汎用性と個性の関係性についてのちょっとした仮説
かえってあんま機能追加しないほうがいいのはほんとだよなあ
たとえばラインとかも、あんまりアカ分けとかグループ分けしてもなあ、汎用性高くなるけどそれだとべつにラインでなくてもーとなるし、
まあそんなこととか思ってるとふとはっと思うのです、
これが個性というものの具体的たとえのわかりやすい一例になるのではないか、と。
個性というのはやりにくさも含む。そのぶん、長所にぎゅいんと価値がくるのだ。
ツイッターの140文字制限とか、いい例だよねえ。いまんとこ。
汎用性と個性はじつはかなり反比例的概念、とも言えるのではないか。などという、これから検証の必要そうな仮説である。
でも、じつはずっと思ってた、ずっと。
クリエイターは汎用性が低い、かわりに個性がつよい。
では汎用性の高いひとは、なにになるか。仮説パターンいち、為政者だ。いまでいえばきっと、政治家や国家公務員。維持をするひと。まもって、いくひと。いまのバランスを。
貴賤はない。
だが、違いはある。
その違いが、……世界のバランスすなわち方向性の取り合いになるのかも、しれない!