかったなと思い返します。描いていた人生の崩壊、人間関係の変化、社会からの隔離、そして、死への恐怖。実を言うと闘病中の記憶が薄れてきていて、どこか他人事なんです。思い出は残ってるけど、実感が無い。人は辛い出来事を忘れる生き物なのかもしれません。でも、病院に行くと身体は経験を覚えていて、肩が強張り、眉間に皺が寄り、抗いようの無い緊張感を覚えてしまいます。それくらい、自分にとって嫌な記憶がある場所なんでしょうね。
「一病息災」と言う言葉があります。
意味は、『一つぐらい病気があったほうが、かえって健康に気をつけて、長生きできるということ。』らしいです。昔、この言葉を初めて考えた人は当時どんな心境だったのか想像します。自分よりも健康な人が先に亡くなってしまったから発した言葉なのか。それとも、病気持ちの自分を励ますために発した言葉なのか。その真意は分かりませんが、自分事に置き換えてみると、癌の治療をきっかけに発見できた価値観や気づきがありました。
"There is nothing noble in being superior to your fellow man; true nobility is being superior to your former self."
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“誰かより優れていることは何も高貴なことではない。真の高貴さは、過去の自分より優れていることである。”
病気を美談にする気はありません。病気は決してギフトではありません。健康に越したことはない。僕が癌になったことで、どれほどの人に迷惑をかけ、誰かを不安にし、悲しい気持ちにさせてしまったことか。それを思うと、「癌になってよかった」とは決して言えません。でも、経験してしまったことは良くも悪くも仕方がない。これからの僕にできることは、シンプルに救ってもらった命を生きることです。そして、過去の自分を更新していくこと。きっと僕はこれからも”挑戦”という意味の”無茶”をすると思います。だって人はいつ死ぬか分からないから。後悔したくないから。だから、”健康に気をつけながら挑戦(無茶)をする”。今回得た学びを無駄にしないように、日々を生きていきたいと思います。
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さて、未来の話を少しだけ。
闘病の終わりはいつでしょうか。
治療が終わってから?退院してから?
僕は違うと思います。
きっと違った形で、これからも闘病は続いていきます。
病気は沢山のことに影響を及ぼしました。例えば、本業である花屋が免疫不全の為しばらくできなくなりました。さらに個人事業主として働いていたので、これから新しく仕事を探す必要があります。
体力も完全に戻っていないし、どんな仕事ができるのかも分からない。それでも、人生は続いていきます。これからどんな未来が待っているのか、どんな活動をしていくのか。不安がないと言えば嘘になります。怖いです。でも、自分の生き方を世に発信し続けることは大切だと思ってます。それがいつか、どこかのタイミングで誰かを助けたり、励ますことができると信じているからです。
それはなぜか。
僕も同じように、誰かの生き方に助けられ、励まされてきたからです。
闘病の終わりの定義は、これからも考え続けたいと思います。闘病記は書き続けますが、今日が一つの区切りです。
できること、できないこと。
諦めること、始めること。
どんな人生が待ってるのかな!
僕の人生が、僕に期待している予感がします。
改めて、これからもよろしくお願い致します。
相徳 夏輝